Daishin Ueyama (上山大信)

武蔵野大学工学部数理工学科 教授 博士(理学) Ph.D. https://sites…

Daishin Ueyama (上山大信)

武蔵野大学工学部数理工学科 教授 博士(理学) Ph.D. https://sites.google.com/site/dueyama/ 専門:パターン形成、非線形解析、計算機援用解析、シミュレーション 浄土真宗本願寺派 鯉原山・浄泉寺 第16世 住職 上山大信

最近の記事

究極の形づくりの仕組みを我々は理解できるだろうか?

2024年10月13日(日)  私の研究分野は、簡単に言えば生き物などの自動的形づくりの謎を謎では無くしたいということになろうか。修士課程の時から、いわゆる反応拡散系という、一種の拡散方程式系において、非一様な模様が解として現れることに強い興味を持ってきた。拡散という効果・現象は、形がるものは壊れるという自然の摂理であって、それが模様を作り出す元となるというのだから面白い。人に伝える時には、究極のパターン形成として多細胞生物の発生過程があって、それに至る初歩的な研究をしてい

    • 祖母

      2024年10月12日(土)  2020年から2021年にかけて、山口新聞の東流西流というコーナーに隔週で書かせていただいたことがある。その最終回に、次のようなものを書いた。タイトルは浄泉寺。  この、祖母綾子の話はよく思い出す。祖母は私が中学生の頃に往生した。晩年は、今でいう認知症であったと思う。当時、私の髪の毛はふさふさであったが、私をみて、禿げてかわいそうとよく言った。祖父が禿頭であって、それと重なったのかもしれない。当時は、ボケ老人という呼び名であったか。その後、

      • さとりと、超知能と、それからわたし

        2024年10月11日(金)  「仏教聖典」という本がある。仏教伝道協会という組織が出版しており、一時期は全国のホテルに配置されていた。内容にはストーリーがあるようだが、今回はその点は置いておく。  仏教聖典のAudible版があったので、早速ダウンロードした。雰囲気のある男性の声で朗読される。その声は心地よいが、内容は難解で、言葉は理解できても文章の意味がわからない。例えば、次のような文章がある。(Kindle版も購入した。紙の本も家にあるが。)  どうやら、仏とは悟

        • 数字に惑う

          2024年10月4日(金)  1年間のうちの100日とはどれくらいの日数か?先日、地方の新聞を読んでいたら、1年間に100日という頻度は、おおよそ3日に1度であってとても多い日数であるとあった。一瞬そうかと思ったが、少し考え直すとどうもおかしい。  閏年は除いて1年間とは365日のことである。そうなると、1年間のうち100日というのは、 100/365 = 0.2739 となる。これは、おおよそ1年間の 30% である。  少し計算を戻してみよう。 100/365 =

        究極の形づくりの仕組みを我々は理解できるだろうか?

          随筆という形式に悩む

          2024年10月3日(木)  一昨日、記事をアップロードした後、就寝前にふと「これは随筆ではなかったのではないか」と思った。Wikipediaによると、随筆とは「筆者の体験や読書などから得た知識、情報をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文」とある。私が書いたものの元は確かに体験である。法座という体験だ。そこで法話を聞き、自分自身で講話もした。それらからの思索という意味では、やはり随筆だったのかもしれない。  形式を決まりごとと解釈すると、形式は便利に思える。

          随筆という形式に悩む

          本願力はベクトル

          2024年10月1日(火)  本願力(ほんがんりき・阿弥陀仏のお救いの力)はベクトル(Vector)である。力なのでベクトルである。一方で、なんらかの力については、通常はその大きさだけを気にかけているように思う。自動車の速さについて語るときは、通常その速さについて議論するのであって速度ではない。速度は方向を含めた速さであってベクトルである。例えば、スポーツカーは時速300kmで走ることができるというときには、その速さを言っているのであって、どの方向に向かってその速さで走って

          阿弥陀仏のお救いからベクトルを学ぶ?

          2024年9月29日(日)  先日の秋の法座で、「阿弥陀仏のお救いから学ぶベクトル」という話をした。このタイトルの話をするには、ストーリーというと大袈裟だが、それなりの歴史がある。ただ、その歴史を並べ出したらえらく長い文書になってきて、これではダメだとなった。随筆?としては、あまり長いものは良くないと考えている。歴史については、また後日書こう。  さて、先の法座のタイトルだが、多少違和感を持つ人もおられるだろう。浄土真宗の法座は、仏様の話を聞く(聴くと書くべきか)ところで

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          日を追うごとに

          2024/09/24(火)  「日を追うごとに」という言い回しがあるが、まさに日を追うごとにさまざまな能力の減衰を感じている。例えば、文章を書くことについては、もともとそれほど得意ではないのだけれど、そもそも「何か」を書く気にもならず、これはすなわち思考を放棄しているような状態にどんどん近づいていることを自覚するようになった。このままではさらに衰退していくことは間違いなく、頭にさまざまな雑念、というか、そういうことすら思わなくなってきていることに、ある種の絶望を感じつつある