大須健太(Daisukenta)

エッセイスト・作家。 2023年8月15日、終戦記念日に併せたドキュメンタリー『ルソン島に散った青年とその時代を生きた女性たち』を発売。2024年、第12回絵本出版賞・ストーリー部門入賞。

大須健太(Daisukenta)

エッセイスト・作家。 2023年8月15日、終戦記念日に併せたドキュメンタリー『ルソン島に散った青年とその時代を生きた女性たち』を発売。2024年、第12回絵本出版賞・ストーリー部門入賞。

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■どんなメンバーシップか 活動を継続するためのモチベーションと緊張感を持って創作活動に専念するため。 ■活動方針や頻度 本当に私の書いた物を読みたいと心から思って下さる方への定期的な作品提供。頻度は月4回。その月によって作品の題材も変わるので作品の発表は変則的になる月もあります。 ■どんな人に来てほしいか 私の書いた作品に少しでも興味のある方に、お試しだけでもご加入頂けましたら嬉しいです。 ■どのように参加してほしいか 中々公言通りに掲載出来ない時もあるかとは思いますが、出来得る限りご満足頂ける記事をご提供出来るように頑張りますので、気長にお付き合い頂けましたら幸いです。

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  • 大須健太・作品集 Ⅱ

    毎週水曜日に掲載している無料エッセイを集めたマガジン。

  • 大須健太・作品集 Ⅰ

    メンバーシップ会員の方に向けて書き下ろした、エッセイや写真詩、小説をありとあらゆるところから集めた作品集。

  • Daisukentaの呟き

    主にお知らせや、記事にしたいけれども書く時間がない時の備忘録を集めたマガジン。

  • 大須健太の日記

    本格的な記事にするものではない、ちょっと肩の力を抜いて書いた独り言のような、そんなものを時々載せる予定です。

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  • 固定された記事

書籍出版のお知らせ

この度、あの日から三年の時を経て、書籍を出版しました。 名前だけではありますが自分自身の出版社「春桜社・シュンオウシャ」を持ち、今、自分自身が最も書きたかった人物を選び、一冊の本にまとめました。 あんなことがなかったら、私は文章を書くことを再開しなかったと思いますし、あの当時、三年後に自分が書籍を出版することになろうとは、思いもよらぬことでした。 三度もインスタグラムを消されて、私を知る人も非常に少なくなりましたが、あの悲しみが私の書き続けることの原動力になったのは事実

    • 酔っ払い

       人は時に、とんでもない事態に遭遇することがある。先日、電車に乗った際、人身事故で幾分ダイヤの乱れがあった。  何事かとホームを歩いていたら、数名の駅員が見守る中、マスクをした若い女性が洋服に赤い血をべっとりと付け、手を組んでストレッチャーに横たわっていた。暑さにやられたのだろうか、どうやらホームから線路内に気を失って転落したらしい。幸いにも大事故にならず、女性も命に別状はなかったようで安心したが、これが通りすがりの立場ではなく、助ける側、助けらるれる側どちらかの当事者となっ

      • おいのち、いただきます

         昨年はさんまが不漁で食べる機会も少なかったが、今年は大量とみえて、これでもかと言うくらいさんまを食べている。現代の子供は魚は切り身だと思っている子が多いのではないかと思うくらい、魚本来の姿を目にすることは少ないのではないだろうか。  共働きで忙しいお母さんは、わざわざ魚屋へ行って魚だけを買ってきて三枚におろしたりすることもないだろうし、ばらして調理もしないだろう。第一、魚をさばけるお母さん自体が少ないのではないだろうか。  便利なことに魚売場のパックをよく見ると「下処理済

        • 忘れ得ぬ花

           今年ももう残すところ二ヶ月を切ってしまった。秋には紅葉があり、銀杏や紅葉の目にも鮮やかな黄色や赤があちこちを彩るがそれは花ではなく、葉や木々である。また花が咲かない、色のない季節がやって来ようとしている。  花を愛でる気持ちがあるということは、多少なりとも心が平穏な証なのかもしれない。

        • 固定された記事

        書籍出版のお知らせ

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        • 大須健太・作品集 Ⅱ
          90本
        • 大須健太・作品集 Ⅰ
          137本
        • Daisukentaの呟き
          16本
        • 大須健太の日記
          6本

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        • よい天気ですね

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        • 雨の週末

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        • 今月もありがとうございました。

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        • こんにちは

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        メンバー特典記事

          忘れ得ぬ花

           今年ももう残すところ二ヶ月を切ってしまった。秋には紅葉があり、銀杏や紅葉の目にも鮮やかな黄色や赤があちこちを彩るがそれは花ではなく、葉や木々である。また花が咲かない、色のない季節がやって来ようとしている。  花を愛でる気持ちがあるということは、多少なりとも心が平穏な証なのかもしれない。

          ひとりで死んでいく覚悟

          ひとりで死んでいく覚悟

          真夜中の感謝状

           街を歩いていると、またこの匂いがしてきた。秋の訪れを知らせるキンモクセイである。ずいぶん昔だったら、春夏秋冬もそれぞれ堪能できるくらい一定の期間があったものだが、この一〇〇年で春夏秋冬も大きく変わってしまった。  街を歩いていると、あちこちでコスモスを見かける。コスモスは私にとって、そして私の母にとって特別な花である。それはずいぶん前にエッセイにも書いたのだが、子供の頃の私と母を結ぶ共通の思い出の花なのである。  今年は母が大病をしたせいで、我が家の暮らしは一変したが、

          未熟な童話・そこに存在(ある)もの

           今日はとてもいい天気です。晴れ渡った青空には一つ白い小さな雲が浮かんでいて、その反対の向こうにはもう一つ、雨を降らす黒い雲が浮かんでいます。  どちらも別に仲が悪いわけでもありませんし、喧嘩をしているわけでもありませんが、二つの雲は呑気にプカプカプカと、風に吹かれて気持ちのいい青空を、当て所なく黙って気ままに漂っています。  ちょっと下を見れば、雀の家族が旅行へ出かける途中でしょうか。群れをなして気持ち良さそうに、羽を思い切り伸ばしてチュンチュンチュンチュンと、楽しそう

          未熟な童話・そこに存在(ある)もの

          別れの時は別の顔

           子供の頃、近くの田んぼでおたまじゃくしを網で掬って、家に持って帰って来たことがあった。水道水そのままではおたまじゃくしは死んでしまうから、正月に食べた酢だこの入っていた白いバケツに水を汲んで、一日陽に当てて塩素を飛ばし、そこに掬って来た大量のおたまじゃくしを放った。  はじめは酢だこのバケツの中を、元気いっぱいチョロチョロと泳ぎ回っていたおたまじゃくだったが、数日すると一匹死に二匹死にと、日を追う毎にどんどん数が減っていった。そして、終いには一匹となってしまった。  生

          別れの時は別の顔

          ハクジョウ者

           私用で電車に乗った。目的地について用を済ませたその帰り、私は駅の構内にいた。友人たちと立ち止まりコンビニエンスストアの中を覗いていたら、私の足を容赦なく杖でピシャリと叩き払った女性がいた。驚いて振り返ると、女性はムッとした声できつく私にこう言った。 「この上に立たないで!」   女性は右手でスーツケースを引き摺りながら、左手で白杖を持ち、点字ブロックの上をスタスタと歩いて行くと、間もなくホームの中へ消えて行った。    女性は視覚障害者だった。  私は済まないと思いす

        記事

          この空の向こうとその下で

           その知らせは突然だった。  十一月七日・午後九時からNHK -BSで 「世界はほしいモノにあふれてる」が再放送されるというニュースがXのトレンドに上がった。ただの再放送であればそれほどの衝撃や反応もなかったのだろうが、この再放送をする回が、初代MCを務めた故・三浦春馬の出演回、しかも番組スタート第一回目から二十タイトルが毎週再放送されるというのである。  この番組の再放送は、彼が悲劇的な死を遂げた直後から、ファンから狂ったように再放送を熱望されていた。しかし、放送倫理の

          この空の向こうとその下で

          ひとりで死んでいく覚悟

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          ひとりで死んでいく覚悟

          扇風機

           日も短くなったし、食器を洗う時に流す水も冷たくなった。もう本当に秋が来たのだなと、そう思える気候になった。  夜もだんだんと肌寒くなり、タオルケットと毛布だけではどうも体が冷えるようで、昨日は羽毛布団を引っ張り出した。毛布を剥がし羽毛布団を掛けて寝たくらいだから、もう大丈夫。  何の話かと思われるが、扇風機の話である。いくらちょっと動いたら暑くなるからと言っても、さすがにもう扇風機の世話になることはないだろうと思ったのである。そうは言っても、日が短くなったせいで洗濯物の

          真夜中の感謝状

           街を歩いていると、またこの匂いがしてきた。秋の訪れを知らせるキンモクセイである。ずいぶん昔だったら、春夏秋冬もそれぞれ堪能できるくらい一定の期間があったものだが、この一〇〇年で春夏秋冬も大きく変わってしまった。  街を歩いていると、あちこちでコスモスを見かける。コスモスは私にとって、そして私の母にとって特別な花である。それはずいぶん前にエッセイにも書いたのだが、子供の頃の私と母を結ぶ共通の思い出の花なのである。  今年は母が大病をしたせいで、我が家の暮らしは一変したが、

          未熟な童話・そこに存在(ある)もの

           今日はとてもいい天気です。晴れ渡った青空には一つ白い小さな雲が浮かんでいて、その反対の向こうにはもう一つ、雨を降らす黒い雲が浮かんでいます。  どちらも別に仲が悪いわけでもありませんし、喧嘩をしているわけでもありませんが、二つの雲は呑気にプカプカプカと、風に吹かれて気持ちのいい青空を、当て所なく黙って気ままに漂っています。  ちょっと下を見れば、雀の家族が旅行へ出かける途中でしょうか。群れをなして気持ち良さそうに、羽を思い切り伸ばしてチュンチュンチュンチュンと、楽しそう

          未熟な童話・そこに存在(ある)もの

          追悼・大山のぶ代さん

           人間、生まれてきたからには何かしら、自分の持っている能力や才能を信じて、何とかそれを仕事に変えて世の中に貢献したい、そんな夢を見るものである。  志だけは大きく持ちながら、どうもそちらの方面には自分はお呼びでないと気がつき、地道にコツコツと人生を生きていく人がほとんどの中、人に、とりわけ子供たちに夢を与える、そんな仕事に就いて人々の記憶の中に残る、幸運な人も世の中には存在する。  その一人が九月二十九日に死去したと十月十一日に大々的に報道された、俳優の大山のぶ代その人であ

          追悼・大山のぶ代さん

          別れの時は別の顔

           子供の頃、近くの田んぼでおたまじゃくしを網で掬って、家に持って帰って来たことがあった。水道水そのままではおたまじゃくしは死んでしまうから、正月に食べた酢だこの入っていた白いバケツに水を汲んで、一日陽に当てて塩素を飛ばし、そこに掬って来た大量のおたまじゃくしを放った。  はじめは酢だこのバケツの中を、元気いっぱいチョロチョロと泳ぎ回っていたおたまじゃくだったが、数日すると一匹死に二匹死にと、日を追う毎にどんどん数が減っていった。そして、終いには一匹となってしまった。  生

          別れの時は別の顔

          手放す時

          私は、断捨離というのが好きではない。 その行為自体がどうということではなく、その言葉の響きがどうしても好きになれない。 これを書くにあたり断捨離とは何ぞや、という記事を初めて読んだが、とても理にかなっていた。 しかしそれは、断捨離という本当の言葉の意味を理解している者に限って言えることで、まだまだどこか、誤解されているようなイメージが私にはある。 紛れもなく私自身がその一人であるからだ。 何と言えばいいのか、その時々でするべき時があると思うのだが、断捨離というのは何

          ハクジョウ者

           私用で電車に乗った。目的地について用を済ませたその帰り、私は駅の構内にいた。友人たちと立ち止まりコンビニエンスストアの中を覗いていたら、私の足を容赦なく杖でピシャリと叩き払った女性がいた。驚いて振り返ると、女性はムッとした声できつく私にこう言った。 「この上に立たないで!」   女性は右手でスーツケースを引き摺りながら、左手で白杖を持ち、点字ブロックの上をスタスタと歩いて行くと、間もなくホームの中へ消えて行った。    女性は視覚障害者だった。  私は済まないと思いす

          「サンダカン八番 娼館 望郷」に見る田中絹代の生き様

           かつて、人生五十年と言われた時代があった。それは江戸時代のことだっただろうか、それとも大正時代、昭和初期までそんな感じだったのか。はっきりしたことは調べてないから分からないが、最近では七かけと言って、年齢に七をかけた数字がその人の年齢であると言われたり、元気に走り回っている人も、寝たきりで過ごしている人も皆一括りにされて、人生一〇〇年時代と言われるようになった。  できれば誰もが健康でシミやシワ、白髪もなく、若々しく元気に溌剌と人生を過ごしていきたいと思うものだが、実際に

          「サンダカン八番 娼館 望郷」に見る田中絹代の生き様

          ワインレッドのブックカバー

           そんなに多くはないが、たまに人様から物を頂いたりする。そうは言っても、旅行の土産のお菓子とかそういった気の張らない類の、ちょっとしたものが殆どだが、中には分不相応なものも頂いたりすることも、これまたたまにだがある。  もう随分と前のことだが、私の祖母は存命中、私の誕生日となると毎年欠かさず何かしら祝いの品を贈ってくれた。離れて暮らしていたので、決まっていつも小包か電報だったが、その中にすっかり忘れていた品物があった。それは、ワインレッドのブックカバーだった。革製の、文庫用

          ワインレッドのブックカバー

          秋の昼寝

           つい昨日まで蒸し暑くて適わなかったが、ここに来て急に季節が秋へと、思い出したように歩みを進めた。  連日、休む間もなくフル稼働していたエアコンも、今日は稼働することもなく小休憩。窓を開けて、ちょっと曇った空を窓越しに眺めながら布団に寝転がり、本を読む手を止め微睡む時間は、何者にも代え難い幸せなひと時である。  昼寝が気持ちのいい季節になって来たなと、密かに思ったりする。人生と同じだなと、ふと思ったりする。  手間をかけず、こんな幸せな時間を過ごせる秋も、人生の中では短