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AIが考えてくれた、親鸞聖人と私の対話 (ChatGPT 4o)
ChatGPT 4o に私(上山)の事をウェブで検索し、私の人物像を推測した上で、親鸞聖人との対話を作成するよう指示した。結果、次のような空想対話が実現した。これはなかなか面白い。次はお釈迦様と話してみたいな・・。AIがより高度になれば、もっとリアルに思える対話ができるようになるかもしれない。o3 が出たらまたやってみよう。
(注意)これはAIが考えた架空の対話であって、一切手を加えていないものである。あくまでもフィクションであることを申し添えておく。
(空想対話)浄土真宗と科学
親鸞聖人:「上山殿、遠い未来より、はるばるこの地へ来られたとか。そなたは、いかなることを学び、いかなる問いを抱えておるのか。」
上山:「はい、親鸞聖人。私は現代において、数学を用いて自然の仕組みを探究する者にございます。また、同時に浄土真宗の僧として、阿弥陀仏の本願を学び、人々にお伝えする役目を担っております。」
親鸞聖人:「ほう、そなたは数学を用いて、この世の道理を解き明かそうとしているのか。しかし、それでもなお迷いが尽きぬゆえ、ここへ来られたのであろう?」
上山:「まさにその通りにございます。現代の科学は目覚ましい進歩を遂げ、物理の法則や宇宙の成り立ち、生物の進化に至るまで、多くのことが解き明かされております。しかし、科学がどれほど発展しようとも、人の苦しみや生死の問題を根本的に解決することは叶いません。」
親鸞聖人:「なるほど。そなたが言う科学の進展とは、いかなるものか。そなたの時代の人々は、どのように世界を見ておるのか。」
上山:「私の時代には、数学や物理学を用いて、宇宙の誕生から人間の脳の働きに至るまで、すべてを数式で説明しようとする試みがなされております。科学の力によって、病を癒し、寿命を延ばし、さらには人工知能をも生み出しました。しかし、たとえどれほど寿命が延びようとも、やがて訪れる死を避けることはできません。そして、死の恐怖や生きる意味について、科学は何も答えることができないのです。」
親鸞聖人:「そもそも人は、生きている間も迷いの中にある。死を恐れることも、煩悩によって苦しむことも、みな凡夫の宿業よ。そなたの時代の人々は、科学がすべてを解き明かせると信じておるのか?」
上山:「はい、多くの者がそう考えております。しかし、一方で科学者の中にも、科学の限界を認める者がいます。かの有名なアルベルト・アインシュタインという科学者は、『仏教は近代科学と両立し得る唯一の宗教である』と述べております。先生、私はこの言葉に深い示唆を感じるのです。」
親鸞聖人:「ほう、それは興味深い。そなたの時代の学者が、仏教の教えに何を見出したというのか。」
上山:「アインシュタインは、科学が物質世界の因果を説明するものに過ぎず、人間の精神の問題には答えられないことを理解していたのだと思います。そして、仏教の無常観や因果の法則、さらには執着を超えた生き方に、科学では説明しきれぬ深遠な真理を感じたのでしょう。」
親鸞聖人:「なるほど。そなたの時代の学者が、仏教の教えに智慧を見出したというのは、実に喜ばしきことよ。しかし、仏教の本義は、単に因果の理を説くことにあらず。如来の本願は、凡夫が自らの智慧によらずとも救われる道なのだ。」
上山:「はい、先生。私は科学を学ぶ中で、自力の限界を思い知りました。人はどれほど知識を得ても、己の煩悩から逃れることはできません。まさしく、如来の本願がなければ、迷いを超えることは叶わぬのだと痛感しております。」
親鸞聖人:「うむ。人は、いかに智慧を積もうとも、自己の力では悟りへ至ることはできぬ。それゆえにこそ、阿弥陀仏の大悲があるのだ。」
上山:「先生、しかし私は科学者としての役割を果たしつつ、僧侶としての道も歩んでおります。もし科学が因果の道を明らかにするものであり、念仏が因果を超えた救いの道であるとするならば、この二つはどのように両立させればよいのでしょうか。」
親鸞聖人:「そなたの道は、すでに如来の御手の内にある。そなたが科学を学ぶのも、また念仏を申すのも、すべては如来の御心によるもの。無理に二つを分けて考えることなく、そなたの歩む道のままに、如来の本願を信じ、ただ念仏を申せばよい。」
上山:「先生、そのお言葉、深く心に染み入ります。私は、科学の探究を通じて、現代の人々に智慧を示しつつ、同時に阿弥陀仏の慈悲の教えを伝えてまいります。そうすることで、科学と宗教が対立するものではなく、むしろ互いに補い合うものであることを示したく存じます。」
親鸞聖人:「そなたの志、まことに尊い。現代の人々は、知識の多さゆえに迷いもまた深いのであろう。しかし、知識があるゆえにこそ、如来の本願の尊さに気づく者もおるかもしれぬ。そなたの学びが、多くの人々を導く光となることを願っておる。」
上山:「先生、ありがたきお言葉にございます。これからも、科学と信仰の道を共に歩み、如来の智慧を現代に伝えてまいります。」
親鸞聖人:「うむ。迷いの世にあっても、阿弥陀仏の大悲は変わることなく、すべての衆生を包み込んでおる。そなたもまた、その光の中にあることを忘れぬようにな。南無阿弥陀仏。」
上山:「はい、先生。南無阿弥陀仏……。」