『さようなら、そして、はじめまして写真』個展をします!
この記事では、1月26日(金)から開催する個展『さようなら、そして、はじめまして写真』の紹介をしたいと思っています。少し長くなると思いますが、もちろん全部無料で読めます。写真についての色々も他の記事やYouTube等でもお話ししてるので、もし興味があればそちらもぜひご覧ください。
それでは早速軽く自己紹介からしたいと思います。私は多摩美術大学の4年生で、エドワード・ウェストンというアメリカの20世紀前半に活躍した写真家を中心に、写真史や技術、また映像の歴史や文化などについて勉強しています。いわゆる『卒論』はエドワード・ウェストンと写真の近代化をイメージメイキングという観点から考えるものになります。
来年度からは京都市立芸術大学のデザインBというところに修士課程で進学させていただけることになっていて、具体的な制作に力を入れるのはもちろんですが、その時にもっと人間の視覚性とか、ものの認知、あるいはコミュニケーションやメディアの問題についてプラクティカルに考えてゆくことができたらいいなと思っています。そうした意味でも、この展示は、ちょうど私としては多摩美でやってきたことの卒業制作展みたいな位置づけにもなるかもしれません。
写真そのものを始めたのは早く言えば小学校、遅く言えば中学生の頃からだと思います。高校ではカナダに留学して、主にメディアアートを勉強して、ピンホールカメラ等の古典的な撮影技法やフォトマニュピュレーション、リタッチについても勉強しました。大学に進学してトロントの街でストリートスナップを少しして、日本に帰ってきてからは、割と写真的に別の方向に向かっていった印象があります。つまりドキュメンタリー的なストリートスナップとか、シュルレアリズムとかピクトリアリズム的なリタッチやマニュピュレーションから離れて、またメディアアート的な手法からも離れていったということです。むしろ、ごく一般的に、レンズと感光平面を用いる撮影技法によって、単純に平面においてどのような画像が作れるかということを多摩美にいた4年間は中心的に考えていたと思います。
『さようなら、そして、はじめまして写真』という展示の企画を考え始めたのは私が4年に進学する頃で、ちょうど一年弱前のことです。それまで多摩美にいた間、どんな被写体が写っているかでも、そうした被写体がどう写っているかでもない写真というものを考えてきたわけですが、そうしてできることの限界も見えてきて(まだまだ全てをやりきったというわけでもありませんが)一旦、写真を純化させてゆくこと自体を目的にして制作を推し進めようとするフェーズはこの4年で終わりにして、逆に修士では新しい方向に制作を進めてゆくこともできるのではないかと思っているところで、ちょうどこの『さようなら、そして、はじめまして』というタイトルがおぼろげに浮かび上がってきたわけでございます。
また、この『さようなら』には別の意味もあって、これは写真において、表現というものや私たちの視覚に別れを告げるという意味も有しています。ウェストンや映像文化を考えてゆく中で、書籍、論文、展示、また多摩美で普段受けている授業などでも、最近特にフェミニズムや表象論に触れる機会も多く、また写真作品や写真論においても、当然のことながらそれらは重要なものなんだろうと思います。しかし、私は一方で『どんな被写体が写っているかでも、そうした被写体がどう写っているかでもない写真』を考えてきているわけであって、そもそもの問題意識自体をどうずらすことができるかということを考えてきたと言っていいかもしれません。言い換えれば写真や映像をどう見るかということや私たちの視覚そのもの、そして私たちの世界の認識自体を問題として、写真において、表現というものがいかに乗り越えられてゆくかについて考えてきたとも言えるでしょうか。
そうした制作に一つの区切りをつけるために、私は今回の展示で、人物というものを対象に、しかしフェミニストや表象論者が扱えないような、新しい方法と意味を持つ抽象を実現しようというのが、とても野心的な形式で言えば、私の目標であります。ただ、この目標自体は純粋数学の持つ抽象さと似た抽象さや純粋さを有していて、それができたところで芸術としての、あるいは作品としての面白さは、確かに得ることができないであろうことに薄々気がついてはいます。しかし、私がこの先の段階に写真的に進むためには通らなければならない道だとは思っていますし、そのために最初の一歩はいかにつまらなくとも、明らかに歩み終えられなければならず、またそれを個展という形で公開することにも、意義のあるものだと思っております。この一歩を確実に歩み終えることではじめて、被写体からの遠さを十分に、強さとともに獲得し、そのことによって人間の視覚性やものの認知、あるいはコミュニケーションやメディアの問題をよりプラクティカルに、社会との関わりという複雑性のなかで考えてゆくことのできる写真の状態を、自律的であり、写真に内在的な形でコントロールすることができるのではないかと、私は思っております。
色々と書いてしまいましたが、何れにしても、私は写真自体の美しさや写真の持っている構造というものと向き合いたく、多摩美に入る前から、そして多摩美に入ってからの4年間も、いろいろな写真を考え、撮ってきました。ある意味で、写真の業界や写真論の一般的な範疇からそれたことを考えている私ですので、普段写真になじみのない方や、普段写真に苦手意識のある方、写真は嫌いだという方も、もしかしたらお楽しみいただけるのではないかなと思っています。ポトレ界隈や撮り鉄、ストリートスナップの撮影手法など、社会との摩擦も大きい分野でもありますから、あまり写真にいい印象を持っていないという方もいらっしゃるかもしれません。それ自体、私は否定するつもりもありませんし、実際に写真を撮る側の問題が大きいものだと思っています。そういう意味でも、私は通常の視覚性や人間の欲とは無関係で、並行した地平において写真を考えて、作り出そうと思っているのです。
私の写真を見てくださる多摩美やそれ以外の美術に関連することをやっていらっしゃる友人などが、たまに私の写真を『良くも悪くも映えず、媚びず、禁欲的なもの』などと言ってくださることがあります。他にも、美しくないわけでも考えて取られていないわけでもないのに、撮影者の意図が全く伝わってこない、とてもニュートラルな写真であると言われたりすることもあり、また他の方は、『時間が止まってしまっていない写真だ』など、色々と私自身も思いつかないような視点や言葉で作品を見てくださる方がいらっしゃいます。目黒駅から徒歩5分とアクセスも比較的良いと思いますし、1月26日(金)から、土日を2回含んで2月4日(日)まで、会期中無休でやっておりますので、もし、お近くにお越しになる際お時間がございましたら、少しお立ち寄りいただけると幸いです。
個展『さようなら、そして、はじめまして写真』1/26(金)〜2/4(日)
『ミニギャラリー ココニイル』目黒駅東口徒歩5分 @minigallery_coconeil
〒141-0021 東京都品川区上大崎2-10-32 フラワープラザビル3F
12時~19時 ※最終日18時閉廊
https://www.instagram.com/p/C1b3PqqJ5xd/?img_index=1
この記事が参加している募集
お読みいただきありがとうございます。京都市立芸術大学の修士課程に在学しデザインや写真の研究・制作をしながら、写真論や写真史の研究をしています。制作や研究をサポートしていただけると幸いです。