誕生日でした。
本日(29日)お誕生日でして、Facebookでたくさんのお祝いメッセージを頂きました。
Facebookにも簡単にお礼を書いたのですが、色々想いをつらつらと書いていたら超絶長くなってしまったので、こちらに書かせて貰います。
もう日付が変わってしまいましたが、改めましてみなさま誕生日のお祝いメッセージ本当にありがとうございました。
一昨日くらいまでは覚えてたのですが当日はすっかり忘れてまして、皆さんのメッセージで思い出しましたw
もうね。
コレで自分がいくつになったかをFbに教えて貰ってる感じですよ。
まぁいくつになっても「おめでとう 」と言って貰えるのはシンプルに嬉しいもんです。
本当に皆さんありがとうございます。
って書いてふと思うわけですよ。
この長い人生の中でこんなにたくさん「ありがとうございます」と言ったり書いたりした1年はあっただろうか、と。
同時に「申し訳ありません」「ごめんなさい」も一番かも知れませんがw
3〜5件を想定して思い付きで書き込んだ「HaseberEats」での配達が100件近くのお声がけをもらい、クラファンで380人を超えるご支援をいただき。
その度に「ありがとうございます!」とお礼を伝えて。
これはですね。逆の見方をしますと。
それだけ皆さんに何かをしていただいている、と言う事なんです。
だって「ありがとう」って何かと対になるアンサーの言葉でしょ。
だからですね。
人生の中で一番「ありがとう」と言ったこの1年は「人生の中で一番多くの人に気にかけて頂いた1年だった」と言う事なんですよ。
コロナ渦なんて誰も予想していませんでしたよね。
人生を揺るがす現在進行形のネガティブな出来事です。
でも、こんなに多くの方に気にかけて頂いている、と言う事が可視化され、体感出来たのも事実なのです。
僕はこっちも予想してなかった。
先述ですがHaseberEatsの配達は多くて5件程度だと本気で思ってましたし、クラファンは達成出来ないか、出来たとしてもギリギリだと本気で思っていました。
ホントに嬉しかったです。皆さんホントにありがとうございます。
今日はクラファンのリターン品の梱包をずっと一人でやっていました。
中に添えるお礼状の宛名と署名は今回も手書きしました。汚いですけどねw
まさか困っている自分に手を差し伸べてくれた方々へのお手紙を1日書き続ける誕生日なんて想像もしませんよねw
手先がプルプルしてますがやっぱり手書きにして良かったです。
エクセルの住所録を眺めていても感じることが出来ない気持ちになりました。
「あー○○さんは転勤になってから来なくなっちゃったんだよなー元気かなー」
「○○さんはこの前HaseberEatsで会ったなー今回も助けてくれてるのかーありがたいなぁ」
「○○さん音信不通だと思ってたのになんでこのクラファンの事知ってるんだ?!wさてはFBロム派だな?w」
みたいなねw
お名前を書きながら想いを馳せてましたよw
HaseberEatsでも、配達をお手伝いしてくださるとお声がけ下さった方もいたんですが丁重にお断りして全部自分で配達し、一人一人にお礼を伝えました。
大変だったけどそうして良かったと思ってますしね。
僕にはスマートなやり方は似合わないと思うのです。
泥くさいのが好きですし、人間臭いのが好きなんですよ。
きっとその方が相手に気持ちが届くと信じてますし、それは技術が発達した今も昔も、未来も変わらないと信じています。
次の1年はどんな1年になるのでしょうね。
ここまで次の1年が想像出来ない事もありません。
1年後。まだ僕は青山にいる事が出来るでしょうか。
なんとか続けていたいですね。
僕がひごの屋に入ってから既に20年近く経っているのですが、その中で色んなお客さんに会ってきました。
「20年くらい前、学生の頃デートでひごの屋を使っていた。
大人になり就職して青山を離れていた。その時デートをしていた彼女と結婚してたまたま青山に遊びに来たら見覚えのある看板を見かけたから入ってみた」
とかね。
ウチでデートを重ねて結婚し、結婚式の2次会の会場にしてくれたカップルとかね。
僕たちのような飲食店は食べ物を売っているだけじゃなくて、その場の時間を売っているのだ、と昔から言っています。
だから「いつ来てもここにある」事が大切なんです。
今店を使ってくれている皆さんがおじいちゃんおばあちゃんになってから青山に来てもここにありたいんですよ。
息子、娘を連れて食事に来て欲しい。
(その時は僕もおじいちゃんなので店にいるかはわかりませんがw)
その為にはまずこの1年。
復活の兆しを掴むための1年にしたいですね。
散々お世話になったと書いてきましたが、次の1年もまだまだ皆さんに助けていただかなきゃなりません。
今後ともよろしくお願いいたします。
ホントに皆さんありがとうございました!!