憧れの台湾
2010年春、私は友人のIと一緒に旅行代理店に来ていた。
二人で大学生のうちに台湾に行こうと意気投合した私たちは、下調べせずに直接店に行ったのだった。
そこで、金額を聞かされた私は無理だと思い諦めた。
その当時、バイトをしていなかった私は思いのほかお金がなかった。それでもいくらかは出せると思っていたが現実はそんなに甘くなかった。
それまでわりと近いと思っていた台湾との距離が、とても遠くに感じられた。
「金が貯まったら行こう」
Iにそう告げてから、10年経った。
結局台湾には行っていないが、Iと会うとその話になる。
「台湾行ったら、青島ビール飲んで屋台の飯食おうぜ」
Iというのは不思議な男で、いつも目を輝かせてやりたい事を話している。
彼の口からネガティブなことは滅多に聞かない。クセはあるが、彼ほど好きなことに純粋に向かえる人は少ないだろう。
あれこれ悩んでしまう私とは正反対である。
少しIの話をしようと思う。
Iは物作りが好きな男で、サラリーマンをしながら動物などのフィギアを作ってどこかの賞をもらっていたりする。
大学で初めて話した時も、薄暗い部屋で粘土で猫の小物を作っていた。
「俺、でっけぇ剣作りてぇ」
ベルセルクの話をしていたから出た言葉だったのだろう。
私は、この一言で彼はキテると思った。
それから私たちは何かと気が合い、時々飲みに行くようになった。
話はそれたが、10年経っても彼と台湾について話すのは、私たちの行きつけの店の存在が大きい。
それは都内のとある台湾料理屋。
学生時代の後半からなので、もう10年以上通っている。
私にとって東京で一番好きな店であり、地元のように心落ち着く場所だ。
入口の上部、ネオンで縁取られた看板に”台湾屋台料理”と書かれているその店は、行ったこともない国の料理を味わわせててくれる。
席に着くと、テーブルに置いてある真っ赤な箸を取り皿の上にのせると準備完了。
店長が運んでくれたキンキンに冷えた緑色の瓶には、薄い黄金色のビールが入っていて軽い味わいと麦の甘い香り、そして喉に突き刺さる爽快感がたまらない。青島ビールである。
それが店の料理にとにかく合う。
メニューには写真の横にフリガナ付きで料理名が書いてあり、その名前に異国感を感じる。
しかしフリガナで料理を頼むと、必ず別の言葉で返されるのがこの店の面白いところである。
私「青菜(チンツァイ)!」
青菜炒め、食材によって数種類あるが私はいつも青梗菜を選ぶ。程よい塩味とシャキシャキした食感がたまらない。
店長「あおなぁ」
私「塩蜆(キャムラ)!」
蜆のニンニクしょうゆ漬け、他にも何か説明があったが覚えていない。ただ、味は思ったよりしょっぱくはなく癖になる味である。この店以外では食べたことのない、日本にない味だ。
店長「しじみぃ」
私「香腸(エンチャン)!」
赤く、サラミのような見た目。五香粉が入っているのかシナモンなどの香辛料が食欲を刺激する。少し強めの塩味が酒を進ませる。
店長「ちょうづめぇ」
私「台北排骨(タイペイパイクウ)!!」
甘酸っぱいオレンジのタレがかかった、骨つきの豚肉は程よく揚っていて香辛料からくる独特の風味がやみつきになる。
店長「スペアリブぅ」
英語かよ、と突っ込みを入れたくなるが、この料理が一番好きかもしれない。
これだけおいしい料理がある国なのだから、もっと店になくて知らない食べ物も味わってみたい。
日本にないものを見てみたい。
西門町や台北101、士林夜市、九份、行きたい場所は無数にある。
ふと、店内を見たときに朱色を基調とした内装に台湾を感じる。
料理もそうだが、店員さんも台湾出身の人がほとんどらしい。
店員たちの間では中国語がしきりに使われている。
そんな店内にいると、台湾に来ているような気持になってくる。
そういうわけで、Iとその店に来ると毎回台湾旅行の話をしてしまうのだ。
都内にあるその店で、家族や友人たちと食事をするのが私の幸せである。
今は行くことができないが、いつかまた行きたい。
そこが私にとって慣れ親しんだ、小さな台湾なのだ。
いつか、本当の台湾に行った時、きっとここを思い出すのだろうと密かに思っている。