美しい手
いつの頃からか、 自分の爪は短い方だと自覚していた。
幼い頃の話だが、私は爪を噛む癖のある子供だった。親の愛情が足りていなかったのだろうか?大人になってからは、みっともなとでも思ったのか、いつとはなしに何とか爪を噛む癖は治まったが、その代わりと言っては何だが、爪を短く切る癖がついてしまった。爪や指先のことを考えたら、余り短く切るのは考え物だと分かってはいるのだが、ついつい爪切りが食い込むところまで差し込んで、パチンと景気良く切ってしまうのである。「痛っ!」と叫んだ時には、見事に深爪をしていて時には血が滲んでいた。そんなことが何年もずっと続いているものだから、私の爪は一向に長くはならず、短いままである。
そんな経緯があって、私は男女問わず指が長くて、爪のスッと伸びた美しい手をした人を見ると目を奪われ、自分のスマートではない手をとっさに隠してしまうのである。
美しい指のことを 「白魚のような指」とよく言うが、そんな手をした人を見るとついつい自分の手と比べてしまうのは、今も変わらない。
そんな手の話で、私が最も印象に残っている話は、山田邦子さんがテレビで語っていた、今は亡き女優・夏目雅子さんとのエピソードである。山田さんは夏目さんの出演ドラマ『野々村病院物語』で、テレビドラマのデビューを飾ったのが縁で、夏目さんとの交流が始まった。
ある時、何かのパーティーで、まだその手の仕事に慣れていなかった山田さんは、目にも鮮やかで豪勢なご馳走を前にして、調子に乗って目一杯料理を口に詰め込んだという。するとそこへ、間の悪いことにインタビュアーがやって来て、山田さんにマイクを向けて来た。マイクを向けられた山田さんは、口いっぱいにご馳走を詰め込んだそれを飲み込むことも出すことも出来ず、 慌てふためいていた。
すると、それに気づいた夏目さんがどこからともなく山田さんの元へ現れた。山田さんが、
「あっ、夏目さん」
と思うが早いか、
「邦子っ!」
そう言って肩を叩いた夏目さんは、山田さんの口に自分の手を当てサッと横を向かせた瞬間、山田さんの口からご馳走を吐き出させ、何事もなかったようにそのまま姿を消してしまったという。
一瞬のことで、山田さんは何が何だか訳の分からぬまま、インタビュアーに訊かれるがまま質問に答え、急場を凌いだという。
山田さんは、夏目さんにその後、吐き出したそれをどうしたのか、夏目さんの存命中、一度も訊くことはなかったという。
この広い世の中で、他人の口の中の物を素手で吐かせて始末した人を、私はこの話をテレビで聞く前も聞いた後も、夏目さん以外聞いたことがない。こんなことを、何のためらいもなく咄嗟に、思い切りよく出来る器の大きい人になりたいと思うが、私は小者なせいか、そんな度量を生僧持ち合わせてはいないし、第一、人様の口元に出せる程、 美しい手をしていないから、きっと怯んでしまうことだろう。
美しい手というと、私は人としても美しかった、夏目雅子の手を思い出すのである。