私たちの介護〜丸くなって対話しよう⑶〜
人生100年時代、何歳になっても住み慣れた家や地域で安心して暮らしていくにはどうしたらいいのでしょうか。
今回は、大切なご家族を介護している町民さんと介護される側の町民さん、介護保険外サービスを提供する看護師、そして医療の担い手である医師が、介護の苦労話や気持ちの切り替え方、息抜きについて、それぞれの立場から語ります。縁起でもないと思わずに、いつかくるその時を「今」考えるきっかけに。
※この記事は、ケーブルTV大山チャンネルで2021年9月に放映された「大山100年LIFEシリーズ〜いつか行く道 在宅介護〜」のスタジオトークの語りを元に再構成しています。
出演者:井上道彦さん(60代)、勝部翠さん(60代)、二宮靖徳さん(60代)
かんべたかこさん(介護保険外サービス「わたしの看護婦さん」代表)
井上和興さん(大山診療所所長)、中山早織(進行・看護師)
介護のはじまりと今〜私の場合〜
道彦:私の妻は多発生硬化症という病気を発症して、20年前に車椅子生活になったんです。本人が病院よりも家で暮らしたいと言うし、病院の勧めもあって離れをバリアフリーにして車椅子で生活しています。
病状が悪くなりまして、3年前から訪問介護を週6回、リハビリを週2回、2週間に1回訪問診療を受けとります。今は、ベッドから降りることはできるけど上がることはできない。トイレはオムツで小の方をしますけれど、大の方は私がトイレに連れて行く生活をしております。風呂は1週間に1回、お風呂場に行って私がシャワーで体を洗っています。
勝部:私は米子に住んでいたのですが、大山町に一人で暮らす義母の認知症が進んでいると福祉から連絡があって、義母の家の隣に増築をして一緒に住むようになりました。それからどんどん認知症が進んで、4年前に義母は亡くなりました。
数年してから、今度は主人が転倒して硬膜下血腫になって。症状が治まって帰って来ても、また転倒するんですよね。それで3回くらい救急車にお世話になって。今は週2回、在宅でのリハビリと介護に来てもらっています。
主人は今70歳なんですけど「やりたいことがいっぱいあるから早く治りたい」って言うんです。でも、わからんこと言ってみたり普通になったりの繰り返しなもんで。生半可な返事をすると「自分を馬鹿にしてる」とかで怒りますので、それがすごく大変です。私も義母の認知症の介護の時に、「否定してはいけない」とかトレーニングを受けました。それでも、やっぱり主人の病気のことでイライラすることもあります。
二宮:僕の場合は2年前に脳梗塞になりましたが、生まれた時から障害があったもんで、障害者のベテランをしております。脳梗塞になったことで新しい出会いがあったので、変な言い方ですけども、別に悔いにはしておりません。
今は、電動車椅子をレンタルして家の周りをドライブしています。1日に大体4〜5kmは走っています。うちの周りは景色がいいもんで、天国にいるような気分でそこを走り回っています。デイサービスに行ってますけども、僕は社交のために。色々な人と交流ができて楽しいです。プラス思考で、障害を楽しんでいます。
在宅介護の実際〜排泄のリアル〜
道彦:一番苦心してるのは排泄の大の方です。前は便器に移れたんですけども、3年前から移れなくなって、私が一人でどっこいしょですね。大体1週間に1回なんですよ。私は今農業しているんですけど、近くで仕事していて携帯が鳴ったら5分以内に帰ってきてトイレに連れて行くっていうような生活をしています。車椅子だと腸への刺激が少なくて出にくいんでしょうね。30分ぐらい座っています。出方でまだ終わってないとか、わかるんですよ。どうやったら汚れた服が簡単に綺麗になるかも工夫して、少しでも楽な方法を考えています。
勝部:義母の介護の時も、便のことでは大変な思いをたくさんしました。
義母をデイサービスに「いってらっしゃい」と送ってから、私は「宝物さがし」をするんです。叱ったりはしないんだけど、義母は排泄を失敗したのを隠すんです。部屋に行ってみると得も言われぬ臭いがする。ベッドの間とか押入れを探すと、便がついたのや尿が漏れたのが入っとったりする。それを宝物みたいに全部取って洗って。そうするとあっという間に3-4時間経っていて、気がつくと帰ってくる時間だってなって。
そういうことがあった時には、私は寝る時に自分を褒めるんです。「今日はよく頑張った、お疲れ様でした。明日も頑張りましょうね」って自分で声を出して言うんです。義母が亡くなってからも時々思い出しては、楽しかったではないけれども、いい思い出がいっぱいあるなと思って。
今も、家の中で出来る事を色々考えて、気持ちをチェンジしてプラス思考でいこうと思って。毎日寂しい苦しい辛いということを思わないように、これもまた人間だからと思ってね。主人と楽しく暮らしていけたらいいなと思っております。
かんべ:私は今3度目の介護しているんですね。20代の時に親戚の叔父叔母の介護をして、今は福岡にいる自分の父親の遠距離介護をしています。
皆さん明るく話しておられますけど、やっぱり介護って24時間頭の中にあって。家を離れていても「今何してるんだろうか」「ベッドから落ちてないだろうか」って、心が休まる時は決してないので、そういう意味でも精神的に大変な方はたくさんいらっしゃると思います。
井上:医療者として自分ができることは、疲れてそうだったりとかしんどそうだったりすると声をかけたりとか、あとは顔色を見ながら、家の雰囲気を観察することも重要かなって思っています。
介護する側が息抜きしながら、豊かに過ごしていくために
道彦:大山町は年に1回、要介護3以上の家族に慰安旅行があるんです。介護される人を誰かに見てもらって、家族は1日羽をのばす。去年は、花回廊に行ってペンションで食事をしましたね。同じような悩みを持っている人と話して、自分も頑張らないけんなと思いますね。みんな、しゃべりはじめると長いんですよ。普段話してない、愚痴をこぼす相手がいないんでね。家を空けられなくて参加できない人は、かえって心配ですね。
勝部:他にも、町が主催している家族の会っていうのが月に1回あって、8人ぐらいで悩みを言ってみんなで相談したりね。福祉の人が指導されたり、情報がすごくあってね。今も続いてますけど、すごくいいと思います。
かんべ:弊社は、県外にお住まいの子どもさん達から親孝行を代行で請け負う、という事業をやっています。お話を伺っていると、介護っていうのは、介護する人たちがいかに満足するかがすごく大事だと感じます。結構皆さん、「あの時やれて良かったな」って思う人はハッピーなんですけど、20年も後悔を引きずる方もいらっしゃる。だから、受けたい医療や介護を、1日でも早く家族皆で相談してほしいなと思いますね。
私、まだ40代なんですけどエンディングノートをつけてみたんです。内容が本当に細かいんですよね。例えば生命保険はどうなっているか、どんな医療を受けたいか、何かあったら誰に連絡したらいいか。そういうことを話しておくと、急に脳卒中で倒れて意識不明になって呼吸器をつけるかどうするかっていう場面で役に立つ。
井上:エンディングノートを書いたとしても、やっぱりその都度ご家族やご本人さんの気持ちも揺れ動くし、認知症の状況でも人の捉え方も違ってくる。だから、そういう気持ちの揺れ動きを言葉にうまく出せない人たちに情報をきちんと届けることがポイントなのかなと思います。
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後半では、介護と共に生きていくために、過ごしやすい社会やこれからの介護、教育を考えます。
記事制作:中山 早織
元書店員の助産師・コミュニティナース。2014年に東京より鳥取へ移住。現在は大山町で地域活動や聞き書きを行う。大山100年LIFEプロジェクトメンバー。映画では小道具・衣装を担当。