夢を叶えた。そのあと、夢を失った。話
いまから10年ほど前。夢を叶えた。・・・らしい。
「らしい」というのは自分では実感がなかったから。
夢が叶った。夢を失った。
「夢叶って良かったね」友人からそう言われた。正直、言われるまで気づかなかった。
けれど、あのとき僕は夢を叶えたんだと思う。
でもそのあと、僕は夢をみることを失った。父から言われた言葉でそう気づいた。
今日はその2つの出来事を振り返ってみようと思う。
夢を叶えた日
僕にはやりたいことがあった。
「こんな世界があると楽しいんじゃないか」と妄想をしていた。
・そのお店にしかない本が並んでいる本屋
・本を通じてコミュニケーションが生まれ、お客さんともコラボレーションしてそこでしかない本をつくっていく
・つまり、スタート時点ではまだ本は一冊もない「本のない本屋」
当時の僕は、こんな妄想のような夢を抱いていた。出版の経験も、編集の経験もない、文字通り妄想だ。
でも、妄想を実現させたい気持ちが抑えきれなかった。
無謀にも僕は会社をやめて、実際にスタートした。
お店の名前は笑和堂(しょうわどう) - そこはみんなで笑って和める場所
笑って和める場所にしたいという意味から、お店を「笑和堂(しょうわどう)」と名付けた。
みんなが気軽に集えるようにと飲食店も兼ねた。つまり「出版社 兼 飲食店」さっき出版の経験がないと書いたが、飲食の経験もなかった。学生時代のアルバイト経験もない。まさにゼロからのスタートだった。
何事もそうだと思うが、オープンまでは山あり谷あり。正直谷がいっぱいあった気がするが、周りの人たちに支えられて、なんとかお店をオープンした。
その後、右も左もわからないまま幸運にも出版社の人ともめぐりあい、1冊目の本を出版した。
この本の出版記念パーティーを「笑和堂(しょうわどう)」で開催した。
- そのとき
お店をはじめる前から、僕の話を聞いてくれたある人に言われた。
「夢が叶ったね、おめでとう!」
このとき「いやいや、これからですよ!」と返事した。夢という言葉は、僕を頭をすり抜けていた。だって、本当にこれからだから。
出版記念パーティーが終わりに気づいた
でも、出版記念パーティーが終わり、片付けをしているとき、さっきの言葉がよぎった。
「夢が叶ったね、おめでとう!」
あれ?夢は、叶ったのか。
僕は想像をした。
たとえば、もし僕の目の前にある人がきて「いつか◯◯なお店をやりたいんです」といって、その数年後、本当にその◯◯なお店をはじめたら、僕はどう思うんだろう。
さらにそのお店のオープン記念パーティーに呼ばれたとしたら。
僕もきっとこう思うだろう。
「夢が叶ったね、おめでとう!」
・・・僕は気づいた。
そうか。抱いていた妄想のような夢は、今日の出版記念パーティーで叶ったんだって。
夢は、にくいやつ
夢ってなんだろう。
夢が叶った瞬間をもっと盛大にしてくれ!風船とクラッカーで、夢の実現を盛大に祝福してくれ!
なんてことをふと思った。
でも、実際に夢は近づくとどんどん向こうの方に行っちゃう。ある意味、夢は実感することはできない、にくいやつなのかもしれない。
夢をみることを失った
お店のオープンから2年後。お店は閉店した。
もっと続けたかったが、続けることができなくなった。理由は生々しい。そう運転資金が底をついたからだ。
資金が底を着いた当時の僕は、親に「お金を貸してください」とお願いをしにいった。
「お金を貸してください」
いまでも僕を締め付ける言葉だ。
でも、当時の僕は、親からお金を借りることしか想像できなかった。
親のお金で、お店は存続した。
身辺整理
もちろん自分たちの身辺整理もした。
結婚してから夫婦で2DKアパートに住んでいた。この家賃を減らそうと思った。僕らはワンルームアパートに引っ越した。
もちろん2DKにある全部の荷物をそのままワンルームに持っていくことはできない。物理的に収納できない。
売れるものは売り、お店の運転資金に回した。処分するものは処分した。
結婚祝いでもらった冷蔵庫は、処分した。物理的に入らない。申し訳にない気持ちでいっぱいになった。
お店はちょっとずつ向上。でも「ちょっとずつ」では足りない
お店はちょっとずつ売上を伸ばしていった。が「ちょっとずつ」では足りなかった。
- 数カ月後
資金は再び底をついた。
理由は単純に僕の実力不足だ。それはちゃんと認めないと。
お店を閉じて、出直そう。
・・・・
・・・・
でも!あろうことか、僕は続けたいと強く思ってしまった。
今振り返ると、なんて無知で、わがままなんだろう。そして甘い。「実力を認めた」と言いながら、結局、続けようとしている。
再び、親に頼る
あまちゃんな僕は、再び親に頼った。
実家に帰って、僕はいった「お金を貸してください」
続けて「お店の売上はちょっとずつ良くなっているよ」
父はしばらく沈黙した。
父は、言った。
「ところで、何のためにお店をやっているの?」
・・・
僕は答えられなかった。
冒頭に言ったことが、出てこなかった。
・そのお店にしかない本が並んでいる本屋
・本を通じてコミュニケーションが生まれ、お客さんともコラボレーションしてそこでしかない本をつくっていく
・つまり、スタート時点ではまだ本は一冊もない「本のない本屋」
日々に追われて、夢を忘れていた
僕は売上があがらず日々に追われていた。営業日は週6で、ランチ営業から深夜営業まで。お店は僕と妻の二人で回していた。週1の休みは、他店の飲食店にって研究したり、新メニューの開発をしたり。
そんな日々の中で、いつの間にか夢をみることを失っていた。実現したかったあの夢が、僕の中に見当らなくなっていた。
父の言葉に、返す言葉がない僕は、親からお金を借りることをやめた。
お店は、閉じることにした。
夢は薄っぺらかったのか
あきらめなければ夢は叶う
どっかで聞いたことのあるこの言葉は、僕をつきさした。
夢をあきらめた僕っていったいなんなのだろうと自問自答した。「この夢を叶えたい」そう願った情熱は、実は薄っぺらいものだったのだろうか。
楽観主義を自負していたが、悲観的な考えが渦巻いていた。
僕に光をくれた言葉
お世話になった人たちにお店を閉じる決断を伝えた。
ある人からは「ずいぶん悲観的だね」と言われた。
お店を閉じて借金を返すために、元いた業界に戻ろうと思います。
「元いた業界に戻る」それがダメだよ、覚悟がないよ。「これしかない!」それくらいの覚悟でやらなきゃ。甘いんだよ。
全部その通りだとも思った。
またある日、別のお世話になったあるお店の店主さんに、お店を閉じることを伝えた。閉じた後は、借金を返すために元いた業界に戻ろうと思います。再びそう伝えた。
「覚悟がないな」と言われることは覚悟していた。
けれど、返ってきた言葉は違った。
元いた業界に戻れるなんて、うらやましいですよ
こみ上げるものを感じた。
自分でも「本当は薄っぺらい夢だったのかもしれない」「元いた業界に戻ることが、覚悟のなさのあらわれ」なのかもしれないと思っていた。
そんなとき言われた言葉に、僕は救われた。こんな自分でも認めてあげても良いのかと思った。
挑戦したけど、うまくいきませんでした。でもこれが、自分なりの精一杯でした、と。
堂々と、元いた業界に戻れるような気がした。
大げさに聞こえるかもしれないけど、目の前に広がる闇が一斉に引いていくようだった。
次へ、いこう。
うまくいかなかった経験ととも、次のステップを踏み出せるような気がした。
あれから10年
僕は、このうまくいかなかった経験をポジティブにとらえている。
もしもこの「笑和堂(しょうわどう)」がうまくいっていたら。僕はどんな人になっていたのだろうか。
・1日の売上400円。この400円にありがとうと素直に思えただろうか。
・月1の贅沢。大好きなラーメン屋さんのラーメンのおいしさを噛みしめることができただろうか。
この体験は僕にとって宝物だ。
どんな失敗も前向きに捉えることができれば、次に活かせると心から思う。本当にそうなのだ。もちろん言葉でいうほど簡単じゃない。きっと暗闇の中でさまよい、やっと見つけることができる光なんだろうと思う。
あとから振り返ると、自分の中に立ち込めた暗闇は、自分自身に向き合える時間でもある。向き合う時間は、人生に新しい意味を与えてくれる。
いつか、子どもが大きくなったら伝えたいと思う。
父ちゃん、やりたいことがあってさ、挑戦したんだ。それはうまくいかなかった。でも、最高の時間だったよ、って。
夢が叶うことは素晴らしい。夢を失うことも貴重な経験だ。前向きに捉えれば全部ひっくるめて、人生に彩りを与えてくれる。心からそう思う。
最後まで読んでくれてありがとうございます。