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無明長夜

「過去は変わらないが、過去の意味は変えられる」
何かの本に書いてあった印象的な言葉。何事も因縁果なので今の自分がどうあるかによって過去がそこに至る説明書になるんでしょうかな。果より因に。

 毎度毎度そこらじゅうに着火点を見つけては進んで火をつけに行っている意識はあります。瞋恚(怒り)の煩悩は最もヤバいと言う方もいましたが、こんなストレスになる事をわざわざ外灯に群がる羽虫の如く着火行動する自分に毎度驚かされます。しんどい。それは全くもって揺るぎない事実。良い事なんて何一つない。ストレス。
掴んで離さない自分という剣を振り上げては全然斬れない鉄塊をぶっ叩いて、その衝撃で心を壊していく。頭でそれが良くない事を知りつつも、その身は全然わかってない。
真実の道理に暗い、光を遮る闇、夜、迷いの根源、などと言われる「無明」の煩悩。
『親鸞聖人御消息集広本』にて
「無明のさけによいふして 貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ このみめしおうてそうらいつる」とありました。世間をそう生きている、そんな自分に気がつくのも仏法にであいかけているからでしょうか。
あ、「闇は即ち是れ世間なり 世間すなわち無明なり」と第二版信巻258にありました。
なんとなしですが、どんなに夜が明るくなっても決して消えない闇がここなのでしょうか。


先日は炎天下にて午前中同朋新聞を自転車で配る。午後に曇り、そして、雷雨。空は明るいのに激しい雨。慌ただしい空模様。放置していた彫刻刀の柄作りと、製作中の木彫伊勢根付「茸に蛙」を弄る。

終わりが見えてきました。
やりたい事は多く、読みたい本が増える一方で、1日の短さを痛感します。

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