見出し画像

秋山大輔の27年#103

はじめまして。秋山大輔と申します。

今までの人生を赤裸々に記しましたので、読んでいただきたいです。

滋賀県近江八幡市のど田舎で生まれ、
高校まで地元滋賀で過ごし、大学からは大阪で過ごしました。
そこから仕事の関係で静岡3年、大阪1年、そして今、
神奈川県に住み始めて3ヶ月が経とうとしています。現在27歳です。


■14年間の野球で学んだ努力が大好き

父の影響で小学校3年生から野球を始めました。

うまいかヘタかでいうとうまかったと思いますし、
中学校、大学では全国大会に出場しました。


大きな出来事として
中学校での野球部の先生だった野田先生という方に
出会えたことは財産だと感じます。

誰よりも努力すること、また野球だけやっているのではなく、
人として何が大切か を教えて頂きました。
迷った時はいつも人としてその行動はダサくないのかを考えるようなりました。
努力の大切さ、人間性の部分を教えて頂き、
それが今の僕の土台になっていることは間違いありません。


高校は野球の特待推薦で進みました。
高3の冬は誰よりも努力しましたし、優先順位を1番を野球にし、野球にかけました。その結果最後の夏の大会は2番ショートとしてベスト8まで行く事ができました。

そこで圧倒的な努力は時に質を上回るんだと感じたことは今でも覚えています。

大学では野球をしないと思っていたんですが、
大学生活が始まり、学校と家の往復、たまに友達と飲みにいくという生活に
大学入学4ヶ月で飽き、
このまま大学生活が終わってしまっていいのか、
何も残らない大学生活になると強く思い

1年生の8月から準公式野球部に所属しました。
また本気で何かに打ち込めることが嬉しくて、
毎日充実した日々を送ることができました。
この決断は本当に良かったと感じております。

そして大学を卒業し就職することになります。

野球一色の学生時代でしたが
僕は野球が好きというよりも努力すること、努力している自分が大好き
だったのだと思います。
もし父がサッカーを勧めてくれていたら、サッカーをしていましたし、バスケならバスケをしていました。
何をするかより、努力して自分の理想の姿に近づいていくことが好きだったんだと今は感じます。

■大手企業就職、3年目の違和感

株式会社伊藤園へ就職しました
大手企業でしたし、安定もしていて1番行きたかった会社ではなかったですがいいかなと思い入社しました。
また両親どちらも公務員という事もあって、大手の会社に入ったことをとても喜んでくれました。

僕自身14年間の野球の熱量で仕事もできると思っていたのでワクワクしていたのですが、なぜか面白さを感じることができませんでした。
それはこの仕事が自分の目的とつながっておらず
目標、目的が明確でなかったことが1番だと感じます。

1年目は慣れるので精一杯、2年目になると業務にも慣れ結果も出るようになりました。
当時、静岡に住んでいたのですが、南関東で営業成績1位を獲得しました。そこで満足はすることなく、徐々に転職を考えるようになりました。

3年目では自分が企画した「お〜いお茶桜のキャンペーン」(お〜いお茶の購入の一部が桜の樹木活動に寄付される)というものが全国規模で採用され、多くの人に喜んで頂きました。

しかしこの経験を持っても何かモヤモヤを感じる日々が続きました。

そして3年目、25歳と時にこのまま死んでいくのかと思い転職を決断しました。大袈裟ではなく本気で感じました。

1番の理由としては、30代でこの辺りになり40代でこの辺りになるのが目に見えてわかったからです。答え合わせの人生は嫌だと思い転職を決断しました。上司や先輩の方達は本当に素敵な方ばかりだったんですが、人生は一回ですし、尊敬できる人がいなかったのもありました。

もっと早くに転職を行えば良かったと思う時もありますが、
気づいた時、行動した時が1番早いタイミングで
この時期に気づけたことは何か意味があると感じています。

■林さんの存在

2年目からは仕事だけでは物足りず英会話にも通うようになりました。
英語が好きだったより、英語を話せたらかっこいいからという不純な理由だけです。
そのことを友達に伝えると「お金の無駄だ」「もったいない」と言われましたが、当時の担当してくださった林さんという先生だけはめっちゃいいやんと言ってくれました。

初めて僕の夢を笑わずに、本気で可能性を信じてくれた人が林さんでした。
人の可能性を信じ、その人と本気で向き合い、ともに人生を作っていくことがとても素敵で、僕も人の可能性を信じてあげられるような人になりたいと
この出来事で強く感じました。



■かっこいい男になる

ちょうどコロナ禍と重なり転職活動ができなかったこともあり、
その期間で自分がどうなりたいか、どう生きたいかのを
徹底的に考え向き合いました。
たくさんの人とお会いし、価値観、考え方を学びました。
その1年間の派遣時代は必要なものだったと胸を張って言えます。

その中で自分の考えや理想像が明確になってきました。

○ 以下感じたことです

・20代が30代を作るからこそ、カッコいい30代になるためには、20代でバリバリ働く
・ダサい生き方はしたくない
・どちらが良い悪いはなくて、自分はどう生きたいのかが重要。
 結局誰の人生なん?誰のイエスが欲しいのか?
・仕事は手段でしかない
・表面的なところじゃなくて根本的なところ。転職したら、留学したらとかじゃない
・踏み込んだ話をできるかどうか
・人は鏡
・仕事は乗り物。ただ転職をしても自転車が車になって少しスピードが出ると感じるが目的地が決まっていないので結局同じ
・しょぼい自分が何をやってもしょぼい
・期限と目的を具体的に
・伝えるときはその時感じた感情、風景、言葉を思い出しながら伝える
・男は結果(ハゲやデブでもお金や成果)女は顔(自分より美しく、かっこいい人の言葉しか入ってこない)
・腹を括る
・やりがいはあるけど生きがいはない
・目標と目的の違い。目的の中に目標がある
・ビジョンがせこいとやることもせこくなる
・過去の成績よりvision、魅力、人間性
・優先順位(時間、お金、努力)1番のものが手に入る
・選択の基準をこうなりたい人や理想の自分に合わす
・話すは技術、聞くは器
・共感の鐘を5回鳴らす
・人は人でしか磨かれない。その摩擦で磨かれる。だから魅力的になる
・願望は知識
・今自分が心震える位のチャレンジをしているかどうか


その中でも1番感じたのは

"経験からくる言葉が1番響く"

です。

どれだけ知識があってどれだけ口先で伝えようとしても

経験をしている人の言葉にはかないません。

思いが言葉に乗り、その言葉が人の心に響きます。

この1年があり、自分の考え方、価値観は180度変化しました。
性格も明るくなり、どんどん自分から発信するようにもなりました。

飾らなくていい、ありのままで生きている人が1番かっこよくて
そんな人に人は夢を見るのだと。。。


■将来の夢

将来は双子で講演会をしたいと考えています。

自分が変化してきたことを伝えていきたいと思っています。
将来に悩みを抱えている多くの人に自らの経験から伝え、体現してもらうことで、変化してほしいです。

誰かのきっかけ、ターニングポイントになる。

この27年間の経験をして今がある僕だからこそ、
同じ悩みや似た悩みを持つ人の気持ちが痛いほどわかりますし、親身になれます。
自分と同じ経験をしてほしくない。
迷わず違和感を感じたときにすぐ行動できる。

仕事に就くことがゴールではなくて、仕事は手段でしかないことを就職活動をする前からわかっているのとわかっていないのでは全く違います。

誰かのターニングポイントとなる。
それがその人の幸せになり、自分の幸せになる。

生き方、在り方で示す。自分の人生をもって示していく。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

よろしくお願いいたします。


               秋山大輔


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集