本を読むのは、病んでいるの?
先日、AKUSHUで、知人に本をいくつか紹介していた。
その途中、彼女の旦那さんが現れて、一言。
「病んでるんかー?」
僕は、リアリティあるなーと思った。
その旦那さんは、きっと日常で本を読んではないと想定した。(もしくは、本を読む時は病んでいる時なのかもしれないが、その線は薄いかな。)
特に深い意味はなかったと思う。
【本(本屋)】に対して、彼は【病む】というワードを連想したのだろう。
本屋を始めて、本好きな人や、読書に対して肯定的な方と多く関わるようになった。それもあって、この出来事はドキっとした。読まない人の声を聞くことって、なかったから。
反射的に、「読んでないくせに・・・」って、よぎったのも事実。
だけど、1度を息を吐いた後には、「あぁ、そうだよなぁ。。。本を読んでない人のほうが多くて、読んでない人からすると、そのようなとらえ方しても不思議ではないかぁ・・・」と思った。
この方が、AKUSHUの、今のターゲットではないのは明白だが、1年後はどうかわからない。彼が、彼の奥さんから影響を受けるかもしれない。
ふと、何かのタイミングで手に取った本が、彼の世界観を変えて、本に没頭する未来もゼロではない。
このエピソードから大事だと認識したのは、本を読まない人の感覚を内部化すること。排除、対立、を自分からしないこと。
抽象化させると、万事、興味のない人の声もまずは受け入れること。
無意識に、本に興味を持ってくれる人の声に耳を傾けすぎていた。偏重していた僕に気付きを与えてくれた。
これはしっかりアウトプットしたいと思い、この出来事を今日のブログで書いてみた。
言語化できて、よかった。
今日の福井は、午後過ぎまでは晴れ。その後雨。明日の朝にはまた晴れに戻る。この天候の変化を体感しながら、ひとつひとつの出来事に向き合いたいと思った。
10年前の記事はこちら。