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ショートショートその71『斬る者の戯言』/刀による連続斬殺事件が発生。その犯人を名乗る男が出頭してきたが……
【第1幕】
最初の事件が起きたのは、雨の降りしきる深夜だった。
繁華街の路地裏で発見された遺体は、まるで時代劇に出てくるような手練れの剣士に斬られたかのように、一刀のもとに絶命していた。
被害者の身元は、都内在住の会社員。
警察の捜査は難航した。
防犯カメラには不自然な乱れが生じ、現場に残された足跡は忽然と消え、目撃証言は惨殺の瞬間を誰一人として捉えていなかった。
二件目の犠牲者が見つかったのは、その一週間後のことである。
今度は都心のオフィス街。
深夜残業を終えて帰宅途中の女性が、警備の行き届いたビルの谷間で斬殺された。
捜査本部は被害者同士の接点を必死に探したが、年齢も、住所も、勤務先も、交友関係も、まったく共通項は見当たらなかった。
その後も犠牲者は増えていった。
主婦、大学講師、自営業者――。
被害者の属性は実に多様で、手がかりとなるような共通点は見いだせなかった。
唯一共通していたのは、すべてが深夜に、刀による斬殺という点だけだった。
捜査本部に転機が訪れたのは、五人目の被害者が発見された後だった。
担当刑事の一人が、被害者たちのパソコンやスマートフォンの通信記録を徹底的に解析していた時のことである。
それは些細な発見から始まった。
被害者たちが、いずれも放送局に対してメールを送信していたという事実が判明したのだ。
さらなる解析の結果、驚くべき共通点が浮かび上がった。
被害者たちは全員、様々な放送局の歴史ドラマに対して「史実と違う」というクレームを送り続けていたのである。
着物の柄が時代錯誤である、武将の使用する言葉が違う、城の建築様式が間違っている――。
各人各様の内容ではあったが、いずれも歴史考証に関する執拗な指摘ばかりだった。
【第2幕】
連続殺人事件の報道は、たちまち社会の注目を集めた。
各テレビ局は一斉に特別番組を組み、評論家たちが様々な見解を述べ立てた。
歴史ドラマを制作するテレビ局による組織的犯行説が囁かれ、視聴率至上主義への批判と相まって、放送局に対する厳しい目が向けられた。
一方で、インターネット上では異なる観測が広がっていた。
歴史ドラマの熱狂的なファンによる私刑だという説である。
視聴者の楽しみを台無しにする煩わしいクレーマーたちへの制裁という見方だ。
ネット掲示板には、クレーマーたちへの同情より、むしろ快哉を叫ぶ声が目立った。
しかし、真相はそのどちらでもなかった。
事件から一ヶ月が経過したある夜、都内の公園で新たな殺人が発生した。
深夜の薄暗い街灯の下、一人の男が血に染まって倒れていた。
警察の調べによれば、この被害者もまた、ある歴史ドラマで描かれた本能寺の変の描写について、「史実と大きく異なる」という抗議のメールを放送局に送り続けていたという。
殺害方法は相変わらず刀による一刀両断。
しかし今回は、これまでになかった違いがあった。
防犯カメラが、犯人の姿をわずかに捉えていたのである。
服装こそ現代的だが、その容貌は歴史の教科書で見覚えのある、あまりにも有名な戦国武将のものに酷似していた。
【第3幕】
とある警察署に1人の男が出頭してきたのは、雨の降り続く夕刻だった。
「わしが犯人だ」
その一言は、まるで時代劇のような古めかしい言い回しで告げられた。
男の容姿は防犯カメラの映像と完全に一致していた。
身なりこそ現代的だったが、その立ち居振る舞いには古びた気品が漂っていた。
しかし、取り調べ室で明かされた男の正体は、誰もが予想だにしない衝撃的なものだった。
「わしこそが、織田信長である」
言葉の端々には、まるで戦国時代そのものから抜け出してきたかのような威厳が感じられた。
取り調べを行う刑事たちの表情が凍り付く。
男は淡々と語り続けた。
「本能寺の変は、わし自身が仕組んだものだ。光秀の謀反は、すべてわしの演出による自作自演。あの炎上する本能寺から逃れ、わしは『死んだ』ことにして姿を消した」
驚きの告白は続く。
「その直前、わしは不老不死の秘薬を手に入れていた。それ以来、わしは時代の変遷を見守り続けてきた。徳川の世も、明治維新も、戦争も、そして現代も。すべてを、この目で見てきたのだ」
取り調べ室に重い沈黙が落ちる。
刑事たちの表情には困惑と戸惑いが浮かんでいた。
しかし、男の語り口には一片の迷いもなかった。
「お前たちは『史実はこうだ』と、まるで確定した事実のように語る。教科書やドラマの中で、わしの生涯を勝手に解釈し、決めつける。そうやって歴史を固定化することが、どれほど愚かなことか」
男の声には、静かな怒りが滲んでいた。
「歴史とは、生きものだ。時代とともに解釈は変わり、新たな視点が生まれる。それなのに、『史実が違う』などと、傲慢にも正しさを振りかざす。そんな輩に、わしの時代を語る資格などない」
その瞬間、取り調べ室の空気が一変した。
男の周りに、まるで戦場の修羅と化したかのような威圧感が漂い始める。
「殺したのは、すべてわしだ。奴らは『史実』という名の牢獄の中で、歴史を殺していた。わしがその報いを与えただけだ」
信長を名乗る男の告白に、部屋の空気が凍り付いた。
【第4幕】
「本物の織田信長なら、本当の史実を語ってみろ」
取り調べ室の空気が張り詰める中、主任刑事が信長と名乗る男に詰め寄った。
男は静かに目を閉じ、かすかな嘲笑を浮かべる。
「本当の史実か——。そうだな。まずは、わしが不老不死を求めた理由から話そうか」
男の口調は、まるで遠い昔を懐かしむかのように変わった。
「天下統一まであと一歩という時、わしには不安があった。わしの死後、わしの描いた世が歪められ、崩れていくのではないかと」
男は目を開け、刑事たちを見つめた。
「わしが目指した『天下布武』は、単なる武力による統一ではない。古い因習や地域性を超えた、新しい秩序の構築だった。すべてはこの日の本を変えるための布石。その成果を、この目で見届けたかった。永遠の命を手に入れ、永遠にこの日の本を支配することも考えたが、わしの考えはそんな些細なことではない。あくまで、秩序を見守ること。それだけだ」
取り調べ室の明かりが、男の表情に深い陰影を作る。
「不老不死の力を得、本能寺で死んだことにし、わしは密かに見守る立場になった。しかし、わしは予想もしない事実に直面することになる。歴史は、誰の思い通りにもならないということをな」
男の声には、どこか深い諦めが滲んでいた。
「徳川の世を見た。明治の変革も見た。戦争も、敗戦も、そして現代も。そのたびにわしは気付かされた。わしの理想とした世も、単なる一つの可能性に過ぎないとな。どの時代も、その時々の解釈で動いている。誰かの理想が実現しても、それはまた別の誰かの不満となる。『正しい歴史』などというものは、存在しないのだ」
主任刑事が言葉を遮る。
「だからといって、人を殺していい理由にはならない」
「ふむ」
男は顎に手を当てた。
「確かにその通りだ。わしも、人を殺めることは本意ではなかった。だが、『史実』という名で歴史を縛り付けることは、もっと罪深いことではないのか」
男は立ち上がり、窓の外を見つめた。
「わしは昔、自分の理想を押し付けようとした。その過ちに気付くまでに、実に長い時を要した。しかし現代は、『史実』という名の下で、さらに強固な『正しさ』が押し付けられている。細部の時代考証に執着しながら、その時代の本質は見ようともしない」
主任刑事が再び詰め寄る。
「ならば、お前の考える『正しい歴史』を語ってみろ」
男の表情が一瞬、寂しげに歪んだ。
「正しい歴史など、どこにもない。あるのは、ただその時々の真実だけだ。光秀は謀反人でもあり、忠臣でもあった。わしは暴君でもあり、革新者でもあった。時代は、解釈によって無限に姿を変える」
刑事たちの表情が険しくなる。男の言葉は続く。
「しかし、あえて語るとしよう。正しい歴史の一例として、本能寺の変の真相を——」
そこで男が語り始めた歴史は、あまりにも通説とかけ離れていた。
教科書に書かれた史実とは似ても似つかぬ物語に、刑事たちの表情は明らかな不信感を示していた。
「戯言は終わりだ」
主任刑事の声が冷たく響く。
男は深いため息をつき、再び口を開いた。
「やはり、そうか。どの時代でも同じだ。人は自分の信じたい『史実』しか受け入れない。わしの語る真実も、所詮はわしという一人の人間の解釈に過ぎぬのだろう」
その時、取り調べ室の空気が一変した。
男の周りに、底知れぬ威圧感が満ち始める。
【第5幕】
それは、一瞬の出来事だった。
取り調べ室の蛍光灯が不規則に明滅し始める。
男の姿が一瞬かき消え、次の瞬間には刑事たちの背後に出現していた。
誰も、その動きを目で追うことはできなかった。
警官たちが一斉に拳銃を構える。
しかし男は、まるで舞うように彼らの死角へと身を翻す。
その動きは人間離れしていた。
時代を超えて磨き上げられた武術の極致——それは戦国の修羅が現代に蘇ったかのような光景だった。
「動くな!」
主任刑事の声が響く。
警官の一人が発砲する。
弾丸は男の胸を貫いた。
男はゆっくりと床に倒れ込む。
取り調べ室に沈黙が訪れる。
そして——。
倒れていたはずの男が、ゆっくりと立ち上がる。
胸から血が流れて、苦痛の表情は浮かべているものの、男は生きている。
やがて、男の口元にかすかな笑みが浮かぶ。
警官たちは、非現実的な光景に釘付けとなった。
血に染まった胸元に手を当てながら、男は窓際へと歩み寄る。
警官たちは、まるで呪縛されたかのように動けない。
夜の闇が、窓の外で男を待ち構えているかのようだった。
「歴史は、生きているのだ」
それが男の最後の言葉となった。
次の瞬間、ガラスの砕ける音とともに、男の姿は夜の闇へと消え去った。
警官たちが我に返り窓際に駆け寄った時には、もう何も残されていなかった。
防犯カメラは不可解な乱れを記録し、足跡は途中で途切れ、目撃証言は惨殺の瞬間を誰一人として捉えていなかった——。
まるで連続殺人事件の初期と同じように、すべての痕跡が闇に溶けていった。
残されたのは、床に散らばった血痕と、砕けた窓ガラスだけ。
そして、取り調べ室の空気に漂う、時代を超えた何かの気配だけが、この出来事が夢ではなかったことを物語っていた。
【エピローグ】
警視庁での記者会見は、異様な雰囲気に包まれていた。
警察幹部は、取り調べ室での出来事を淡々と説明した。
殺人事件の犯人が自首し、取り調べの最中に逃走。
その際、警官の発砲を受けながらも姿を消したという事実。
そして、その犯人が織田信長を名乗っていたという驚くべき事実。
会見場は騒然となった。
翌日の新聞やテレビは、この奇妙な事件を大々的に報じた。
ネットには様々な憶測が飛び交い、歴史ドラマに言及するたびに「信長が見ているぞ」という言葉が半ば冗談めいて付け加えられるようになった。
そして、模倣犯が現れ始めた。
黒い装束に身を包み、「我こそは織田信長なり」と名乗る者たち。
歴史ドラマの制作現場に乗り込み、時代考証の間違いを指摘する者。
SNSで「真の信長」を名乗り、歴史解釈を独自に展開する者。
まるで、誰もが「正しい歴史」を主張し始めたかのようだった。
警視庁の記者会見から1ヶ月経ち、いよいよ「現代の信長ブーム」も大きな盛り上がりを見せた頃、事件は起こった。
繁華街で、信長を模倣していた男が何者かによって斬殺されたのだ。
傷口は、連続殺人事件の被害者たちと同じ特徴を示していた。
この事件を最後に、織田信長を名乗る者たちは、まるで霧が晴れるように姿を消した。
【糸冬】