見出し画像

元従軍医官の釣り好き名医

幼少時にお世話になっていた町医者の先生。小さな田舎の医院でしたが、常に混雑しており、非常に小さな待合室はいつも混沌としている状況でした。

不便な場所にありましたが、混雑していた理由は過去の大戦時に従軍医官として各地を転戦した経験を持ち、その厳しい状況で身につけた火傷(やけど)の名医として著名で、全国各地から重症患者が常に来院していたからです。

当時は全く感じませんでしたが、医院内の雰囲気はいつも凄惨な状況で、各地の大病院で手に負えない紹介患者や他院に入院中で耐えがたい苦しみから逃れたい患者が評判を聞きつけて、いつも駆け込んでいました。

例えるなら、包帯に巻かれたミイラのような状況に陥っている方が大勢いました。包帯を外しているだけでも苦痛の悲鳴が医院に響きわたります。

私はその医院で先生と釣りの話をするために、大した病状でもないのに家を抜け出して一人で診察を受けに行っていたのです。当時の年齢は小学校の低学年でした。もちろん診察料は後払い。平謝りで祖母が払っていてくれたはずです。

医院の休診は日曜日。休診日にいつも釣りに行くのを知っていたので、月曜日の診療が終わる直前の時間が狙い目でした。先日の釣果が良ければ、大量のサバやアジを土産話と共にいただけるからです。

釣り話の合間に外国の激戦地での悲惨さや戦争を再び起こしてはいけないことを話してくれましたが、その価値を当時は気づきません。

ただ先生も一人の人間で趣味の話をしたいのが分かっていました。なぜなら、診察なのに症状を聞く前に釣りの話が先に始まるからです。

そんな先生が大好きでした。それは異様な雰囲気に包まれる野戦病院さながらの状況の中で、診療時間としてのフィルターを通して、お互いに輝く時間を共有していたからです。

いまは他界されている名医に敬意をこめて

サポートしていただけると大変有難いです。頑張っていきますので、ぜひ宜しくお願い致します!