SFコメディ小説 『ベン』
第1話
ベンとの出会い
ある夏の昼下がり、わが家の軒下に犬がいた。
噛まれないように、刺激しないように、とにかく目を合わさず家の中に入って玄関の鍵をかけた。
軒下があるリビングからは大きな窓ガラス越しに、その犬がよく見える。
あまり若い犬ではなさそうだ。毛色は茶色なのか灰色なのか、とにかくくすんでいる。
飼い犬のようにも見えるので、交番に連絡しようと、その犬の写真を撮るためにスマホを向けた。
「ん?あれ?」
犬の顔認証か?
iPhoneのカメラを、QRコードにかざした時のように、スマホの画面上部に読み込まれた情報が出てきた。
「名前 ベン
性別 オス
年齢 13歳
出身 京都府長岡京市
特技 大車輪
趣味 競馬鑑賞
一言アピール 一匹狼なこれまでの人生を改め、あたたかな家族がほしい」
「…驚いた…。スマホってここまで来てるの?でも、犬やのに一匹狼って。なんでこんなことわかるんやろ?ぷぷぷ」
苦笑しながら犬の方に目をやった。
「おまえ、ベンっていうの?」
犬が振り返りこう言った。
「チッ。誰が『おまえ』やねん」
「…い、犬が喋った!ぎゃーっ!!」
私は窓ガラス越しに仰け反り、放り投げてしまったスマホが頭に降ってきてそのまま気を失った。
夢の中なのか、私を呼ぶ声が聞こえる。
「…千翼、千翼」
お母さんの声?
「ワン、ワン!」
い、犬が吠えてる……ワンて吠えるの犬やんなあ。これが普通や。普通や。
「ああ!千翼、良かった!大きなたんこぶ作って!もうビックリしたわあ」
「お母さん、私、変な夢見てたのかなあ、犬が喋って。軒下に犬がいたんやんか。その犬が…」
顔を動かし何かが目に留まった瞬間、タオルに巻かれていたアイスノンが滑り落ちた。
座っている母の後ろから、ひょっこりはんのように顔を出す犬。
千翼が目を見開いて、「…これ、この犬!」と言わんばかりに指を指していると母が、
「このワンちゃんね、お話しできるみたいやねん。賢いやろう?ベンちゃんて言うねんなあ?」
「ワン」
そうだけど、みたいな顔して返事をした。
小憎らしい犬だ。
「え、お、お母さん驚かへんの?」
「お母さん、あんたがたんこぶ作って倒れてる方がビックリしたわな。ベンちゃんが教えてくれへんかったら、気が付かへんとこやで。ベンちゃんがその枕を頭の下に敷いて、アイスノンをタオルで縛ってくれてたんやで。千翼ちゃん、病院行っとこな」
「…うん」
「病院行く用意や」と、母がよっこら腰を上げた。
横目でチラッと千翼を見るベン。
「……ベン、ありがとう…」
フンッと鼻息を一つ出し、ベンは母に付いて行った。
準備ができた私は、母の車に乗り込むと、後部座席にはベンがいた。
気を遣ったのか、新聞紙の上に座っている。おかしな座り方だ。人間のように足を下ろして座っている。おまけにシートベルトを上手に前足で締めていた。
…私、だいぶ疲れてるんかもしれへん…。
近くの病院で診てもらった。何も異常はなかった。
ベンは、車外で大人しくお座りして待っていた。私たち母娘の姿をキャッチするなり、立ち上がり迎えに来てくれた。私がよろよろ歩くのをそっと支えてくれているようだった。
後日のことになるが…、日にち薬で、たんこぶの腫れは引いていった。
ベンが来たその日の晩、ベンをうちで飼うことが決定された。いや、うちの家族になることがというべきか…。
単身赴任で徳島県にいる父に、毎日晩ご飯を一緒に食べるzoomをしている母が、ベンが現れたその日のzoomでベンを紹介した。
ベンは猫を被っていた。犬なのに猫を被っていた。
父への印象も良く、私だけが渋っていた。
私は、飼い犬かもしれないし、病気を持ってへんかどうかも心配やと言い張った。
その声も虚しく、ベンの身上は自己申告による、一匹狼であるとの主張で、交番に届けるまでもないとの判断に至った。
またベンからは、「糖尿病を患っているがご心配なく。かかりつけ医もいるので」との答えが返ってきた。私だけがズッコケた。
父はzoom越しに豪快に笑い、「ベン君、留守を頼むで」とビールで乾杯した。ベンも人間と同じ動きで右前足でグラスを持ち乾杯していた。たしか13歳、人間でいうと70歳くらいだろうか。成人ははるか昔にしているが…。
「犬ってビール飲んで良いの?『かんぱーい』なんか言うてさ……」
こうやって、ベンの家族入りが決定したのだ。
〈写真「ベンの瞬間移動シュシュシュッ」・文 ©︎2021 大山鳥子〉