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2020-MAY-29「たとえ読み手は、ひとりもいなくても」

僕は10日ほどまえから毎日、文章を書いて自分のwebサイトとnoteにアップしてます。

それは誰かに見られる可能性のある文章であり、誰にも読まれない文章ではない。
だから読んでくれた人の1日がすこしでも豊かになるものを書いていくんだ。
そんな意気込みではじめてみました。

noteではありがたいことに、ソーシャルネットワークであるがゆえに、どなたかに見つけてもらって、ささやかな反応がたまにあるので励みになります。

しかしwebサイトの方は友人にしか告知していないこともあり、まったくPVがないことともしばしばです。誰にも読まれないということを知ると、とうぜん本来の書く意気込みを喪失させます。

「いまこうして書いている時間は無駄なんじゃないのか?」

だけどギリギリのところで踏ん張って、目的を再設定してゆくのです。

たとえそこに読み手はひとりもいなくても、人の時間をいただくような文章を、意識して毎日書くことに意味があるのだと。
あーでもない、こーでもないを来る日も来る日も繰り返してゆく。
そうすることで、ひとりだけの狭い世界から抜け出せる。

書くというきわめて個人的な行為が世界とつながるためには、公開することを前提にやっていかなくてはいけない。

結果的に、そこに読み手がいるか、いないかは第二義的なものなんだ。
人に読まれることを意識して毎日書く過程に、意味がある。


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