大山100年LIFEプロジェクト

「人生の最期を笑顔で迎えられる町へ」、鳥取県大山町で発足した、行政・地元ケーブルTV・医師・大学・コミュニティナースらが協働するプロジェクト。在宅看取りや介護をテーマに、映画製作やテレビ番組制作、聞き書きなどの活動を行う。いつかくるその時を、「今」考えるきっかけに。

大山100年LIFEプロジェクト

「人生の最期を笑顔で迎えられる町へ」、鳥取県大山町で発足した、行政・地元ケーブルTV・医師・大学・コミュニティナースらが協働するプロジェクト。在宅看取りや介護をテーマに、映画製作やテレビ番組制作、聞き書きなどの活動を行う。いつかくるその時を、「今」考えるきっかけに。

最近の記事

映画「うちげでいきたい」方言監修・山﨑美月さんインタビュー〜後編〜

在宅看取りをテーマに鳥取県大山町で製作された映画「うちげでいきたい」の方言監修を担当し、撮影中は現場の技術スタッフ補佐も務めた山﨑美月さん。生まれも育ちも大山町で、大学では言語学を学び映画製作の経験も持つ山﨑さんに、前編では大山町の言葉について伺った。後編では、さらにご自身にクローズアップし、山﨑さんが小学生の頃、大山町の自宅で介護されていた曽祖母と過ごした思い出や、山﨑さんが今後地元大山町で実現したい想いについて語っていただいた。 曽祖母と家で過ごした時間と、子どもながら

    • 映画「うちげでいきたい」方言監修・山﨑美月さんインタビュー〜前編〜

      在宅看取りをテーマに鳥取県大山町で製作された映画「うちげでいきたい」の方言監修を担当された、生まれも育ちも大山町の山﨑美月さん。大学では言語学や映画について学び、実際に仲間たちと映画を製作した経験も持つ山﨑さんに、大山町の言葉についてお話を伺った。 言語学や映画を学んだ大学時代中山:今回「うちげでいきたい」の映画製作に参加することになったきっかけとは? 山﨑:大山チャンネルの貝本さんや助監督の森田さんに声をかけてもらいました。大学時代に映画を撮ったりしていたので、楽しそう

      • 介護はもっとずっと、身近にある〜丸くなって対話しよう⑷〜

        人生100年時代、何歳になっても住み慣れた家や地域で安心して暮らしていくにはどうしたらいいのでしょうか。前半では、大切なご家族を介護している町民さんと、介護される側の町民さん、介護保険外サービスを提供する看護師、そして医療の担い手である医師が、それぞれの立場から介護について語ります。後半は、介護と共に生きていくために、過ごしやすい社会やこれからの介護、教育について。介護は思っているよりも、実はもっとずっと身近にあるようです。縁起でもないと思わずに、いつかくるその時を、「今」考

        • 私たちの介護〜丸くなって対話しよう⑶〜

          人生100年時代、何歳になっても住み慣れた家や地域で安心して暮らしていくにはどうしたらいいのでしょうか。 今回は、大切なご家族を介護している町民さんと介護される側の町民さん、介護保険外サービスを提供する看護師、そして医療の担い手である医師が、介護の苦労話や気持ちの切り替え方、息抜きについて、それぞれの立場から語ります。縁起でもないと思わずに、いつかくるその時を「今」考えるきっかけに。 ※この記事は、ケーブルTV大山チャンネルで2021年9月に放映された「大山100年LIFE

          映画「うちげでいきたい」脚本・菅原直樹さんインタビュー〜前編〜

          在宅看取りをテーマに大山町で製作された映画「うちげでいきたい」の脚本を担当された菅原直樹さん。菅原さんは、岡山県奈義町で劇団OiBokkeShiを主宰し、「老い」「ボケ」「死」をポジティブに捉える活動をされている。介護福祉士でもある菅原さんが描く大山町での看取りとは。脚本へ込めた想いを伺った。 家族それぞれが死と向き合う、大山町を舞台にした映画中山:今回、大山町で在宅看取りを経験した方や診療所スタッフの話を聞いて、菅原さんは大山町をどのように捉えられましたか? 菅原:地域

          映画「うちげでいきたい」脚本・菅原直樹さんインタビュー〜前編〜

          映画「うちげでいきたい」 監督・孫大輔さんインタビュー~後編~

          在宅看取りをテーマに2021年から2022年にかけて大山町を舞台に製作された映画「うちげでいきたい」の監督、孫大輔さん。孫さんは、過去にも東京の下町を舞台に人々の健康と地域との関わりを描いた短編映画「下街ろまん」をまちの人たちと一緒に製作した経験を持つ。2年前に東京から鳥取へ移住した孫さんは、現在は鳥取大学で総合診療医として働きつつ、地域医療の教育と研究にも携わっている。 インタビュー前編では、大山町での映画製作について語っていただいた。後編では、映画「うちげでいきたい」の今

          映画「うちげでいきたい」 監督・孫大輔さんインタビュー~後編~

          映画「うちげでいきたい」監督・孫大輔さんインタビュー~前編~

          在宅看取りをテーマに2021年から2022年にかけて大山町を舞台に製作された映画「うちげでいきたい」の監督、孫大輔さん。孫さんは、過去にも東京の下町を舞台に、人々の健康と地域との関わりを描いた短編映画「下街ろまん」をまちの人たちと一緒に製作した経験を持つ。2年前に東京から鳥取へ移住した孫さんは、現在は鳥取大学で総合診療医として働きつつ、地域医療の教育と研究にも携わっている。 そんな孫さんに、在宅看取りをテーマにした映画「うちげでいきたい」を製作するきっかけや大山町での映画製作

          映画「うちげでいきたい」監督・孫大輔さんインタビュー~前編~

          住民と医師が気楽にコミュニケーションをとれる町〜丸くなって対話しよう⑵〜

          人生100年時代、何歳になっても住み慣れた家や地域で安心して暮らしていくには、どうしたらいいのでしょうか。前半では、町民さんが自らの看取りの経験をお話してくれました。後半では、いのちと向き合う医師が自身の胸の内や、チームで行う在宅医療の実際について語ります。病院や医療の敷居を低くして、よろず相談のように住民と医師が気軽に話せる関係になっていくためには? 縁起でもないと思わずに、いつかくるその時を、「今」考えるきっかけに。 ※この記事は、鳥取県大山町のケーブルTV大山チャンネ

          住民と医師が気楽にコミュニケーションをとれる町〜丸くなって対話しよう⑵〜

          私たちの看取り〜丸くなって対話しよう⑴〜

          人生100年時代、何歳になっても住み慣れた家や地域で安心して暮らしていくにはどうしたらいいのでしょうか。自分や家族が歳を取った時に、地域の中でどのようなサポートを受けることができるのか、一人一人が知っておくことも大切です。 今回は、大切な家族を看取った4人の町民さんといのちの最期と向き合う医師が、自身の看取りの経験や胸の内を語ります。縁起でもないと思わずに、いつかくるその時を、「今」考えるきっかけに。 ※この記事は、鳥取県大山町のケーブルTV大山チャンネルで2021年7月に

          私たちの看取り〜丸くなって対話しよう⑴〜

          映画「うちげでいきたい」脚本・菅原直樹さんインタビュー〜後編〜

          在宅看取りをテーマに大山町で製作された映画「うちげでいきたい」の脚本を担当された菅原直樹さん。菅原さんは、岡山県奈義町で劇団OiBokkeShiを主宰し、「老い」「ボケ」「死」をポジティブに捉える活動をされている。介護福祉士でもある菅原さんが描く大山町での看取りについて、前編では脚本へ込めた想いを伺った。後編では、介護と演劇は相性が良いと考える菅原さんと、癌の宣告の時、介護の現場、日常の様々な場面で登場する演技を例に、真実とは一体何なのかを考えていく。 ※この記事は、映画の

          映画「うちげでいきたい」脚本・菅原直樹さんインタビュー〜後編〜

          家で看取る、を語る〈後編〉最期の時の過ごし方

          農業で鍛えた身体と生きる目標を持って、100歳を過ぎても元気に過ごしていた髙虫千枝子さんだったが、103歳の初夏頃から少しずつ身体が弱っていった。そして、最期の時を迎えるまでの2ヶ月間を、大山診療所の元所長(2019-2021)朴大昊(ぱくてほ)医師をはじめ地域のスタッフに支えられながら大山町の自宅で過ごした。 後編では、千枝子さんを看取られた息子の勲(当時74歳)さんと勲さんの妻・澄子さん(当時70歳)に、千枝子さんの生きてきた時間や在宅介護の日々、最期の時をどのように過ご

          家で看取る、を語る〈後編〉最期の時の過ごし方

          家で看取る、を語る〈前編〉「103歳まで生きてくれたから」

          髙虫千枝子さん。享年104歳。満103歳10ヶ月。千枝子さんは、最期の時を迎えるまでの2ヶ月間を、大山診療所の元所長(2019-2021年)である朴大昊(ぱくてほ)医師をはじめ地域のスタッフに支えられながら、鳥取県大山町の自宅で過ごした。千枝子さんを看取った息子の勲(当時74歳)さんと勲さんの妻・澄子さん(当時70歳)に、千枝子さんの生きてこられた時間や在宅介護の日々、最期の時をどのように過ごされたかなどを語っていただいた。 農業で鍛えた身体で「100歳まで生きる」旧名和町

          家で看取る、を語る〈前編〉「103歳まで生きてくれたから」