事業立ち上げの経緯
〜家族と新事業の話〜
▼子どもに大きな病気が見つかったこと
2020年4月
日本にコロナが広がってきたタイミングで
当時1歳半の息子にガンが見つかった
ステージ4のガンだった
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2週間くらい
息子のお腹が張っていた
これは、よくあることだったし
何より、コロナがまだどんなものか?
わからなかったから
病院にも行きたくなかった
でもなぜかその日の朝になって
「一応病院に行っておくか」
ということで、近所の病院へ
検査の結果
お腹には大きな腫瘍があって
それはガンの可能性が高くて
入院の準備をした上で
すぐに大学病院に行ってください
と言われた
「あと1週間早く病院に行っておけば」
「お腹をさすり過ぎたのかな?」
後悔の感情が複雑に交差した
その日から
家族は二手に分かれて
生活することになる
パパは4歳の娘と一緒に過ごす
幼稚園もコロナで休園だから
朝から晩までずっと一緒
心ここに在らず、の状態で
娘と1日中一緒にいた
目の前で笑っている娘がいるけど
顔がひきつってちゃんと笑えてない
頭の中では、息子のこと、ママのこと
これからのこと、がぐるぐるしてる
でも一人でいるよりはマシか
仕事は全部ストップ
何も手がつかなくなった
あと、どうしても病気のことを
ネットで検索したくなるけど
先生からは
「色んな情報が出てくるので
検索しないように」
と言われ
理解はしても気になって仕方なかった
ママは息子と病院で過ごす
白血病など
小児がんのお子さんがいる病棟で
他の子どもたちと一緒だ
そこで起きた事の全ては知らないけど
辛くて夜泣き出す子もいるし
状態が、より深刻な子もいる
どの家族・子どもたちも
この状況は突然やってきたはずだけど
境遇も同じこともあり
色々と打ち解けて話せたことで
お互いに乗り切れたようだ
そんな生活がスタートし
コロナだから面会もできなくなくて
これまでの当たり前が
ずいぶん昔のように感じた
一番しんどいのは、息子自身なんだけど
この言いようの無い感情は二度と忘れない
▼コントロールできるか、否か?
そんな時
「人生には”コントロールできること”と
”コントロールできないこと”がある」
という言葉を思い出した
1歳半の子どもに起きるガンは
遺伝や生活習慣によるものではなく
本来なら自然に無くなるものが
腫瘍として大きくなってしまう事があるそうだ
だからこれは、コントロールできない
コントロールできないことに
目を向けるのはやめよう、と決めた
じゃあ”今コントロールできること”
ってなんだろうか?
そう切り替えて
コントロールできることだけに
集中することにした
いま目の前には
4歳の娘がいる
朝起きたら
おはようして
いっぱい抱きしめる
幼稚園に送って
家事をする
夕飯の準備もしておく
迎えに行ったら
そのまま公園に行く
砂遊びして
ブランコ押して
鬼滅ごっこして
全力で遊ぶ
帰宅後は
抱っこして、砂だらけの娘を
少しだけ先にお風呂に入れておいて
その間に夕飯の段取り
(炊飯器もON)
そして、パパも一緒にお風呂に入る
ママたちとテレビ電話して
その日の報告をする
寝る前は歯磨きをして
おしっこの確認をして
布団の上で一通り遊んで
大好きだよ、と何度も伝えて
寝る前にキスをする
眠れない時は
脚と耳のマッサージ
特に、すぐ寝かしたい時は
耳のマッサージが効いた
水曜日はお弁当の日
前日の夜、ママにレイアウト確認して
朝の段取りを考えておく
玉子焼きなんて作ったことなかったけど
意外とできるもんだ
今日は、アンパンマン
翌週は、おしりたんてい
帰宅後は娘から
「アンパンマン弁当、みんな見てきたよ!」
ママはいつもこんな気持ちなのかな
娘に褒められるのは良いけど
送迎時に幼稚園の先生から
「パパ、お弁当上手です!」
と言われるのがなんとも
でもそんな風に
コントルールできるところに集中した
ちょっと油断すると
不安な気持ちと対峙してしまうから
▼息子の経過と退院
入院後の抗がん剤期間を経て、9月に手術
1歳半の身体に大きくメスを入れるなんて
頭がおかしくなりそうだったけど
命に変えられるものなんてない
その後、また抗がん剤を投与し
がん細胞が消えた昨年末に退院
血液検査の結果も、通常の値になった
AFP値という腫瘍マーカーの基準値は
通常で「20以下」と言われているらしい
(入院時はその値が「40,000」もあったそうだ)
ちなみに、腫瘍は10cm以上あったらしい
全くそんな状況を想像もせずにいたあの時期
考えただけでもゾッとする
いまは、定期的なエコーとCT
血液検査をしながら
再発しないように経過を見守っている
我が子ながら本当に頑張ったと思う
抜けていた髪もやっと生え揃い
これまでの日常が戻ってきた
だからこそ
当たり前に対する噛み締め方が
いま特に強い
毎日家族でご飯が食べられる事が
とても幸せに感じる
※闘病中、久しぶりに会えた時!!
▼新事業のきっかけ
息子は、生きられるんだ
そう実感できたのは手術の後
お腹に散らばっていた腫瘍を
「目に見えるものは全て取り除いた」
と先生から言われた時
その時、頭の中でやることが決まった
「子どものために事業を作ろう」
ということ
少し「遠い」と言われることもあるんだけど
「生かしてもらった命の未来」に対して
アクションをする決断をした
自分にできること
子どものためにもなること
そんな風に考え続けた先の答えとして
環境問題を
食の切り口からアプローチする
という、今回の新事業につながってゆく
子どもたちの未来を守るのは
我々大人の責任だ
とてつもない大きな問題だけど
何事も小さなアクションの
積み重ねに他ならない
そして、これはコントロールできる
事業を創ることも
商品として届けることも
商品を買うことも
食べることも
だからやる
息子からのメッセージであり
自分の使命としてやる
▼大豆ミートブランドの立ち上げ
複雑な問題が絡み合っている
環境問題を解決するには
多面的なアプローチが必要だ
我々は食という「身近な」切り口で
まずはアプローチすることを選択した
そして
すでに環境問題へアクションしている方
だけではなく
環境問題に関心はあるけど
アクションまでには至っていない方へ
特にメッセージするブランド
として位置づけた
商品はヴィーガン対応しているが
レシピでは、動物性の食材も
も使用している
それは、
より多くの方に
無理することなく
美味しく食べていただくこと
を優先したからだ
普段の調理法で先ずは試してみる
そこが全てのスタートになる
1人でも多くの方に
食べて頂き
「美味しい」を体感して頂く
環境の話は
その後でもいい
そう思い
ブランドを設計していった
事業立ち上げまで
たくさんのことを学び
感じてきた
長くなるので割愛するけど
1つだけ言えるのは
「自分はとても無力だ」
と感じたこと
これまでずっと
上司・仲間・後輩が居たから
全ての仕事が成立していたんだ
これを身をもって実感したと同時に
感謝の気持ちが強くわいた
色んなことを一人でできるほど
自分に優れた能力なんてない
それでも今回の事業が立ち上がったのは
息子と家族が過ごした
あの時間を取り返してやる
という執念のようなものかもしれない
こういった期間を経て
2021年6月15日に
大豆ミートブランド「SOYCLE/ソイクル」
をリリースすることができた
※DAIZ株式会社という素敵な企業との出逢いも
この事業の背中を強く押してくれた
▼最後に
実はこの期間で
「得られたもの・気づいたこと」も
沢山あったことに気がつく
・家族の有り難さ
・ママの大変さ
・子どもと過ごす時間の尊さ
・家事(特に料理)のスキルに加え
子どもの時間を考えた上での、段取り
そして、何よりこの事業が生まれたこと
自分の思考次第で、困難な状況でも
何かを得ることはできる
それを息子が教えてくれた
ボーダレス・ジャパンで
「ソーシャルコンセプト」
「ソーシャルインパクト」
と向き合い続け
多くの方に
何度も何度も助言をいただきながら
ようやっとようやっと
スタート地点に立った
ここからだ
でもきっと上手くゆくと思う
自分を信じ抜く
そして、最後の最後に。
家族の闘病中に励ましてくださった皆さま
事業へアドバイスをくださった皆さま
いつも支えてくださる皆さまに
この場をお借りして心より御礼申し上げます。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。
株式会社上向き 白坂 大作
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