この空の向こうとその下で
その知らせは突然だった。
十一月七日・午後九時からNHK -BSで 「世界はほしいモノにあふれてる」が再放送されるというニュースがXのトレンドに上がった。ただの再放送であればそれほどの衝撃や反応もなかったのだろうが、この再放送をする回が、初代MCを務めた故・三浦春馬の出演回、しかも番組スタート第一回目から二十タイトルが毎週再放送されるというのである。
この番組の再放送は、彼が悲劇的な死を遂げた直後から、ファンから狂ったように再放送を熱望されていた。しかし、放送倫理の観点や権利関係の問題からか、再放送は不可能とされていたとみえ、この四年間一度も再放送されることはなかった。その間、気休めとでも言ったように、三浦春馬出演回が何タイトルか収録されて、DVDボックスで発売されたことがあったのみである。
彼の死去から四年を経て、ようやく再放送にこぎつけた理由とは一体何だったのか。民放ではない弱みから受信料を払っているのだから見たい番組を再放送しろという、視聴者からの強迫じみたリクエストが何度となくNHKにでもあったのか。それとも、単に様々なことがクリアして再放送に至ったのか、ただ四年という月日が流れたからなのか、それは現段階では不明であるが、理由は何であれ彼のファンらは大喜びである。
私がこのニュースを目にした時、何とも因縁めいたものを感じずにはいられなかった。なぜなら、それは彼が世を去った当日から二年間にわたり、私自身の手でインスタグラムに毎日掲載を続けた三浦春馬への追悼の散文を、この「note」から全て消去し、新たに一つのページにまとめる作業を始めていた最中だったからである。
不思議なことに、私が彼に関する「何か」を始めると、必ず、時を同じくして彼に関する「何か」が動き出すという現象が、一度ではなくたびたび起こっていたからである。その最たるものがご記憶の方も多いと思うが、私がインスタグラムでの掲載を終了させると宣言していたその日の朝、申し合わせたようなタイミングで、奇しくも彼が築地本願寺に納骨されたというニュースがXに上がった。余りのタイミングの良さに、彼のファンから「やっぱりあなたは彼の関係者だったんですね。だから、今日、彼が納骨されるのを知っていて、同じ日に掲載をやめることにしたんですね」と、私のところに誠に思い込みの激しい頓珍漢なメッセージが届いた程だった。
そんな作業をしていた矢先に、彼がまたテレビで「まるで今も生きているように」毎週彼の姿を観れることになると知った。懐かしさのあまり目頭が熱くなった。そして、流れた四年という時間の間に我が身に起こった様々なことを思い、胸が詰まり涙したのだった。そこにはもう、悲しみという感情はなかった。ただただ三浦春馬という人が懐かしく、人の良さそうなあの笑顔を思い出すと、あたたかな涙が頬をつたった。
そんな私だったが、彼に対しても彼を取り巻く世間に対しても、私の思いは複雑だった。
エッセイ「彷徨える亡霊たち」の中でも触れたが、三浦春馬という名前だけに食いついてくる視野の狭い、一種の狂気じみた読者に過剰な反応をされることに、私はただただうんざりしていた。
私は死んでしまった三浦春馬のことだけを書く人間ではないし、彼と共に死んだ人間でもないし、死んだ覚えもない。私は今も生きているのである。そして、この四年間、今生きている私の人生を豊かにしてくれ、励ましてくれ、力を与えてくれている、今を精一杯に生きている、そんな人たちのことを書きたくて書いているのであるし、生きていなければ味わえない出来事や、心境の変化、人生の機微を書いているのである。
正直、もう四年も前に死んでしまった人間に注目が集まることは、私は本意ではない。それもただ懐かしみ、 あたたかい気持ちになるだけならいいが、未だに彼は世間である意味、いいように「おもちゃ」にされている状態である。そんな状態の彼に、私は人々の関心を引きたくはないし、生きている人間、起こっている世界中の出来事、自身の周りにいる大切な人に関心を向けて欲しいと思うのである。文章を書くようになってから、もうこの世に存在しない三浦春馬という名前を出せば、どんな記事でもアクセス数が上がるという、そのあからさまな人間の心理に嫌気が差したと言っても、言い過ぎではないかもしれない。
三浦春馬という人は今もずっと好きだが、それに付随して来る煩わしい人やおかしな人、人の心に土足で踏み込んでまで己の好奇心を満たそうとする人、本質からズレたはた迷惑な行動、それらに私はもうとっくの昔に背を向けたのである。
今回のインスタグラムの散文の整理も、そういった人々の関心を引かずに済むように、そっと片隅に仕舞い込んでしまおうと思ったのがきっかけであった。
どれだけ大切な、そして大好きな人であっても、その人を取り巻く周囲の人間に嫌気が差せば、自ずとその人も嫌いになってしまうものである。私はそれを避けたかった。できるだけ早く、彼を安全な場所へと避難させたかったのである。最終的にどういう決断を下すか分からないが、 とにかく三浦春馬と大須健太はこの空の向こうとその下で繋がっている。そう思わずにはいられない、何度目かの必然という偶然であった。
春馬くん、毎週木曜日に会おう!楽しかったあの頃のように。
2024年11月4日 書き下ろし