見出し画像

【本のはなし(2)】「障がい者と健常者を隔てるものとは?〜小説・ハンチバック(市川沙央)」




正直に書くと、芥川賞受賞作には面白いと思えない作品もある。(あくまでも個人的な見解だが)
純文学は癖が強い小説が多く、自分に合わないものってどうしても読み進められない。


しかし、本作は違う。
村田沙耶香さんの「コンビニ人間」以来の衝撃だった。
大変面白く読んだのだ。


何がどう面白かったのだろう?
5つの要素に分けて書くと、


①読者を惹きつけるタイトル
②どうしてもこの小説を書かなければいけなかった、切実さが伝わる
③作者の教養の深さを感じられる
④クスッと笑ってしまうユーモアが感じられる
⑤一つとして無駄な文章がなく、文章の密度が濃い

が挙げられる。
それぞれ詳しく論じていこうと思う。


①読者を惹きつけるタイトル

ハンチバックとは今までに聞いたことのない単語である。
そのタイトルの奇怪さから思わず書店に並んでいる本作を手に取ってしまう。

ハンチバックという言葉は、背中が曲がってしまう病気のことをいう。

作者の市川さんは筋疾患先天性ミオパチーという病気を抱えていて車椅子生活を送っている。

小説の中の主人公である井沢釈華は恐らく作者自身のことをモデルにしているであろう。

ここで主人公について詳しくみてみると、主人公は生きれば生きるほどその身体はいびつに壊れていく。
ヘルパーの力を借りなければ日常生活を送ることができない。

本文の中で

〔このグループホームの土地建物は私が所有していて、他にも数棟のマンションから管理会社を通して家賃収入があった。〕(p16)


と書かれているが、主人公が特殊なのは、親が莫大な遺産を残していて、家賃収入だけでほぼ生活ができ、経済的に豊かであるという点だ。

経済的に豊かであっても、主人公が抱える障害が消えるわけではなく、主人公の存在そのものが「ハンチバック」であるのだ。

いいタイトルというのは本の内容が予想できないし、妙に記憶に残るタイトルではないだろうか。

本作のタイトルはまさにそういった「いいタイトル」なのだと思う。


②どうしてもこの小説を書かなければいけなかった、切実さが伝わる

作者の市川さんは「書く」ことでしか他にお金を稼ぐ手段がなかった、とインタビューで語っている。

本作の主人公もネット上で文章を書いてお金を稼いでいる。

生計を立てるための手段と、自己表現あるいは自己実現をする手段としてこの小説を書くということが市川さんにとって不可欠だったのだろう。


そういった意味での「切実さ」もあるし、この作品が伝えようとするメッセージ性からも「切実さ」が感じられる。

本文を引用すると

〔こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい。〕(p34-p35)

という文章が印象的だ。

作者は、健常者と障がい者というカテゴリー分けを使って、健常者が普段気づかない障がい者にとっての現実について明らかにしようとする。

つまり、圧倒的な「当事者性」でもって本作の持つ強烈なエネルギーに読者は心を揺さぶられるのだ。

それは普段見えている現実が反転してしまうような大きな衝撃である。同情とか共感とかそういう生易しいものではない。どうしてもこの作品を、世界は必要としているのではないかとすら思えてくるのだ。


③作者の教養の深さを感じられる

市川さんは、早稲田大学を卒業していて、卒業論文のテーマに「障がい者表象」を選んだとインタビューで語っている。

僕は障がい者表象というのは詳しく知らないけれど、表象文化論という言葉は聞いたことがあって、それはざっくりいうと、映画とか漫画とかそういった文化を研究する学問であると認識している。

映画でいうと、本作において市川さんはデヴィッドリンチについて書いていたり、寺山修司の著作のタイトルを書いていたりする。

それだけではなく、クラシック音楽、宗教、哲学のことも作品の中に盛り込んでいる。

クラシック音楽でいうと、

〔うそ寒い長調の会話など奏でる才能のないわれわれは短調で、いや、シェーンベルクの不協和音のように枠を外して本音を語ることができる。無調的に。〕(p59)

この部分は、面白かった。
シェーンベルクなんて、相当クラシック音楽が好きな人じゃないと知らない作曲家じゃないかなと思う。

作品のクライマックス付近においては聖書の文章をそのまま引用している箇所がある。

その教養の幅の広さや好奇心の旺盛さに驚いた。


④クスッと笑ってしまうユーモアが感じられる

個人的に気に入った文章は、本文から引用すると、

〔エロは金になる、とナイスな村西とおるも言っていた。一夜にしてなれる職業は政治家と売春婦だけ、という台詞は西新宿の探偵沢崎だったか。〕(p36)

この辺は声を出して笑ってしまったし、

〔濡れた手すりに掴まりシャワーチェアに腰を下ろす。身につけているのは不織布マスクだけ。須崎さんとの時も、全裸にマスクって変態ぽいなと常々思っているのだけれど。〕(p46-p47)

この辺も面白かった。

文章がうまくてユーモアがあるなぁと引き込まれていった。


⑤一つとして無駄な文章がなく、文章の密度が濃い

文学の醍醐味って本音丸出しで読者の心にずけずけと土足で踏み込まれるところにある、と僕は思っている。

本作はそのような生々しい、人間臭い文章がほとんどで、スカッとしたような爽快感すら感じられる。

一文一文、技巧を凝らしていると感じられるし、最後の2ページでは謎を残しつつも「涅槃」とか「泥」といった単語たちの伏線が綺麗に回収されている感じもしていて、複雑だけど、でもスッキリする不思議な読後感であった。


そろそろまとめに入ろうと思う。

この作品が芥川賞を受賞したことで社会は大きく変化するのではないかとすら思える。

健常者と障がい者の間を隔てているものとはなんだろうか。それは、障がい者は特別であるという健常者の潜在意識にあるのかもしれない。


健常者であっても、できないこと、苦手なことって誰にでもある。そう考えれば、僕たちは誰もがなんらかの障がいを抱えているといえなくもないのではないだろうか。


だけど、健常者と障がい者の間に明確な線引きをすることによって障がい者は疎外され、「いないこと」にされてしまっている。


本当のところは、健常者の領域と障がい者の領域はもっと曖昧で、誰でも行ったり来たりしているものではないか。


本作のおかげで、障がい者福祉の望ましいあり方とか、読書のバリアフリーとか普段考えたこともないようなテーマについて考えてみようと思えた。


岸田首相は増税しようとしているけれど、それはそれでいいけれど、その分、国民にどういった恩恵が用意されているのだろうか?

もしかすると、日本はこれからもっと、福祉を重視した政治に切り換えないといけない時期が来ているのかもしれない。

そんな風に、社会全体のことも考えたくなるような、スケールの大きな文学作品だった。
もっともっと色々な人に読まれて欲しい。


「ハンチバック」(市川沙央)
第169回芥川賞受賞作
文藝春秋・1430円・2023年

いいなと思ったら応援しよう!