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随筆という形式に悩む

2024年10月3日(木)

 一昨日、記事をアップロードした後、就寝前にふと「これは随筆ではなかったのではないか」と思った。Wikipediaによると、随筆とは「筆者の体験や読書などから得た知識、情報をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文」とある。私が書いたものの元は確かに体験である。法座という体験だ。そこで法話を聞き、自分自身で講話もした。それらからの思索という意味では、やはり随筆だったのかもしれない。

 形式を決まりごとと解釈すると、形式は便利に思える。それに従えばよいからだ。ふと思い出すのは、エスカレーターに乗る際のマナーだ。左側(地域によっては右側)に立ち、反対側を空けるのが当たり前だった。急ぐ人のために片側を空けておておきましょう、というアナウンスが流れていた記憶がある。

 当時の私は、このマナーを守ることは当然に感じていた。混雑するホームで運悪く歩く側の列に並んでしまった時は、疲れていても頑張って歩いて登った記憶がある。

 ところが最近、「エスカレーターでは歩かないでください」という注意書きをよく目にするようになった。安全性の観点から、歩くこと自体が推奨されなくなった。しかし面白いのは、多くの人が昔ながらの習慣を守っていることだ。片側を空ける光景は、今でもあちこちで見かける。理屈では分かっていても、長年染み付いた習慣を変えるのは難しい。

 マナーって不思議だ。その時々の社会の要請で変わっていくものなのに、実際の行動はなかなか追いつかない。エスカレーターに乗るたび、安全という新しい価値観と、急ぐ人への配慮という古い習慣との間で、ちょっとした葛藤を感じる。

 結局のところ、随筆とは何なのだろう。形式にこだわらず、自分の経験や思いを素直に書き綴ることなのかもしれない。エスカレーターの立ち位置について悩む自分を見て、苦笑してしまう。こんな些細なことで頭を悩ませている自分も、随筆の一部なのかもしれない。変わりゆく社会の中で、少しずつ自分の行動を調整しながら、時には戸惑い、時には納得しつつ生きていく。それもまた、人生の面白さなのかもしれない。

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