好き・嫌いの先にある「価値」を認めたい
直感的な好き・嫌いの判断。
たとえば嫌いなんだけど、そこに価値があるなら、それを認められるようになりたいと思っている。逆に好きでも、そこに価値を感じないならダメだと判断したい。
たとえば、めちゃめちゃ無愛想で、嫌な感じの店主がいるラーメン屋さん。もうこの段階で直感的にはここのラーメンを食べたくない。でも、私は食べたい。そして、そのラーメンがすごくおいしかったとき・・・さあ どうしよう。
このとき、本当においしいって認められるのだろうか。
もちろん「おいしいとは何か?」といわれると、気持ち良い接客やお店の雰囲気も含めて「おいしい」を感じる場合もあるけれど、ここでは単純に「ラーメンの味」としてー。
直感的には、嫌な感じの店主が作ったラーメンをおいしいと感じたくない気持ちも正直出てきそう。。でも、もっと想像力を働かせ「いや、実は本当は無愛想じゃないんだけど、今日だけ逆スペシャルディなんだろうか」とかぐっとこらえて前向きに食したい。
実際に食べたらおいしかったなら、おいしいと認められる人になりたい。
これはいうほど簡単じゃない。簡単じゃないのを自覚しているので「なりたい」って言葉を使ってしまう。
ラーメン屋の店主という人を題材にしたけれど、これは思想や社会も含めてのこと。嫌いな思想でも、良いところ(価値)があれば「それいいね」と受け入れたい。
直感に反する価値あるものはたくさんある。
直感はあくまで”これまで”の経験から発するものだし、”これから”どんどん変わっていくだろう。
経験や知識には、謙虚でいたいと思っている。
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