冨士眞奈美さん
先月、向田邦子が描いた下駄の話を書いたが、もう一人、下駄と聞いて、私が最近、一等最初に思い出す人は、女優の冨士眞奈美さんだ。
彼女はとても食いしん坊で、 夜中に思いつくと、夕飯に炊いた蕗の残りをおかずにご飯を食べたり、メジャーリーグのエンゼルスの大谷翔平選手にゾッコンの面食いであり、そして、いつも朗らかで童女のようで愛らしい。
女優としての活動も、年齢の割にはコンスタントに続けていて、その演技は、円熟の極みとでも言うのか、彼女の人生そのものが反映されているように輝いている。
近年では、テレビ朝日で放送された、倉本聰脚本による連続テレビドラマ、『やすらぎの郷』において、共演者の加賀まりこをも唸らせた、犬山小春という、若い頃、テレビでちょっと活躍したくらいの非常に生意気で、クセのある女優が、最後には行き場を失い、自ら命を断ち悲劇的な最期を遂げるという、役者冥利に尽きる役を演じたが、これまた彼女の演技が素晴らしく、私は泣いた。
これは、やはり冨士さんにしか出来ない、そう思わせる素晴らしい演技だったし、絶妙なキャスティングだった。あれは、彼女の女優人生後期における素晴らしい役であり、演技だったと私は思っている。特に、ウィスキーか何かを呑みながら、ニューヨークでのブロードウェイでの生活の日々を、ホームの人々に上機嫌で力説する長丁場のシーンは圧巻だった。
そんな、冨士さんだが、私は彼女が『徹子の部屋』で披露した『下駄』に関するエピソードが面白くて、またこれは一理あるなと、是非、真似をしなければと思わされるような話をしてくれた回があった。
彼女はよく骨折をする。その原因というのはその時々で様々なのだが、ある時、彼女は早めにお風呂に入り、頭も洗い涼風が気持ちいいからと下駄を履いて、洗い髪のままコンビニエンスストアへ、上機嫌でおにぎりを買いに行ったのだという。
その帰りに、彼女はもう少しで自宅というところで、運悪く派手に転んでしまい、足を骨折してしまった。
勿論、その時は彼女自身、骨折しているなんてことは夢にも思わず、とにかく起き上がれないから、周りの人に助けを求めたのだが、その時、助けてくれた人に何のお礼も出来なかったことを、酷く申し訳なく思ったのだという。
「指輪でも何でもいいから、出かける時には金目の物を身につけていった方がいいわねぇ。何かあった時にお礼として渡せるじゃない」
なんてことを、大真面目に司会者であり、彼女の古くからの友人でもある、黒柳徹子さんに語っていた。
やっとこさ家に帰り、彼女は足の具合を診るのではなく、コンビニエンスストアで買って来たおにぎりを真っ先に食べたという。ここでも、冨士さんらしくて私は笑った。
どうやら骨折したのは足首だったようで、ご本人曰く、黒パンのように腫れてしまったと言う。
それが娘にばれると大目玉を食らい、全部下駄を捨てられてしまうので、言わないでいたらしいが、残念ながら勘のいい娘にはバレてしまい、下駄を全部捨てられたと言うが、根っからの下駄好きな彼女はこっそり一足だけ、見るも無惨に捨てられた中から拾い出して来て、隠し持っているのだと言う。
そんな痛い思いをしてまでも、下駄を履いて歩きたいと思う冨士さんが、何だかとっても健気で一途で、風情のある人だと私には思えてならなかったのだった。
それからというもの、私は『下駄』と聞くなり、彼女を真っ先に思い出すようになった。
2022年8月29日・書き下ろし。