フクドメ ダイサク
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「辺境の先にある最先端」辺境を旅するマガジン『MARGINALEDGE』シリーズのプラットフォームとなるマガジンです。地理的制約に縛られないマクロな記事を書いていきます。まだMARGINALEDGEシリーズをお読みでない方は、こちらよりお読みください。
name フクドメ ダイサク born 鹿児島県 position on note いつも考え手(企画)/ つねに書き手(文章)/ ときどき、撮り手(写真) profile 23歳の時に訪れたはじめての異国、NYでの後頭部をぶっ叩かれるような経験によって、激しい価値観の揺さぶりを経験する。そのまま旅に目覚めて、ふらふらした頭で廻った国は24カ国。 海外を巡る日々によって、生まれ育った国への客観的視座がまがりなりにも育つ。 そうして沸き上がる日本国内への旅欲! この国を
答えは自ら生み出されるのではなく、 すでにあるものとしたらどうだろう。 組み立てるように、答えを考えるのではなく すでにそこにあるように、捉えたらどうだろう。 一歩立ち止まって考えるのではなく、 歩きながら、答えを探し求めるように考えたいのだ。
現状を変えたかったら、 暮らしている場所を変えるのが手っとり早い。 暮らしている場所さえ変えてしまえば、 いろいろな「いままで通りのこと」が「いままで通りではないこと」に変わる。 すると、いままで意識していなかったことが浮かびあがってくる。 その浮かびあがってきたものを掬って、さてどうしようか?とかんがえる。 それをかんがえることは、これからの生き方を見つめることになるのだ。 そして気づく。 自分の未来をどのようにでも変更することができることに。
大きな決断にともなう希望と不安。 一歩、踏み出した先に、光をみるのか、闇をみるのか。 どちらを選ぶか? それは踏み出した道の選択とおなじように、大切なことだ。 自分が歩き出した先にある光をみて進むこと。 そうすれば自ずと、明るい世界が拡がっているはずだ。
逆走してもええじゃないか。 こんな時代に人が密集して暮らす東京に行っても、ええじゃないか。 斜陽と言われている業界に飛び込んでも、ええじゃないか。 年齢的に無理だと言われても、ええじゃないか。 多数の人々が正しいと思っている意見が、自分の理想とする未来に資するとは限らない。 現実の状況を自分の視点で見極めて、正しく賢く、行動すればええじゃないか。
人は現在の結果を過去に求めがちだけれども、ほんとうのところ それは未来に原因があるのかもしれない。 理想とする未来があるならば、それを正しく掴んで引き寄せることで 人はそこに到達することができるはずだ。 もし、理想としない未来を掴んでしまったならば、こんなはずじゃなかったという結果をもたらしてしまうだろう。 だから、毎日の行動選択がとっても大切なのだと思う。 日々、どんな行動を取ったのかで、その人に訪れる未来は変わってくる。 今日はなにをしようか?どんなふうに過ごそうか
まえにも書いたようなことだけど、また意識にのぼったので、もう1度書きます。 もの心ついたときから、ため込んできたものを、一気に捨て、売り払い、片づけてみたのですが、その作業の最中に目にした物たちは、自分のやりたかったことの歴史の塊でした。 どれもがなにひとつ、人をアッ!と言わせるようなことを達成することができなかった。 広間にかたまったギターや空手道着なんかを目にしたあとに放った母親の一言。 「あんたはいろんなものに手を出してきたね」 本人にそんなつもりはなくても、こ
なんだか社会が混乱しているときって、ネガティヴな未来予想が幅を利かせがちだとおもうんです。 世界恐慌がやってくるとか。 失業者が増えて、格差が拡大するとか。 テレワークによって仕事ができない人が炙り出されるとか。 どれもがまぁ、そのとおりなのかもしれません。 僕もそういったことを考えるし、口に出すし、文章にも書いてます。 でもネガティヴな未来予想って、みんな似たり寄ったりなんですよね。 インターネットの例えば。。。Youtubeとか開いてもらったらわかるんですけど、コロ
やらなければならないことは多いが、なかなかそれらに手がつかない。 いま社会からの強制力を受けていない生活を送っているものだから、生活にマンネリが生まれている。 1日のリズムの中で、ピンと貼った緊張感を持った時間と、ダラッと緩んだ時間の往復こそが日々の生活に張りをもたらす。 そんなこと分かっているけど、自分で自分をうまく律するのはむずかしい。 甘えないように自分に厳しくしすぎても、他の人からのストップが入らなければ、気づいたときには身体を壊してしまう。 やすみすぎると、やる
ひとりで黙々となにかをやるのは、2ヶ月が限界だと思う。 以前、勤めていた仕事を4月のあたまに辞めてから、旅の記録の整理、webサイトの開設、転職&転居準備etcといった作業にあててきた。 なにものに縛られることもなく、やりたかったことを集中してやれることは豊かな時間だった。 しかし、その自由な時間はほとんど誰とも関わらない閉じたものだった。 コロナショックで遠出もできない。 すると、やっぱり集中力の限界が訪れる。 1ヶ月半をすぎたあたりからだ。 何ごとも進めることができ
やりたいことなんか、ひとつもないという気持ちになってみようかと最近かんがえている。 たくさんのやりたかったことは、やれなかったことになりつつあるからだ。 注いだ時間とエネルギーは膨大だったのに、僕にはいまだ達成できていないものがたくさんある。 そんなやれなかったことになりつつあるものを眺めていて、時間とエネルギーのベクトルを変えてみようと僕はかんがえた。 「自分のやりたいこと」ではなく、「人から求められること」に視点を変えてみようと。 それは「自分が求めているもの」を追
「もう〜歳なんだから、そんなことはやめときなさい」 こんな一言が歴史の中で、どれだけのチャンスを奪ってきたことだろう。 社会には年齢によって、求められている役割があり、それにのっとって人生を築くことが求められる。 〜歳ならこうする。という社会に決められた目盛りはすべての人に当てはまるわけではない。 人それぞれに固有のペースがあり、適切なタイミングがある。 自分の人生に100%の責任を負っているのは自分だけだ。 〜歳ならこうする。と言って簡単に人を批判する人間は、批判した
僕はふだんテレビをみません。 でも危機のときには、試聴時間がぐっと増えます。 東日本大震災のときもそうでした。とうぜん、新型コロナに揺れる最近もそうです。 なんで社会が混乱しているときにインターネットよりも、テレビを僕は選ぶのか? まず、テレビは視聴者に共有の感情を抱かせやすい特徴があることに気づきます。 そしてインターネットとちがって、情報を受けるのが楽。インターネットの場合、自分好みの情報がやってきて、視聴しようかどうか、つねに選択を迫られますから。 だから、インタ
転居準備のため部屋の整理をした結果、自分のすべての荷物がスーツケース7個分程になりそうだ。 (モニターやスピーカーなどの家電製品抜きで) そんな所有物をすべてクローゼットに置いて眺めてみる。 持っているすべての物[もの]をひと目で視認できるというのは、とても気持ちがいい。 あの書類はどこにやったっけ? お気に入りのTシャツはどこにあるんだっけ? あの人からもらった手紙はどこにしまったかな? そんな「?」は一箇所にまとめられたスーツケースや、箱の山から探し出せばいい。あっ
日記を紙に書かなくなって、久しい。 数年前から日々の出来事のすべては完全にコンピュータに記録している。 もちろん手書きもする。 それでも適当なメモ用紙に書いたものだから、コンピュータに打ち込むとさっさと捨てている。 だからここ数年、紙の記録物はほとんど溜まらなかった。 それが、ここ数日、転居準備のために所有物の整理を始めると、出てくる出てくる。ノートや紙の束。 神経質なタチなもんだから、いちいちそれに目をとおして捨てるものと、残すものに選り分けている。 そんなことをしてい
ジョン・レノンは世界を平和にしたのか? セックス・ピストルズは権威をブッ壊せたのか? ボブ・ディランの詩は政治に反映されたのか? 答えはノーだ。 ベトナム戦争をジョンでも止めることができなかった。 ピストルズのヴォーカル、ジョニーは右翼からの襲撃を受けた。 ディランはもとから、人々を鼓舞して世界を変えようなんて気はなかった。 世界が変わったのは現実的な政治決定だけだった。 いまジョージ・フロイドさんの死をきっかけにして、多くのアーティストが声をあげている。 しかしこれ