育児休業を取ってみた。
2024年3月1日の次女生誕に伴い、育休を取ってみた。
4月16日に復帰したため、結果的には1ヶ月半の育休期間となった。
色々感じること、考えることなどもあるため、記録に残しておこうと思う。
⓪何故、育休を取ったのか。
2021年11月に長女が産まれた時は、育児休業は取得しなかった。当時はコロナ禍で幸いにもオンライン化が進み、打ち合わせなどもオンラインでやることが多く、テレワークを兼ねて仕事をしながら、家事育児をやりつつ産褥期の体調回復ができると踏んでいたからだ。妻子共に元気で、妻も慣れぬ1人目の授乳や生活リズムに戸惑いながらも、互いの実家の助けを借りつつ特に育休など取得せずに乗り切った。
その時と今回の圧倒的な違いは、2人目であり長女がいるということ。3歳半になる長女は自分でできることが増えてきたとはいえ、やはり生活の殆どを世話する必要がある。その上、単なる生活の世話だけでなく、「下の子が産まれる衝撃で、激烈赤ちゃん返りする」「だから、しっかり甘えさせて、大事ってことを伝えなあかんで」というよく聞く文言が軽くのしかかっていたというのもある。
そして、産まれた直後が年度末年度始めというハッピーな期間に重なるということ。塩尻市においては保育園は年度末年度始めの期間は「希望保育」と言って「どうしても必要な人は希望したら保育します。でも給食はないからお弁当持参だし、人数少ない保育園は期間中は休みにするので、別の保育園になりますよ」という期間となり、通常保育より少しばかり手間と環境の変化が運命づけられている。
これを鑑みた時に「実家の両親の力は借りるけど、物理的にフルタイムで勤務しながら産褥期過ごすって無理じゃね?」となったのが、純粋な理由だ。
私の実家は兵庫県、妻の実家は福井である。私の父は昨年退職をして今はフリーになっているが、母は普通に働いている。妻の父親は自営業で士業として事務所を開業して、母親はそれを手伝っている。つまり、なかなかオンタイムで来れる距離ではなく、来れたとしても仕事の兼ね合いがあるので期間がどうしても限られてしまうという状況にある。
そして、長女の保育園の送りは8:30-9:00、迎えは16:00-16:30の間だ。延長保育をお願いすればもう少し早く/遅く送迎は可能だが、2人目が産まれるストレスの中でその環境変化は正直避けたいし、そんな中で自分が8:30-17:15が基本のフルタイム勤務(フレックスは可能ではあるが)の中で、まず以って送迎の時間が成立しない。
そうなると「あ、これ育休使わないと、産褥期にしっかり妻の精神と体調を回復させるべく、休んでもらうの厳しくね?」という結論に至った。
多分、頑張れば育休取得しなくても、やれるはやれると思う。
幸いにフレックスは導入されているので、保育園の送り迎えの時間には家にいてできるようにして、その分の勤務時間をどこかでこなすことは可能だ。長女が保育園から帰って、寝た後の時間にやったり、朝家族が起きる前に仕事をする、みたいなことも可能だろう。打ち合わせもオンラインで実施することが多いので(定例的なmtgも最近は大体オンラインで入ってもOKになっている)、自宅からやる、みたいなことも可能だ。それらを組み合わせたら、恐らくは物理的には可能だったはずだ。
ただ、それを実行するとなると、多分私はかなり無理をしてそれをやるという感覚になると思うし、無理してやっていることが重なるとそれはストレスになる。ストレスに対するレジリエンスは高いとは思うが、一方でグリーンゾーン内で過覚醒と低覚醒方面へのゆらぎの振幅と波長は大きい方な気がしていて、そのゆらぎがモロに感情や態度に出てしまうタイプであることを自覚している。
それ故に、仕事をやったとして、そこで重なるストレスは確実に家の方に、感情や態度と共に出てしまう予感もしていた。それが、産褥期の妻にとって本当にいいのか、2人目が産まれて自分が受けていた愛情がぐらついてしまう長女にとって本当にいいのか、産まれたばかりの次女にとって本当にいいのかというと、必ずしも心安らかに過ごせる家を作れないように思った。
2人目が産まれて環境が様々変わる中で、特に生活の基盤を作る最初は、心安らかにその変化にしなやかに馴染むレジリエンスを作るというので、育休を取る選択をした、というのもある。
また、妻とジェンダーについてここ数年、話す機会も多くなってきた。
自分自身は割と男性的なネットワークの中にずっと身を埋めてきたと思っていて、中高は男子校(正確には高校の1個下から共学になった。1学年200人中15-20人しか女性はいなかったが)。大学は応援団というブラスバンド部とチアリーダー部に女性はいたものの所属していたリーダー部は完全に男社会。ファーストキャリアであるAGCの自動車ガラス営業も男しかいない(アシスタントは女性ばかりだが)。塩尻市役所も最初に配属された部署は男ばかりで(徐々に女性職員も増えていった)、まあなかなかに男社会で生きてきた。
そんな中で、自分自身もアンコンシャスなバイアスを持っていることに、妻と会話する中で(妻自身も)気づいてきた。その一つが、育児休業だ。
長女の時は、前述した通り私は育休を取らずに働き続けた。妻は、1年間の育休を取得した。その時も妻と会話はしていて、自分は「やっぱり働きたいし、自分が離れるとやばい業務が色々ある」と表明した。妻も「私も働きたいけど、授乳とか生物学的な男女の性差はあるし、赤ちゃんの期間を過ごせるのはこの時だけだから、育休を取ることにする。でもずっと育児だけするのは限界だから、1年後には復帰かな」というような話をしていた。そして、2人で話して「選択をした」つもりだった。
ただ、妻が改めて様々な観点に触れてのちに振り返ると「選択をしたつもりだったけど、自分が育休を取らないという選択肢はそもそもなかった。仕事をそのまま続けるという選択肢がそもそもなかった。育休を取る理由はつけられるけど、『取得しない』というオプションを真剣に検討した上で『選んだ』わけではない」と、話をしていた。そしてそれは私自身もそうで、育休を取得するという選択肢は、自分の中でそもそも存在していなかった。それがなぜ存在していなかったかというと、2人とも「だって、そういうもんだから」という、社会の一般的な通念がアンコンシャス・バイアスとなって、選択肢を作り出せていなかったからだと思う。
で、少しそれに抗いたくなってみた。
私自身は、結構仕事が好きな方で、もちろんプライベートや仕事じゃない時間も大切だけど、比較的「やりたいし、自分の使命だと思ってる」みたいなことを今の仕事にできているし、その中でプライベートと仕事が渾然としている部分もある。
そんな自分が、育休を取得するという選択肢になったときに、どのような変化が起きるのか、何を考えるのかというのは、実験としてなかなかに興味深い。
そして、たとえ短くとも育休を取ることで、まだまだ男女差がある育休取得率みたいなものだとか、その数字を支えているであろう社会的通念やアンコンシャス・バイアスに、ちょっと反旗を翻してみたいなあと思った。
※色々補足
ちなみに、男性の育休取得は段々広がってきてます。でも、なかなか自分の周囲でどれだけいるんだとーと思いを馳せると、まだまだそこまで多くないように思います。それは別に、上述した社会通念以外にも、地方は中小企業も多くて、そこだと育児休業で人員を代替できる経営や資本の体力がどこまであるか・・・という難しさもあると痛感してます。
そんないろんな事情やシステムが絡み合ってそういった数字が出てると思っているので、誰が、何が、どう悪いとかはあんまりここでは言うつもりはないです。ただ、自分の中にも巣食っているそういった社会通念があって、意識しないとそれに則って動こうとする自分自身に、反旗を翻したくなったということです。
この辺りは色々な想いや意見を持つ人が多いと思うので、向き合って対話していきたいなーと思っている所存。
※ちなみに、育休とかはこの辺りのリンク参考になる〜。これ書くまで「育児休業」と「育児休暇」がどう違うかとか知らんかった。。。
そんなこんなで、育休を取る決断をしてみたのが、おそらく1-2月だったかと思う。とはいえ、SNSで仕事をすることがほとんどなので、完全に仕事を離れるというよりは、育休しつつどうしても必要な仕事はやらざるを得ないだろうな(特に年度末だし)という感覚でのスタートであった。
①3月1日~3月7日:妻入院、長女と2人きり
2月29日(2024年は閏年だった)から妻が入院、翌週木曜日の3月7日に退院なので、1週間の間は長女と2人きりだった。
現在3歳となる長女との関係性づくりは、正直苦労した。
三枝という人間と接している方はお分かりになると思うが、自分は基本的に言語コミュニケーション偏重者だと認識している。勿論、表情や様子や動作といったノンヴァーバルな部分は自分も大切にしているし相手のそれも観察はするが、あくまでそれは言語を主体としたコミュニケーションの補足情報な気がしている。「何かを察する」みたいな感覚とか苦手なんだろうなあと思うし、言葉で意思を伝えてもらわないとその意思をキャッチできない・・・と自認している。
(その割にはダイアログ・イン・ザ・サイレントで言葉抜きジェスチャーで表現した時、めっちゃ褒められたけど。難しくない意図を表現するのは得意なのか。まだ自分で見えていない自分がいる気はしている)。
また、自分は一つの何かにずっと足を浸しておくのは、多分苦手で、いろんな要素のバランスを保っていないと、めちゃくちゃストレスでイライラしてくる。
例えば、家庭と仕事と遊びと休みのようなバランス。誰かといる時間と1人でいる時間というバランス。ひとところの地域に留まりながらも、地域の外に出ていくというバランス。安心できるコミュニティに所属しながら、コミュニティの外の関係性を広げていくというバランス。安住と放蕩のバランス。拡散していくものと、収縮させていくもののバランス。安定とカオスのバランス。などなど。
言ってしまえば多くの人はそうかもしれないが、そのバランスが崩れた時のストレスがかなり強く出てしまうタイプだと思っている。
だからこそ、言葉も話せないし何をしたいのか/何をして欲しいのかがも全くわからない新生児から2歳くらいまでの時期は、もうなんかどう接していいかわからなくて距離感もわからなかったし、そんな中で「あー、子育て向いてないなあ」「父親として(というか人として)自分はどうなんだろ」みたいな想いに悩まされて度々ブラックゾーンに入ったこともあった。何を頑張ったらいいのかわからない中で家が嫌になり、家が嫌になっても外に出て行ききれないし、でも家庭に入ってばかりいてもバランスが取れずにフラストレーションが貯まる・・・みたいな、悪循環を何度体感したかわからない。
と書くと、めっちゃ育児や家事をしていたようだが、別にそんな感覚はなく、多分自分に堪え性がないだけだと思う。そうは言いつつ好き勝手なこともしてて、酒の場や大学院やBiSHにも行っていたし・・・だから「子育て、向いてないなあ」と今でも思いつつ、色々なバランスをとりながらやっているつもりだ。
そんな感じで過ごしてきてしまったのもあって、あとは妻の人格的な側面も大きく作用して(三枝と相対的にみるとさらに)、長女はとてもお母さんっ子だと思う。
お父さんはどちらかといえば遊び相手。一緒にいると一気にボルテージが上がるし色々な遊びをウェイウェイやるし楽しいところに連れて行ってくれる人だが、細やかに世話を焼いてくれたり甘えたりするのはお母さん、みたいな感じだ。
だから、夜寝る時もお母さんが一緒じゃなきゃ嫌で、「一緒に寝る!」と言って3人で寝室に行っても「お父さん、あっち行って」と言われる(多分、お父さんがいるとテンション上がって寝れないというのもある)。お風呂もたまに2人で入るけど、大半はお母さんと入るか3人で入りたいと言う(それで3人で入るあたり、家族や夫婦の仲はいいと思う)。
言葉が話せるようになってからは、長女と急速に距離が縮まり、特に妻が次女妊娠でつわりの時はめっちゃデートした。灼熱の2023年夏に、塩尻市内にある小坂田公園に何度足を運んだだろう。娘が大好物な三枝お手製ガパオライスを抱えて公園で食したり、男湯に入れたくないので家族風呂を予約して大芝の湯に行ったり、お昼寝タイムで2人でドアも全開で車の中で寝て暑さで目覚めたり、朝「行きたい!」という思いつきで富士急ハイランド内のトーマスランドに行ったりした。
文字通り「遊び相手」ではあるが、お世話的な意味ではやはりお母さんに軍配が上がる。
そんな感じだったので、1週間、妻が不在で過ごすというのは2人とも初めてであったし、正直自分も緊張と不安でドキドキしていた。長女も多分そうだったろう。
ただ、そんな不安もどこゆくもの、過ごした1週間は(少なくとも自分としては)とても素敵なものだった。
妻の入院初日は義理の母が来ていたので、長女も気が紛れたのか保育園帰りも楽しく過ごし、寝るときに少し「お母さん・・・」とこぼしていたが、私と一緒にご就寝。翌日に義理の母が帰り2人の日々が始まったが、特に夜ご飯も問題なく食べて、寝るときにやはり少しグズったが、気持ちを切り替えてご就寝。
余談だが、妻のいない日々の就寝時に、長女から「ブロッコリーの話をして」とねだられた。これは以前に「ブロッコリーを主人公に三枝が勝手に創作話をする」というのをとても喜び、それを長女は気持ちの切り替えの材料に使っていたようで、いろんなブロッコリーのいろんな物語を話したが、流石に4日目となるとネタが切れてきて、正直これが一番つらかった。
土曜日は私が通っていた長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科のリサーチペーパー発表会だった。この大学院もこれまた珍妙だったので、ぜひこちらの記事も読んでもらいたいが・・・(14,000字くらい)。
発表から懇親会まであったので、現地参加は無理だろうなあと1週間くらい前まで思っていたが、長女も一緒に泊まればいいじゃないかと思い立ち、長女にも「長野市に泊まる?」と確認したら「うん!」とのことだったので、ゲストハウスの個室を予約して1泊2日で赴くことに。
朝食を食べて泊まりの準備をして出発、オンライン予定だったので発表順番は一番最初。発表前と最中だけ少し我慢してもらって、終わったあとは大好きなキッシュを食べさせてくれるお店でランチをし、少しお昼寝をして、長野県立美術館の中や周辺の公園をお散歩。大学に戻り全体写真撮影を行なったのち、懇親会に参加。懇親会の場では最初は緊張していたものの、出てきた料理でお気に入りのものを食べたり、普段家じゃ飲めないジュースを飲んだり、広いスペースだったので勝手にダンスをその辺で踊りまくったりと、大人に囲まれながらも彼女なりに楽しんでいたようだった。
いろんな人が想いを語って懇親会だったので既定の時間を割とすぎての散会、車でゲストハウスに行きチェックインした時間は、いつもならすでに寝ている時間であったが、1Fリビングルームで滞在中の外国人がギターとウクレレで歌っていた光景に大興奮し、自分もウクレレを扱いながらしばし聴き惚れ、部屋で布団メイクをして歯磨き。寝るときも響き渡るリビングルームの唄い声に気を取られていたが「にぎやかだね〜」「楽しそうだね〜」「でもうちの家でお酒飲んでる時もこんな感じだね〜」と話しているうちに、いつの間にか就寝。
(その後に三枝は1Fで歌を聴きながらビールを2杯飲み、その後も少し宿泊者と会話・・・)
朝も一緒に目が覚めて、前日にゼミの先生からもらったドーナッツをリビングスペースに持ち込んで、優雅なモーニング。このドーナッツが本当に嬉しかったみたいで「お父さんと2人で何が楽しかった?」と後日聞くと「ドーナッツ!」と即答するくらいだった(他にも色々あったやろ)。
塩尻に帰宅し、夜は近所の友人の家で夕飯を一緒に食べさせてもらう。長女よりも2個年上の双子のいる家で、長女も一緒に遊びながら大人はお酒を飲んで会話ができ、次女が産まれて初めてお酒を飲みながら色々話ができて、とてもありがたかった。本当にありがたかった。
もう一つ思い出深いのが、住んでいる北小野唯一のスナックが40年の時を経て閉店するとのことで、8日(確か)閉店に向けたカウントダウン営業をしていた6日に、地域の友人と一緒に行こうとなり、長女を連れて行ったことだ。まず、夜に外食をすることがこれまでそこまで多くなく、ましてやスナックという環境も初めてである。さすがに大人だけだと逡巡するが、上述で登場した双子も来てくれるとのことで、長女にお伺いを立てて「言ってみる」と承諾をいただいたので、参戦。
人の多さに娘は当初戸惑いつつも、双子たちがいたので一緒に遊んだり、普段家じゃ絶対に食べないポッキーをいっぱい食べられたり、お父さんの歌を「聞いてから帰る!」と聞いてくれたりして、これまた寝るのが少し遅くなりつつも日常にはない時間を過ごした。
夜にどこか歩くのもそもそも滅多にないので、スナックからの帰り道、月明かりの中で2人で「夜のお散歩だねー」「楽しかった?」「お月様だねー」みたいな会話をしながら歩いたのは、個人的にはとても素敵な思い出だ。
そんな感じで、お父さんと2人じゃないと「行こう」とならない場所や時間を、長女も(多分)楽しみながら、2人だけの時間を過ごせたと思っている。長女がどう思っているかは分からないが、少なくとも自分にとってそれはとても素敵で、そして長女との関係性がより強く濃くなり、揺らがない信頼関係みたいなのも構築できたように感じた。
そしてこの期間、ゼミの先生からいただいた『おねえさんになるひ(ローレンツ・アンホルト作、キャサリン・アンホルト絵)』を毎日のように読んでいた。長女はそれを毎日読んでほしいとせがんだ。どの場面が好きなのか聞くと、産まれた赤ちゃんにどうしても構ってしまう両親に拗ねて、雪が降る家の外に出て、お気に入りの人形を放り投げて「あかちゃんなんていらない!もう、あかちゃんなんて、どっかいっちゃえ!」と叫ぶシーンだと言った。それは、とても切なくて、大丈夫だよと、長女を抱きしめた。
3月7日午前中に妻が退院。病院の飯に飽きたのでパンを買ってこいとの命を受け、車の後ろでパンを食う姿は、とても美味しそうだった。シャバの空気ってああいう感覚なのだろう。長女の時は退院して入った家の寒さに、体温調節がうまくいかない妻がひたすら震えて悪寒状態になっていたが、家に入ってそこまでにはならなくて、家を新築してよかったと痛感した。
保育園から戻ってきた長女の喜びようはすごかった。嬉しくて嬉しくて仕方ないのだろう。長女と自分から、入院していた間何してたかを聞いてた妻だが、一番印象に残っているのは「お父さんと楽しいことして美味しいもの食べてたから、ちょっとふっくらしたよね・・・」というセリフで、それはそうだとドキッとした。
②3月9日~3月20日:親が来てくれた期間
3月9日~15日までは三枝家の両親、3月15日~20日までは妻の母親が駆けつけてくれた。本当に助かった。
家事で言えば買い物と炊事と掃除。特に炊事は本当にありがたく、私も料理は好きなタイプではあるが、やってもらえることは本当に家事に割く意識や「やばい、ご飯何作ろう・・・」という追われている意識なしに過ごすことができて、繰り返すが本当に助かってありがたかった。
特に長女にしてみたら、自分のことを無条件に構ってくれる人がこれだけいるというのは、産まれてすぐの環境変化に徐々に慣れていく期間としてとてもありがたかったと思う。私と妻だけだとどうしても産まれたばかりの次女に振り回されるし、長女の「あれやりたい!」に応えられるタイミングも少なくなってくる。それを親たちが引き取ってくれたのは、家族全体にとって良い効果だったと思う。
妻も1人目の時に記憶してるほどのボロボロな感じではなく、なんか割と元気そうで家の中でも動いたりしていた。できることは自分でやろうとして、むしろ私の方が「いや、そんなんせんでええから寝とけよ!」と何回か突っ込むくらいには元気(それに対して「いや、やれることとかはやっていきたいから」と言われていた)で、次女もこの時期は母乳やミルクをよく飲んで割とよく寝る感じだったので、長女の時よりも寝不足ではなさそうだった。精神的にも安定していて、1週間もしたら「もう家にいるの飽きた」とこぼしていた。
ついでに言えば、産後2週間半くらいで妻は外にランチを食いに行ってた。家の飯は飽きたらしい&義理の母もせっかくなので外食を・・・ということだが、元気すぎるだろ。
そして、何気にこの時は両親のおかげもあって、手が空くことも多かった。そんな手が空いたときに「何をしたらいいか」は、結構迷った。もっと言えば「育休を取得している中で、どこまでやっていいんだろう」みたいなのは、割と過敏な悩みとして直面するものであった。
例えば、両親が来たので妻が「せっかくだから家族でランチでも食べてくれば?体調も大丈夫だし、ご飯はレトルトとかで別に負担にもならんし」という言葉に甘え、市街地の飲食店へ両親を連れて行ってランチをした。その時も「育休とりつつ、妻子を置いて両親連れてランチに行くとか、ありなんかな」とか結構本気で悩んだりしていた(12:00のランチタイムバキバキで色んな人が外に出る時に市街地に行くのがちょっと嫌だったりした)。「妻が希望して、家族で行くのはなんとなく許される気がする」とか「買い物に行くのは全然OKだよね」とか、なんとなくそこに言い訳と正当な理由を考えてしまうのは、公務員という立場だからなのか、自分が過敏なだけなのか。例えば、平日の昼日中に1人で温泉に行くとか、夜に誰かと飲みに行くとか、仕事とは異なる気になるイベントや勉強会とかに行くとか、スキルアップのための学びを得るとか、結構考えてしまう。
女性が1年間育休をしている最中に、上記のことをしても特に何も気にしないだろう。少なくとも自分は気にしない。休日は長女もいるので、平日に自分が休暇とって「ちょっと温泉行ってくるわ!」みたいなのは全然いいと思うし、別に夜どっか友達とご飯行ってきたもらっても全然いいし、気になるイベントや勉強会やスキルアップのプログラム受講とかゴリゴリやればいいと思う。でも、自分がそれをやるとなると「いいのだろうか」という感覚がどうしても脳裏に浮かんでしまう。
男性も育休を取ることがマジョリティになってきて、それが一般的な感覚として醸成されれば、この感じも払拭されるのだろうか・・・どうなのだろう。自分の中でも、社会としても「男性が育児休業するとは、なんなんだろう」が定まっていない気がする。
※ちなみにこの期間に大学院の卒業式が平日長野市であり、両親が来てくれたので出席した。式典後に先生も交えた懇親会(飲み会)があり参加したが、それも自分の中では「いいのかなあ」というのがあり、参加した直後はあまり誰にも言えなかった(SNSも日付はあえて載せなかった)。気にしすぎなのか、普通の感覚なのか、その辺りは今もって分からない。
③3月20日~24日:4人家族で過ごす序章期
3月20日の朝に、義理の母親が福井へ帰って行った。
いよいよ家族4人で過ごす時間がスタートした。
この変化は、その他の要因も折り重なり、自分はかなりしんどくて、ちょっと病んだ。
20日は祝日で、保育園は休みだった。そして22日は金曜日だったが卒園式という行事があり保育ができず休みだった。つまり、この5日間のうち4日は長女も一緒であり、色んな変化がドバッと重なってきた。
両親sがいなくなることによる、やってもらってた家事を全てやることになること。そのための段取り(買い物、料理の仕込みなど)をやらなければならないこと。それらを活発で甘えたがりの長女と、寝たきりで言葉も話せない次女がいる中で、そちらのニーズや要望を汲み取り対応しながら調整する必要があること。特に長女は「お母さんじゃなきゃヤダ」モードが度々発生しそこの調整もいること(両親も帰ったので特にこの時期は甘えたがり)。妻自身も元気とはいえ産褥期の中でどこまで何ができるのかを探り探りやり、お互いにその距離感を日々調整し話しながらやっていること。
そのような段取り調整やら不確定要素やらが日常の中に入り込みまくって、しかもそれは別に「やれば終わって次のフェーズに続く」ようなものではなく、飴のように延びた時間に位置付けられるような果てがないような感覚であるものであること。それらがドバッと襲いかかってきて、割とストレスになっていたようで、日曜日でもあった24日の夜に、とうとうなんとなく糸がプツンと切れてブラックゾーンに突入した。
自分がそこまでそういった変化に強くないというのはあるのと、様々な自由が制限され1人の時間がなくなっていくことに殊更ストレスを感じるという特性は強い。逆に言うとそれもストレスで「ああ、自分はこんなことも数日耐えられないのか」という自己嫌悪と自己攻撃につながり、自己否定が募る。そしてそういうモードになることで家族に迷惑をかける自分が嫌で、更に自己否定が始まる。その中で「ああ、自分はやっぱり子育て向いてないなあ」「なんの役にも立ってない」という思いが湧いてくる。それがそのまま「このまま生きてて楽しいのだろうか、死にたい」という短期的な希死念慮が生まれ始める。そしてそう思ってしまう自分が嫌で、更に自己否定が始まる。
その日の夜は飯も食べずに、キッチンで食事の準備をしてひたすら自分はアルコールを摂取していた。こういう時、特に孤独を感じる。なんとなくMessengerでこの気分のまま数人にメッセージを送ってしまったが(すみません)、こういう気分の時に、上に書いたような自分の中で起きている悪循環的なものを吐露できて、それに少なからず理解や同調ができそうで、そこから浮かび上がれるところを付き合ってくれる人は、今のところいない気がする。というか、こんな面倒臭い自己感情に他人を付き合わせるのは申し訳なさすぎると感じる。
なんとなく考えを伸ばしてみると、このダークゾーンの直接的なきっかけは「育児」である。この「育児」由来のダークゾーンを、話せる人があまりいないのではないかと思う。
もう本当に偏見極まりないが、育児休業とる男性ってなんかちゃんと子育てしてる人のように見えてしまう。家庭を大事にして、子供もちゃんと好きで、妻も大切に思っている、みたいな。なんか「会話ができない乳児とかマジで何考えてるか意味わからねえ」とか「自分の子供だからっていきなり愛情持てるわけじゃないよね」みたいな、割と「父親業向いてないし、なんなら父親失格で人格破綻してるよなあ」的なことを考えてしまう人っていない気がする。なんかみんなちゃんと育児もやって、キラキラしているイメージだ。だから育児休業を取るんでしょ、みたいな。
そして、そんなドロドロしたのを公開してしまうと、なんか批判されて炎上してしまう恐怖感もある。「そんなこと言ってるの甘すぎるっしょ」とか「母親なんてもっと大変なんだから、何ぬるいこと言うてんねん」とか「また父親になり切れてない男がここにいるわ」とか、すごく言われそう。Xとかで「男で育休中だが子育てつらい」みたいに呟いた瞬間、焼け野原になる気がする。
愚痴を言える人が周囲にあまりいなくて、SNSとかでも公開できない。
そうすると、どうしても孤独に抱え込むことになって、それは澱のように鬱積していくものになる。
なんとなくその感覚を理解しているからこそ、自分は「いや、めっちゃ頑張ってるやん」みたいなノリで無責任に言ってあげられる奴で居続けたい。
そして、自分がこんな感じになったからこそ、育休取らなかったらこの辺の負担が全部妻に行ってたんやろなーと思うと、取ってよかったと思う。どこまで役に立ったかは知らんけど、これを全部抱え込むのは、つらい。同じ感覚を共有できて、その感覚を持ちながら話せるだけでも、ずいぶん気持ちは楽になる。
④3月25日~4月3日:年度末年度始め保育期間
年度末年度始めは「希望保育」といって、我が地域では希望する人のみ保育園が預かるということになっている。保育園側も人事異動があるし、学年が変わる準備もあるし、色々忙しいのだろう。
基本的に保育する人は弁当持参、そしてうちの園は少人数すぎるせいか希望保育期間の3日間は別の園に預けることになる(車で10分くらい)。実家が近い家庭が多いため、うちのクラスで希望保育をフル活用した家庭はうちくらいだった。
色々環境が変わる最中だったが、長女は変に取り乱すこともなく、安定して保育園に行ってくれていた。
この期間は、保育園は弁当持参となる。
夜の間か、あるいは毎朝ちょっと早く起きて、弁当のおかずを作っていた。また、この時くらいに義理の実家で使っていたOisixを活用し始め、Oisixのおかずを併用しつつ弁当を作っていた。
特に卵焼きは好物なので、ほうれん草や小松菜や、玉ねぎニンジンをみじん切りにして卵焼きと混ぜ、野菜と食べられる卵焼きをひたすら作っていた。ネットで上手に作るコツを調べて、日々きれいに出来上がっていくのは気持ちよかった。
特に「弁当何が美味しかった」と聞いて、Oisixの美味しそうな肉系の惣菜がある中で「卵焼き!」と長女が言った時には、冥利に尽きるなあと思った。
この時期に、妻と話してて印象的だったことがある。
ある日、保育園の迎えに行って、先生に「お弁当いつも美味しそうですね、お母さん作ってるんです?」と言われたので「冷凍とかもあるけど、基本的に自分が作ってますよ」と言ったところ「すごいですね!」という反応が返ってきた。それを妻に話したら「よかったね」「でも、それ私が言ったら反応が少し違ったかもしれない。私が弁当を作るのは多分世間的には普通で、父親が弁当作るって一般認識だと珍しいと思うんだよね」と。
なるほどなあと思いつつ、その日の保育園迎えの時に別の母親(友達)と話していて、三枝「弁当ってさ、〇〇が作ってるんだよね」〇〇「そうだよ〜」三枝「仕事いって、お迎え来てさ、夕飯って同居してる義両親とか作ってくれたりするの?」〇〇「いや、自分で作ってるよ。だから迎えの後って早く帰りたいんよ!(遊びまくってる子供を遠い目で見て)」三枝「いやめっちゃすごいやん、それ本当によくやってると思うわ・・・すごいっすよ」みたいな会話をしていた。
それは別に世間一般にとっては「女性が時短勤務をして、男性がフルタイムで働いていて、普通のこと」なのかもしれない。けど、単純に話を聞いて「いやマジでそれをやり続けるってめっちゃすごいやん」と感じて、多分保育園の先生と同じような反応と言葉が出てきたと思う。
なんか普通のやりとりな気もするし、でも潜んでいる何かがあるかもしれないと、なんとなく自分の中でこの会話はフックになって、印象に残っている。
我々の触れている世間や社会の「普通」が、自分の中の「普通」を形成している。その尺度で見た「普通のこと」に触れたとて、別にそれに対して感情やスゴいと思う感覚は出てこない。そして、その世間や社会の「普通」に浸り、自分の「普通」が合わさる中で、それは「他者もやって当たり前の普通」になっていく。だから、同質性の高いコミュニティだと、その「普通」に対して、特段何かを感じたり、やっていてスゴいみたいなことは発生しなくなってしまう。もっといくと、「普通」をやっていないことに対する否定や攻撃にもつながってくる可能性も出てくる。
そして、その「普通」は、それを「普通」としていないコミュニティや人と関わることで、まずは「あれ、普通じゃないんだ」ということを、その接点からじわりと揺らがせて気づくことで、認識が変わっていくんじゃないかと思う。
弁当を作ることだって、単に「作る」くらいだったら1時間もかからないだろう。でも、冷蔵庫の中身を確認してあるもので何を作れるかを考え、そこから栄養バランスや品目数はもちろん、弁当で時間が経ってもいいメニューや、ぐちゃぐちゃにならないように汁気の少ないものにしなきゃとか、昨日一昨日となるべくかぶりたくないようにとか、食べてくれるものは何にしようとかを考えるその頭の中の作業は、自分は結構大変だった。娘はまだ結構なんでも食ってくれるが、好みがある子供がある家庭だともっと大変だろう。それがわかっているから、弁当作ってるよーという話を聞くと、女性だろうが男性だろうが「いや、めっちゃスゴいやんそれ」と、自分は反応するだろう。
同質性の高いコミュニティだと、「やって当然」の感覚と、その「当然」のラインもどんどん上がってくる。やっていても評価されないし、褒められない。でも、それは他のコミュニティにいる人からすれば「いや、スゴいじゃん」となる。
そのコミュニティ同士の行き来や接点が増えると、「普通」が「スゴい」になって、もっとお互いに褒め合ったり、感謝し合ったり、優しい世界になっていくんじゃないのかなあとも思う。
⑤4月4日~4月15日:通常保育、育休復帰準備期間
4月4日からは、通常保育に戻った。
3月29日に次女、4月2日に妻の1ヶ月検診も終わり、身体的にも精神的にも特に問題がないとの診断が下され、妻の体力も回復してきて、それに伴い生活も徐々に安定してきた。
妻から「もう復帰しても大丈夫やで」と言われ、4月8日週か15日週に復帰することにした。ただ、保育園の送り迎えと夕飯の支度などが全て重なるのは大変やと思うので、夕方は自分が保育園に迎えにいけるように、時短的な働き方ができないかを人事課と相談。一旦5月までは有給でそれをやりながら(余ってるし、様子見も兼ねて)、GW後は制度を使うのか否か、あるいはフレックス的に朝夜に仕事をするのか、みたいなのを含めて考えていきたいという方向で、復帰を決めた。
保育園も通常保育となり、弁当も作らなくて良くなり、また妻の体調も戻ってきて色々できることも増えてきた。なんとなくこれまでの期間よりも、ある程度自身の自由にできる時間は増えてきたように思うが、しかしながら思ったより「育休中にあれこれやりたいと思っていた」ことは進まなかった。仕事でも余白がある時にまとめたり作っておきたかったものがあったり、読みたいと思っていた積み本や新しく買った本もあったり、noteでも書きたいと思うこともあった。それ以外にも頭の中で企画してアウトプットしておきたいことがあったが、多分想定していた10%もできていないのではないかと思う。
それは、日常の中で発生するあれこれを「期限がある中でどのように処理していくか」という段取りに関する脳味噌と、仕事やそれ以外の諸々を実施する脳味噌のモードが(少なくとも三枝は)ある程度の距離感があり異なるモードとしてセットされており、その切り替えがスムーズにいけなかったからだと思われる。
娘が起きてから洗濯を干しながら朝の支度、保育園に送ってからは昼飯どうするかを妻と話しながらその日の予定を確認(なんせ家にいるので冷蔵庫の中身の減りも早く、買い物も普段より頻度高くする必要がある&妻のやりたいこともあるので次女の取り回しも検討)、昼飯を外やら家やらで食べて一息ついたら次は夕飯のことを考えなければならず、また次女を風呂に入れる時間を検討した上で(まだ寒い日もあるので日中入れるか夜入れるか)、長女の保育園の迎えを行い、帰ってきてからは夕飯お風呂と長女が寝る前の間。長女が寝るにあたっては次女が泣いていると長女が寝ないので、うまく授乳やミルクをあげてから寝かしつけてタイミングを合わせる・・・と、大体21時くらいになり、毎日異なる就寝前後の状況に精神的にも疲れて(気を遣ったり、なかなか寝なくてイライラしたり)といった状況で。
この隙間隙間でPCを開いて何かをやるという「モード切り替え」は、自分はすごく苦手なんだなと思い知った。
仕事(もはや何が仕事か自分でもわからないが)に向き合うには、それに向き合うモードに自分が入れるだけの環境設定などが必要なのだ、とつくづく感じた(余談だが、それを鑑みるとよく大学院の講義やレポートやリサーチペーパーを家で書けていたなあと思う)。
自分は仕事が割と好きな方だと思うし(少なくとも今の仕事は)、やはりそれで社会的なつながりや価値を感じるタイプなのだというのを育休期間で実感した。それに上述したように、復帰することで社会に価値を発揮できる仕事に集中できる環境が取り戻せることは、割とポジティブに受け止める自分もいた。
一方で、この期間に感じていた平穏や安寧感。家族や家庭というものにたっぷりと浸って向き合うことができて、生産性や効率性や独自性といった仕事に求められるような諸条件から距離を取れる環境に対する惜別の念を感じる自分も、正直なところ存在していた。
何かに常に追われている感覚や、自分の価値というものを出そうという無意識的な要素も含めた感覚から離れることができたのは、いつぶりだろうか。前職の独身時代、長期連休中に1人でひたすら車で知らない土地に、興味の赴くまま予定も立てずに旅をしていた時以来かもしれない。いや、今回はその時間を家庭や家族に費やしていたので、もしかしたら初めての感覚かもしれない。
安寧、安らかさに浸るのも、悪くないと思える自分がいたのは、一つの発見だったと感じる。
総括・所感
こんな形で、育休を取得した日々は過ぎた。
各フェーズで感じ、考えたことについては、それぞれでかなり分量を費やしながら記載をしてみた。まだ復帰から日が浅い中で総括できるほどの客観性や自信の土壌への還元もできていないように感じる。ので、そこまで総括的なものは書ききれないように思う。
育休の取得は、万人に勧めるものではないと、今、自分は感じている。
個人の得意不得意や、夫婦の関係性や経済性によって、家庭や仕事や育児とどう向き合うかは、十人十色だ。それはそれぞれの夫婦があるべきを対話しながら作っていくものであると思う。
でも、そこに少なくとも「アンコンシャス・バイアスから距離を置き、本当に自分の意思で選ぶことのできる選択肢」があること、その選択肢を並べてみた上で、対話をして自分自身で意思決定を踏まえて、夫婦で決断を下すこと。これが肝要なのではないか。それがないと、どちらかが犠牲になったと感じてしまったり、変なしこりが残ったり、どこかで子供への愛着問題につながっていく可能性が芽生えてしまうのではないだろうか。
その前提である中で、育休を取ってみた素直な感想として、取ってよかったと思う部分は大いにあるし、楽しいと感じている自分がいる気がしている。
①でも書いたが、長女とは本当にかけがえのない時間を過ごせたと思う。1ヶ月以上経った今でもその時の思い出は何かキラキラと自分の記憶に残っているし、「仕事に長野市行くよ」と言ったら「行きたい」と長女も言うくらいだから、多分今のところは記憶に残っているのだろう。長女がいつまで覚えているかは分からないが、自分の中にあの期間の思い出が残っていれば、それでいい。
次女は・・・正直、まだわからない。言語でのコミュニケーションが取れない乳児の人を相手に、自分はやはり、いくら自分の子といっても無償の愛を捧げられる人間ではないなあと感じるし、相変わらず子育てに向かず父親としてどうなんだろうと思う自分がいる。長女との関係性づくりに苦慮したあの期間は再度経なければならないんだろうなあということに、遠い山頂を見つめる気分でもある。でも、長女の時と違って次女は割とミルクを飲んでくれるし、寝る時もゴリッと寝てくれることが多いので、長女の時よりは自分も余裕を持って次女と接したり、接する機会も多いのではないだろうか、と思う。
妻は、育休は助かったと言っている。別にそこまで特別に役立ったとは思わないが、長女と次女がいる中で「一人でやっている感はなくて、それが精神的によかった」「さまざまな機会で、会話や対話などのコミュニケーションが取れたのがよかった」と言っている。確かに、周りの環境も、身体も精神も出産は変化が多い。その変化をどのように捉えて日常性を構築していくかという、エネルギーが必要なことに向き合うのに一人ではなかなかに大変だろう。その日常性の構築に、二人で話しながら環境を整えていったのはよい経験だったのではないだろか。
それぞれの夫婦や家庭は十人十色であるが、それぞれで様々な楽しさや大変さにまみれながら、それぞれ頑張っていたりする気がする。
そんなそれぞれの頑張りを相対評価ではなく絶対評価して、無責任に「ええんやで」と言ってあげられたらなあと思ったりする。わからんけど、多分自分なりに頑張ってねんやろ。その頑張りはとりあえず認めたってもええんちゃうか。たまには逃げてもええと思うで、気ぃ張り過ぎんとがんばりやー。
みたいな感じで(なぜか関西弁)、自分が大変だった時に言ってもらって心が軽くなった言葉を、無責任にとりあえず投げつけてあげられるといいなあと思う。
そして「アンコンシャス・バイアスから距離を置き、本当に自分の意思で選ぶことのできる選択肢」を少しでも多くの人が持てたらいいと思うし、これは自分の娘たちがこの地域や社会で生きていく中で、持つことができる世界にしていきたいなあと思う。