学校でヒップホップ。
週末の放課後。理科室掃除を生徒と終わらせて職員室に戻る途中、エレベーターホールと呼ばれている小さなスペースに、数人の中学生男子が集まって何やら騒がしい。エレベーターホールは何も無い殺風景な場所だが、私のギターと、歌謡曲のコード集が置いてある。昼休み時間には2、3人の生徒がそこに訪れ、ギターを手に取りポロンと弾いている姿が見える。私はギターが弾けるので、生徒からギターを奪い取り、生徒の前で演奏を披露することで一目置かれたい。…という下心がある。
しかし、今日は明らかに様子が違う。男子が6、7人で輪を作り、その中心には2人の男子が向かい合って立っている。その人数で場はぎゅうぎゅうだ。遠巻きで見ている私の教師としてのフィルターを通せば、ケンカ?まさかタイ◯ン!?なんだか嫌な予感がする。すると、輪をつくる生徒たちが両手を挙げて、何やら煽り立てている。今にもなんだか始まりそうな感じだ。
これは急いで止めなくては!と思い慌てて近づいていくと、輪のひとりがギターを小脇に抱えて立っている。
え、なんで?と思ったその時、ギターをもった男子が弦を押さえて弾く真似を始めた。押さえ方が甘くてちゃんとした音は出ていない。その生徒は、おそらくギターはまったく弾けない。でも、指が弦に触れて出るザッ、ザッ、みたいな音で、なんだか小気味の良いハネたリズムを奏でている。周りの生徒もそのリズムに乗って体を揺らし始めた。なんだなんだ?インスタとかに上げるような新手の儀式か?
すると、輪の中にいた二人のうちのひとりが、リズムに乗って言葉を紡ぎ始めた…ラップだ。それを聞いた私はズッコケるくらい拍子抜けして、真剣にラップをする彼を見て一瞬笑ってしまいそうになった。でも、よくよく聞いてみると、…上手い。けっこう上手い。次から次に言葉が出てくる。そしてたまに踏む韻が心地よい。でも、今彼が何と言ったのかを文字にしようと思ったが、全く思い出せない。でも、何だか小気味のよい、心地よい日本語らしき言葉のリズムだけは耳にしっかり残っている。かなり練習していると思う。え、かっこいい!聞いているうちに私もテンションが上がってしまい、いつの間にか輪の中に入ってしまった。
おそらく16小節くらいあったと思う。韻が生み出される度に輪の生徒と私が手を挙げてそれに応える。そしていつの間にか、もう一人のラップが始まった。
どうやらこれは、MCバトルをやっているらしい。でも、ここは中学校のエレベーターホールだ。服装だってダサい学校ジャージ姿だ。だけど、エレベーターホールという白いコンクリートに囲まれた狭く四角い空間が雰囲気を演出。さらに音が響くから、ラップとギターにエコーがかかってけっこうアガる。そして当然、廊下から続いているこの場所にはクーラーが無い。異様に熱い。青色のジャージ姿の男子たちと、黒いポロシャツでスラックスの中年男性もひとり混ざり合い、側から見ればなんとも変な空間だったと思う。生活指導の先生が来なくて本当に良かった。
そして何より。もう一人のラッパーのラップ、めちゃくちゃ上手い。聴いた瞬間、ああこれは相当やってんな、と思わされる。声の抑揚がかっこいい。言葉のリズムも変則的だが、韻の踏み方でリズムがハネ気味で、引き締まっている感じがする。でも、やっぱり彼も何と言っていたのか、全く思い出せない笑。どうしてだろう??
おそらくラップって、言葉の意味もさることながら、もっと身体的で、直接的に響くものなんだと気付く。MCバトルをyoutubeでたまに見るが、そこには要所要所に字幕が入る。だからライムの言葉と意味が音に合わせて瞬間的に頭の中に入ってくるのだが、実際にライブで聴くとそうはいかないことに気づく。ライムを繰り出すMCの言葉に意味の解釈がついていかない。彼の頭の回転に追いついてない。でも、言葉の響きやリズムで感情がもっていかれる。ラップって、瞬発的にノリに合わせて言葉を繰り出す身体と頭のシンクロ技なんだなあと、中学生のラップで教えられる。
3、4往復くらい続いただろうか。片方のMCが最後の言葉で締めくくった時、私たちは地鳴りのような声援と、フレミング左手の法則の形の両手を掲げてそれに応えた。そして何も言葉を交わすことなく、生徒たちとハイタッチしてばらばらと解散した。気分はもう路地裏、Bボーイになった気分だった。ちょうど下校のチャイムが鳴ったけど。職員室に戻ると、何の変哲もない学校に戻った。クーラーがカチカチに効いていて、涼しい。同僚の先生に起きたことを話してるときの、相手の冷めた反応を見ながら、自分の感激ぶりになんだか笑えてきた。
巷では、ヒップホップ禁止令が出た中学校があるらしい。そしてそれに反対する署名運動を保護者たちがやったらしい。
だけど、音楽なんてなくても、ちゃんとした発表の場がなくてもいつでもどこでもラップはできる。というか、本場のヒップホップだってそういうもんだったじゃないか。人がふたり以上集まって、ここがステージだと思えばステージだ。ターンテーブルが無くたって、いつでもリズムは始められる。声を出すことができる。
ダンスだって、教室で廊下で、手拍子で声を重ねるだけで何だってできそう。禁止なんてできるわけがない。禁止するという概念がそもそもないから意味が分からない。禁止されたからどうだとか禁止するなとか、大人がとやかく言う必要など全くない。
ほんとうは学校って、何でもできる、何にでもなれる場所なんだと思う。
そして、学校の授業とか教育のやり方とか枠組みとか、大人が工夫できるところをいくら工夫したところで、実は効果は薄いのかしれない。授業や学校のシステムや枠組みで学校を変えようとかどうにかしようと考えること自体が、大人都合の、ちょっとナンセンスな発想なのかしれない。
だって生徒たちは、授業と授業の間の休み時間や放課後、教育の枠組みのすき間に全力で楽しさを感じている。結局は私たちも、小中高通って何万時間と受けた授業よりも、あの日あの時の休み時間とか放課後とかの、ほんの数分の出来事を、大人になった今でもよく覚えているわけで。
今度はギターでトラック弾きたいな。いらねー邪魔だときっと言われるだろうけど。