酔っ払い
人は時に、とんでもない事態に遭遇することがある。先日、電車に乗った際、人身事故で幾分ダイヤの乱れがあった。
何事かとホームを歩いていたら、数名の駅員が見守る中、マスクをした若い女性が洋服に赤い血をべっとりと付け、手を組んでストレッチャーに横たわっていた。暑さにやられたのだろうか、どうやらホームから線路内に気を失って転落したらしい。幸いにも大事故にならず、女性も命に別状はなかったようで安心したが、これが通りすがりの立場ではなく、助ける側、助けらるれる側どちらかの当事者となったら一溜りもない。
コロナ禍真っ只中だった頃の年末、私は駅で助ける側の当事者になってしまったことがあった。それは、列に並んで電車を待っている時だった。
私の左二メートル先の辺りで「ゴリッ」と漬物石が地面に落っこちたような鈍い音がしたのである。
何の音だろうと不思議に思い目をやると、特にどうということはなかったのだが、その場に居合わせた人々の視線が、何故か全員下を向いている。
私がその視線を目で追うと、年配の女性と言ってもきちんと化粧をして、それなりの身なりをしているせいか、その時は年齢不詳だったが、膝から崩れ落ちたようにアスファルトの地面に上を向いた状態で倒れていた。見方によっては寝ているようにも見えたが、普通の人がそんなところに寝る筈もなく、女性は何かアクシデントに見舞われたようだった。
呆然と立ち尽くす人々を見た私は、何とかせねばと思うが早いか、体の方が勝手に動き出し倒れている女性の元に駆け出していた。意識の有無を確認し、すぐ側にいた若い女性に駅員を呼んで来るようにお願いし、引き続き私は女性に声をかけ、どういう状態であるか訊ねた。
女性は、自分の身に何が起きたのか分かっていないようだったが、幸いにして意識はあった。
漬物石が地面に落っこちたような「ゴリッ」というさっき聞いた鈍い音は、この女性が地面に崩れ落ちた時に打ち付けた頭の音だったと分かったのは、そんな混乱の中でのことだった。
私は、女性が頭を打っていることもあり、非常に心配したのだが、頭から血を流している訳でもなく、意識もあり、両手両足がきちんと動いたので少しだけホッとしたが、私は医療従事者ではない。ただの通りすがりのお節介な男だったのだが、どうしてこんな行動をとったのか、私にも分からなかった。ただ、誰も動けなかったということがいちばんの大きな要因だったような気がする。
私は自分が出来ることの全てをやった。そのことでホッとしたのだが、救急隊員が到着してから女性にいろいろと聞き取りをしている時、私の心は北風が吹き抜けるようにすっと冷めてしまった。女性は体調を崩したのではなく、ただの酔っ払いだったのである。
気の合う仲間と一杯やって、ほろ酔いで店を出たのだろう。北風に吹かれながら電車を待っている間に、一気に酔いが回って血圧の変動でもあったのか、一瞬にして意識が飛んだものと思われる。それでも三十分くらい、私も付き合ったがもう私になすべきことはないと思い、 救急隊に全てを任せて家路に着いたのだった。
後日、私の友人が時を同じくして、その日その頃、帰宅する際駅前を通った時、救急車が停まっていたという。それは、私が駅を後にしてから二時間後のことだった。
あの状態では、救急隊員も家に一人で帰らせる訳には行かなかったのだろう。ひとり暮らしか、はたまた家族がいるのかどちらにせよ、一人で家に帰らせて何かあってはエライことである。
家族が迎えに来たのかどうか、私には分からないが、あれから二時間、倒れた酔っ払いがゴネ続けたことだけは容易に想像がついた。
私は電車を二本遅らせて、救急隊員に住所や氏名を訊かれ、答えて帰っては来たものの、その後、酔っ払い女から詫びの電話がかかって来ることもなかった。
人間、いつ何時、自分が酒に酔うことはないにしても急病で、他人様の世話になるか分からないことを考えると、徳を積んだと思って酔っ払いに目を瞑ることにしたのだった。