発達障害児の父として感じたこと 8 〜親への手紙と息子に対する関わり方の変化〜
【目次】
書かざるをえない状況
書いて見えてきたもの
押し付けが諸悪の根源
国も変われば価値も変わる
●書かざるをえない状況
発端はある人の言葉でした。「ブログをみました。子供を大事にしたいのであれば、家族を大事にしなさい。そして自分も大切にしなさい。」このような趣旨の話を会話の中でしてました。
私はその話を受けて、親が自分自身をありのまま受け入れない状況だと、子供に何を伝えられるのかと危機感を覚えました。自分は棚に上げて子供のためという親が、子供にとって一番しんどくないだろうかと考えました。そのようなことを考えてその日眠りにつきました。
私は人と話す仕事についていますが、内向的な人間です。そもそも自由に選択していいと言われたら、話さない選択をします。しかし、話さない選択をした場合、なぜあの時話さなかったんだと自分を責めて後悔してました。そして、その度に疲れていました。それは家族にもいい影響を与えていると言い難いものでした。そんな時に勧めてもらったのが「親への手紙」でした。
43歳の自分が今更書く必要が本当にあるのか?
と思いながらも、子のため自分のためにやってみました。「親への手紙」はPCのWordで作成します。(もちろん別のメモソフトでもいいです。見直すので編集しやすい方がいいです)親に見せたり送ったりするのではなく自分のために書きます。
親に見せない代わりに、出てくる感情を生々しく書きます。感情に蓋をしません。その当時の自分を振り返って生々しく、妬み怒り悲しみをぶつけるのがポイントです。最初は3000字書きました。まだ足りないということで、5500字になりました。最終的に12000字まで書きました。
書く前のわたしは他人にどう思われているかを気にしたり、他人の発言に気を揉んだりしていました。今はそれがなくなりました。
自分が子供の時にかけられていた魔法が解けたのでしょう。もっと正確にいうと、手紙を書いて、自分の両親が私にかけていた「期待」の呪縛を客観的にとらえることができました。自分の価値判断ではなく、「親に影響を受けた」価値判断を絶対的ではなく相対的にとらえることができました。
●手紙を書いて見えてきたもの
上述の通り、あまり他人を気にしなくなりました。見ず知らずの人にも聴きたいときに質問ができるようになりました。河川敷で釣り人に「釣れてますか」と釣果を聞いたり、バスで乗り合わせたお爺さんの手の怪我について「どうされたのですか」と聞いたり。旅行する女性がキャリーバックについて困っていたので「お手伝いしましょうか」と話しかけたり自然とできるようになりました。
昔は絶対に話しかけませんでした。自分が勝手に気にしすぎて疲れるのが嫌だったからです。今は相手の反応がどんな風であれ、気に留めなくなりました。
人の発言も気にならないです。私にとって重要な変化です。「こんなこと言ったら、こんなふうに思われるんじゃないか。」と思うことほどよく考えたら意味がないですよね。振り返るとただの杞憂でした。他人はそんなに人のことを気にしていません。でも以前の自分は四六時中そんなことを考えていました。
手紙を書いた後の効果が大きかったため、妻や周囲に聞かれたら、ためらいなく勧めるようになりました。わたしは自分がいいものしか進めないです。お金も何もかかりません。いるのはPCのWordソフトのようなメモソフトです。そして親や他人に見せない手紙にしっかり感情を乗せられるかだけです。
息子との関係も良くなりました。以前は「早くしなさい」と普通に言っていました。息子は発達障害児です。障害の特性で切り替えができません。切り替えができず、人への迷惑をあまり考えられないようです。善悪や正否の判断がありません。よく考えるとこの善悪・正否は社会や自分の親から受け継いだ判断です。早くしなくても別に良いと思えるようになりました。
息子は放課後デイサービスに通っています。放課後デイサービスは自宅まで送迎があります。迎えが来る時、親としては送迎スタッフを待たせないよう息子に早くして欲しいと思ったりします。
しかし、放課後デイサービスのスタッフは、「あの子は本当に遅いな、早くしないと困るんですが」と思っていません。そのように言われたことはないです。そんな特性の子供を複数名扱うサービス施設なので、自分たちよりも許容度が高いです。自分や妻の価値判断で、息子は◯◯であるべきだとやっていたんだ、と気づきました。
その気づきを受けて息子の価値観を認めることからスタートしようと思いました。もちろん今までも認めていたのですが、それは自分が親から影響を受けている価値観の中ででした。なので、たまに切り替えができたり、たまに勉強したり、たまに片付けしたりすると、「社会的に望ましい」という見地から誉めてしまっていた、と思います。
行動として誉めてなくても、親として感情が動いていたのは事実です。今は、息子がここまで明るい不登校を貫き、趣味について一日の大半を費やせている息子の凄さを認められるようになりました。
●押し付けが諸悪の根源
わたしは月に一回不登校の会にリアル参加しています。そこの代表が書いた本の『たとえば 鯖(サバ)』の一節に「鯖は身体にいいから食べなさい。」があります。代表の息子さんは不登校でした。
鯖って青魚で健康にいいですよね。給食などで出てきたら無理やり食べさせるケースがあります。今もあるかわかりませんが、私が子供の頃は完食するまで昼休みは遊べないルールがありました。子供が嫌だよ、と言っても親や先生は体にいいから食べなさいと言う。母親として、子供のために食べさせないといけない、と思ってしまう。
まさにここに悲劇が生じます。子供は嫌なものを押し付けられる。一方、親は「世間や責任」にとらわれて必死になる。目的は子供の健康や幸せだったはずなのに、いつの間にか目的を見失い、ただやらせないといけないとなっている。自分もそうですが、この鯖のようなことが横行しています。
自分の親が自分をどう育てていたかを振り返ってみますと、親から早くしなさいとか勉強しなさいと言われなかったです。そんなことをガミガミ言われていたら、今頃実家に寄り付かなかったでしょう。
自分が子供の時にされて嫌だったことを我が子にしたい親はいないと思います。でも子供のころにされて嫌なことが何だったかを認識している親は少ないのではないでしょうか。自分の親の価値観は問題ないと信じたいあまりに、そこを批判的に見ることに蓋をしているのかもしれません。そして気づかずに、自分の親にされて実際は嫌だったことを、いいからやりなさい。この鯖はおいしいから食べなさいと言っているのかもしれません。
自分が親の価値観にとらわれていたと気づくだけで、いじめもパワハラも減るんじゃないでしょうか。パワハラしてる人はパワハラしたくてやっているのでしょうか。親から求められて作られた価値観を疑いなく受け入れている結果、彼らの中で「善」としてやっているのかもしれません。パワハラしてる人はパワハラしてると気づいてはいないのではないでしょうか。
話が飛躍しましたが、自分は作られた価値観をこれからも客観視し続けたいです。そうすることで家族と子供、自分の親、関わる周囲の人たちと良い関係が築けます。なぜなら、以前よりも本音で自分がアプローチできるからです。杞憂でがんじがらめになっていては本音で話せません。相手もやりづらいですよね。
●国も変われば価値も変わる
わたしは海外旅行はいろんな価値を知る上でいいと考えます。ツアーではなく、自分でホテルをとり、5日ぐらい滞在してその土地の習俗に触れる旅行は特にいいと考えます。学生の時はヨーロッパ1ヶ月、韓国に自転車で1週間旅行していました。直近はインドネシアに1週間滞在しました。
地元の人と暮らしたり、片言でもやりとりすると価値観なんて無限だということがわかります。日本で学校がどうだとか、日本国内での競争なんかどうでも良くなります。それよりも自分に自信をもち、強みを活かす環境を日本だけでなく世界で考えたらいいと思います。日本だけで全てを決めるではなく、世界と言う視点で人との関わりを考える。
もっと外を見て、今の価値にとどまる理由が本当にあるのかどうかを子供に伝えたいです。そもそも日本の学校に行っていないと言う事実は世界の中では、ちっぽけな1つの価値観でしかないです。
子供のためにも自分が成長し、ちっぽけな価値にとらわれず、幅広い価値を知る努力をすることが大切だと考えます。微力ですが、そのような努力を今後も続けていきたいです。
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