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ナンキンハゼの紅葉を鑑賞したり 晩秋に咲いたユリを観たりした後, 自分自身の過去と今, ディランの断片, ポール・サイモンの今 を考え, その後, 突如 Day Tripper ♫ 〜 41年前の今日のインド・アムリトサルに 日帰り旅行して, 最後は 井上陽水「結詞」で結ぶノート

どういうタイトルなんだ, こういうタイトルなんだ, おお, トートロジー。それに「鑑賞」は通常, 芸術作品に使う言葉。しかし自然が生み出した芸術と見做せば OK, 理屈っぽいな, それは 4日前の本 note オリジナル・ヴァージョンの冒頭にも書いたのだった。


今日のはこれの, オルタナティヴ・ヴァージョン

先日, ナンキンハゼの紅葉を観たり, 遅咲きのユリを見たりした後, 2種類の note トピックを思いついた。以下が先にアップした note, 題して,

ナンキンハゼの紅葉を鑑賞したり, 晩秋に咲いたユリを観たりした後, 「人生のポケット」を振り返るノート

なぜ 自分自身の過去と今, ディランの断片, ポール・サイモンの今 に想いが 飛んだのか

飛びます

飛びます, 飛びます

真面目に書くと

以下,

の中から一部, 抜粋。シンプルに言うと, 以下, 転載に際し 太字 にした辺り。

これも 動画。

晩秋の日曜午後, カミさんとウォーキングに出て, まずは家の近くの公園に寄り, ナンキンハゼ の紅葉を観察。

ナンキンハゼ が 2本並んでいて, 左は今も緑, 右は「紅葉」真っ盛り。人間も年の取り方は人それぞれ, それと同じ ... か?

📸 2024年11月24日 午後3時53分

家路に向かう道(我が家はまだだいぶ先の方), 珍しい遅咲きの ユリをみつけた(写真 2枚)。

ウォーキングの帰路, カミさんが ユリ発見。

ユリの開花時期は 普通は初夏から盛夏。晩秋のこの時期に花を咲かせるユリは珍しい。

人間の世界で言うところの「大器晩成」型ユリ。いや, なんでも人に譬えてはいけない, そもそも人間より自然の方が偉い ... か。いやいや, そもそもそもそも, 本来は, 人間も自然の一部に過ぎない。しかし兎に角(ウサギにツノがあろうが無かろうが), ユリの方が人間より偉い ... 気がする。

📸 2024年11月24日 午後4時38 - 39分

Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now 〜 あぁ, でも あの頃の俺は もっとトシ取ってたよ, 今の俺の方が若いぜ

俺が 大嫌いなディランの曲の中の, 俺がわり好きな歌 My Back Pages の一節。しかし 以下の note は, 海外「放浪」蔵出し写真集 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) [歌詞和訳], だから ロッド兄い(もう爺さんだけど, 笑)の名曲の拙訳(拙者による訳, 実際は良ヤク, いや良薬, いや良訳, めっちゃ良訳, 自ヤク自賛)。

写真は 1983年6月1日、「分断国家」ドイツ、「ベルリンの壁」があった時代で西ベルリンは陸の孤島化、その当時「東ドイツ」(ドイツ民主共和国, 「民主」というのは殆どギャグだけど)領「東ベルリン」側にあったブランデンブルク門の前で記念写真に収まった筆者、911の誕生日を迎える前、22歳(*1)。

ほんとは放浪「もどき」だから(*2)、タイトルでは「放浪」と鉤括弧を付けた。帰国したのは 1984年2月1日だけど(韓国・釜山港からフェリーに乗って下関に来て「母国」日本に入国)、その後何度も行くことになる広島を初めて訪れ3泊してから静岡県の田舎の実家に帰ったのが、今からちょうど 37年前、1984年2月4日だった。

*1

*2

ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅をすることと「おおよその」行きたい国は想い描いていたから、単に「放浪」と言ったら言い過ぎ。自由に旅ができないソ連以外は宿や交通機関の予約などしていなかったし、厳密には行く国の全てなど決めておらず、当然それぞれの滞在日数も決めてなかったから、その点はまぁまぁ「放浪」に近いんだろうけれど。

1983年4月26日に横浜港を発って「国」名だけ挙げると当時のソ連、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、西ドイツ、東ドイツ(東ベルリンのみ)、フランス、スイス、オーストリア、(当時のチトーの)ユーゴスラビア、イタリア、ギリシャ、トルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプト、再びトルコ、イラン、パキスタン、インド、タイ、韓国を旅し、1984年1月31日に韓国・釜山港を発って翌2月1日に下関港にて入国手続き、10ヶ月に満たないからバックパッカーの海外一人旅としてはさして長い方ではないと思うが、兎にも角にも、帰国した。静岡県の実家に戻ったのは 2月4日のことで、帰宅前、広島に(3泊4日)滞在した。

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

トーキング・ヘッズ "Road to Nowhere" 歌詞和訳

前から思ってるんだけど(本 note 第4章), トーキング・ヘッズ "Road to Nowhere" のタイトルと歌詞, そして同曲が収められた, 彼らの 1985年リリースのアルバム "Little Creatures" のカヴァーの絵は, なんというか, そこはかとなくと言いましょうか, ポール・ゴーギャンのあの有名な絵とそのタイトルに重なるところがあるのであります。

ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin: June 7, 1848 – May 8, 1903)は フランス人の画家で, この絵のタイトルは

Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going? (Paul Gauguin, 1897-1898)

フランス語では "D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?",

でも拙者, フランスには 2度行ったことあるけど フランス語の方はさっぱし分かりません。カタコトの挨拶+α 程度を知ってるだけで, 綴りを正確に書ける単語なんて Merci だけかも(笑)。

絵のタイトルは 英語では

Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?

ということになっていて, 日本語では

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

さぁ 皆さん, 一緒に歌いましょう 🎶

Well, we know where we're going, but we don't know where we've been

ほんとに重なるかな。いやたぶん, we know what we're knowing, but we can't say what we've seen.. 🎶

前からそう思ってるものの, 実を言うと, 思考はそこで止めたままで, いまだそれ以上 深く考えたことがない(笑)。

歌詞の拙訳いや良ヤクいや良薬, いや 良訳は, 上掲・下掲 note の中。つくづく, しつこい(笑)。

ではでは 🎶

ディランの断片 〜 断片でも「一線を越えた」断片, イスラエル擁護者 「ボブ・ディラン」 に対する 俺の個人的ボイコットは, 所謂 "キャンセル・カルチャー" なるものとは一切関係ない

「ボブ・ディラン」ボイコット運動でも起きれば, 協力なり参加なりすると思うよ。しかし自分でそれを起こすような気はないし(今再び ディランが 破廉恥なイスラエル支持ソングをリリースでもしたなら「ボイコット運動」の意味はあるだろうが, でなければ 既に昔ほどの影響力を持たないディランに対する社会的つまり世間を巻き込んだ「ボイコット」運動を組織することは俺個人にとっては時間の無駄だと感じる, 括弧長ぇ), 何はともあれ, 俺のディラン「ボイコット」はまずは 俺のアティチュードもしくはその意思表明, まぁ後者もアティチュードに含まれるけれども, 要するに 個人的なレベルのアティチュードであって, それ以上でも以下でもない。「ジャーナリズム」なりメディアなり「評論家」なり 世論なりが「ディランだから」という理由で 彼への批判を控えるのなら, 実際「控え目に言っても」「控えてる」と思うし, 神聖化して不可侵扱いしてる向きもあるだろう, 俺はそれに対しては あくまで批判者だけどね。

もちろん, 普段は, アートにおける作品とその作者の政治的態度は切り離してアートを鑑賞している。いちいち音楽家や画家などが(例えば)どの政党を支持するか, あるいはどんな政治思想を持っているか, などによって 音楽や絵画の選り好みなどしていたらキリがない。しかし, それにも限度はある。一線を超えたら話は別だ。

英米のロックを聴いて育った自分にとって, かつて, ボブ・ディランは数多く存在する好きなミュージシャンのうちの一人に過ぎない存在だったのであり, 特別な存在だったことはない。また, 彼が作った歌の中に自分にとって好きな歌は少なからずあったものの, いつも彼本人が歌うヴァージョンよりも他のミュージシャンによるカヴァーの方が好きだった(ただし 2016年4月に遅ればせながら初めて且つ2度 ディランのライヴを観た際はそのカリスマ性を感じさせるステージに感銘を受けた, それは正直に書いておく)。

そして, ディラン自身が歌う歌は, 2016年秋に今日の note でも取り上げた彼の恥ずべきイスラエル支持ソングの存在を初めて知って以来, 一切, 聴かなくなった。

もちろん, 通常は, アートにおける作品とその作者の政治的態度は切り離してアートを鑑賞している。いちいち音楽家や画家などが(例えば)どの政党を支持するか, あるいはどんな政治思想を持っているか, などによって音楽や絵画の選り好みなどしていたら, キリがない。

しかし, それにも限度はある。一線を超えたら話は別だ。
例えば, 「ゲルニカ」で有名なピカソが, もしも実はナチスを賛美する絵画を描き, 生涯それを恥じることもなかったと知ったら(もちろん仮定の話, ピカソに関してそんな事実はない), あるいは, "Imagine" や "Give Peace a Chance" などを歌ったジョン・レノンが, もしも実はベトナム戦争時の米軍によるソンミ村虐殺事件の直後に「アメリカ合州国」支持を旨とする歌を書いていたことが分かり, それを彼が生涯恥じることなどなかったのだと判明したら(これももちろん仮定の話である, 実際のところはジョン・レノンがそんな歌をそんなタイミングで歌う, 歌ったなどということは有り得ない話だ), 仮にそんなことがあったとしたら, 二人に対する後世の評価はどうなっていただろうか。

なぜ, ボブ・ディランだけは, その「不都合な真実」が「不都合」なものとして広く世に知れ渡らない? なぜディランだけは許容される? それはディランだから?

ディランはポピュラー音楽史において触れてはならない, 批判してはならない絶対の「神」のような存在だとでも言うのだろうか(そもそも筆者は一切の宗教について信者ではないのでそんな莫迦莫迦しい心理は理解に苦しむが)。文字通り, 莫迦莫迦しい。

ではでは。

ポール・サイモン の 今

緑の木の葉は茶色に変わり, 風に揺られて 枯れ,  手の中に砕け 散る

ポール・サイモン "Leaves That Are Green" 〜 歌詞和訳

ポール・サイモン は, 緑から成熟の茶になっただろうか, それとも..

上掲(前項)の note 第4章 ポール・サイモン は, 緑から成熟の茶になっただろうか, それとも.. から転載。「引用」形式の貼り付けでなく, 以下に そのまま載せます(ポール・サイモンから離れた関連トピックも書いてる)。

転載の後に, ポール・サイモンの(音楽の)近況を付け足し。

ポール・サイモン は, 緑から成熟の茶になっただろうか, それとも..

なんてね。そんな大袈裟な大見出しをつけながら, 実は大して深みのあることを書こうとしているわけじゃない。ちょっと気になってる程度のことをメモ書きしておこうと。

「音楽脳」の半分くらいは Eric Clapton と Paul Simon の音楽で作られたんじゃないかと思うくらい, ガキの頃から両者の曲を聴いてきた自分は, Simon & Garfunkel のオリジナル・アルバムは全て持ってるし, Paul Simon のソロ・アルバムも 1980年リリースの One-Trick Pony と 1997年リリースの Songs from The Capeman 以外は全て持ってる(上記2つを買ってないのは文字通り偶然のことで, 要するにこれまで音楽聴いて生きてきたなかで「買う」に至る縁が , たまたまなかった, それだけに過ぎない, だからそのうち縁が生まれれば 買う・持つに至るんだろう)。

ソロ・アルバムの中では There Goes Rhymin' Simon (1973年) と Still Crazy After All These Years (1975年) が 最も好きなアルバムだが, 近年のものでも, 例えば Stranger to Stranger (2016年) などもかなり良かった。齢 70代半ば にして 依然としてこれほどに創作意欲を持ち続け, 結果 これほどのハイクオリティの作品をリリースできるのかと, ファンとして感激したものだった。

その後, 2018年9月, Paul Simon が 77歳(日本的に言えば「喜寿」, 数えじゃなくて満だけど, 笑)になる直前にリリースした In the Blue Light, あれは言わば, アレンジはオリジナルからかなり距離を置きつつも「セルフ・カヴァー」のアルバムで, 面白いと言えば 面白いんだけど, しかし一例を挙げるならまず オープニング・トラックの One Man's Ceiling Is Another Man's Floor (元は There Goes Rhymin' Simon に収録)など, どう聴いても オリジナルの方が良かったし, そのうち In the Blue Light というアルバム自体 あまり聴かなくなってしまった。

その In the Blue Light の次のアルバムが 直近・最新作 Seven Psalms で(2023年5月リリース), これもリリース後 直ぐに手に入れた。

収録曲が アルバム全編通しで聴くことをリスナーに要請するような作りになっていて, かつ 完全なアコースティック(バラカン流で表記するなら「アクースティック」)のパフォーマンスで創作されているというもので, 80歳を優に越えてなお, こんな新たな試みをするのかと感心, 他の人に薦めたりもしたし, 実際しばらくの間, 聴き込んだのは確か。

だが, ごく当初の自分の予感に反し, 続かなかった。つまり, ほとんど聴かなくなってしまった。

Paul Simon は一般にその腕前が過小評価されているのではと思うほどに アコギが上手いし, アルバムの 演奏そのもののパフォーマンスは 流石に素晴らしい。しかし, なんだろう, 要するに, アルバム全編から醸し出される「世界観」みたいなものに, ガキの頃から既に半世紀を軽く超える長年のファンであるリスナーとしての自分でも, ついていけない感が強くなった, それが結局 早いうちに「聴かなくなってしまった」ことの 原因なのだろうと思う。

アルバム・タイトル Seven Psalms の Psalms が ユダヤ教の旧約聖書の「詩篇」(the Book of Psalms)から インスパイアされているだろうことは容易に想像できたし, psalm は一般的な単語として使っても「賛美歌」や「聖歌」を意味するようだから, アルバムのコンセプトの大半を ユダヤ教と特定せずともユダヤ教やキリスト教に根ざした宗教や信仰に関するものが占めていることは 最初から分かっていた。

それでもやはり, ここまで「神がかる」(Paul Simon 自身が このアルバムのアイディアを「夢の中で思いついた」「週に2, 3日, 午前3時半から5時の間に起き, このアルバムに収める [宗教や信仰に関わる] 作品の歌詞を書いていた」と語っている, 「神がかってる」よね, これは)と, やはり俺は無理だな, 単純に。とまぁ, そんな気分が増していったように思う。

若い時から, あれほど多くの, 宗教や国籍や民族の垣根を越えた, 要するに文字通りの「普遍的な」作品を創り, 発表してきた Paul Simon が, どうして 80歳を過ぎてから ここまで「神がかった」作品を創るようになった(なってしまった)のか, これは聴く人それぞれ, リスナーそれぞれ, ファンそれぞれが異なる感じ方をするんだろうけれど(それはもうこういうことに限らず 当たり前のことなんだが), 自分自身の受け取り方を言えば, 要するに, 些かそこは「失望」した。

そして, これはこのアルバム Seven Psalms を聴かなくなって以来かなり時を経て, あらためて思うようになったことなんだけど, つまり,

ユダヤ人である Paul Simon は, イスラエル/パレスチナ の問題をどう考えているのか, あるいはほとんど正面から向き合っていないのか, いや考えることがないわけではないのか ..

同世代の ユダヤ系アメリカ人ミュージシャンである Bob Dylan,

あの Bob Dyaln のように, くだらない, 恥ずべき イスラエル支持ソングなど, Paul Simon が 書いたことがないのは はっきりしているのだが,

しかし Simon も, 過去に 例えば Hearts and Bones (1983年) のように "One and one-half wandering Jews, free to wander wherever they choose" で始まる歌を創ったりもしてるし, Still Crazy After All These Years (1975年) のエンディング曲として収められた Silent Eyes のように "Silent eyes, watching Jerusalem" と歌う曲もある。彼が自身の「ユダヤ人性」 Jewishness を意識してきたことは明らかだろう(念のため書いておくと「イスラエル支持」を暗示するラインやフレーズなどは何処にもない, それは皆無)。

さて, こんな話は この辺にしておくけれど, Jerusalem とか, ユダヤ教とか, 「旧約聖書」とか言い出す輩「一般」には, ということで,

この章の最後, 唐突ながら,

第二次世界大戦前に親族の多くをナチス・ドイツによるホロコーストで殺され, かつ ワルシャワ・ゲットー蜂起, そしてアウシュビッツ強制収容所・マイダネク強制収容所の生存者である両親のもとに生まれた, ユダヤ系アメリカ人政治学者 ノーマン・フィンケルスタイン(Norman Finkelstein, 1953年12月8日生まれ)の言葉をここに(以下の画像の下にヴィデオも)。

*ノーマン・フィンケルスタインが, (反)ナチス, (反)ホロコースト等に言及して イスラエルをひたすら「擁護」する人たち, そんな特にイスラエル人もしくはユダヤ人に向けて, 同じユダヤ人(ユダヤ系アメリカ人)として 語った言葉。

….. この下は, ポール・サイモンの(音楽の)近況, 付け足し …..

ポール・サイモンは最近(先月), カミさん *2 と一緒に 新曲をリリースした。

Bad Dream *1 〜 Paul Simon & Edie Brickell ♫

*1 Bad Dream .. 悪夢?

それでもやはり, ここまで「神がかる」(Paul Simon 自身が このアルバムのアイディアを「の中で思いついた」「週に2, 3日, 午前3時半から5時の間に起き, このアルバムに収める [宗教や信仰に関わる] 作品の歌詞を書いていた」と語っている, 「神がかってる」よね, これは)と, やはり俺は無理だな, 単純に。とまぁ, そんな気分が増していったように思う。

*2 彼の現在の「神」さんが「旧約聖書」や「新約聖書」などの「神」*3 ではなく, 彼の現在の「うちのカミさん」であることを祈る, 祈る, 何かに書かれた「神」なるものではなくこの宇宙を律する何か絶対的な力に「祈る」。

*3 ジョン・レノン, God 〜 神とは, 我々の苦痛を測るための概念である (歌詞和訳)

ではでは 🎶

Day Tripper ♫ 〜 41年前の今日, 1983年11月30日の インド・アムリトサル に 日帰り旅行 🎶

Day Tripper, by the Beatles ♫

"Day Tripper" is a song by the English rock band the Beatles that was released as a double A-side single with "We Can Work It Out" in December 1965. The song was written primarily by John Lennon with some contributions from Paul McCartney and was credited to the Lennon–McCartney partnership. Both songs were recorded during the sessions for the band's Rubber Soul album.

https://en.wikipedia.org/wiki/Day_Tripper 安直にウィキから

Day Trip は「日帰り旅行」, で, あっちの意味もある。

Day Tripper は 要するに「日帰り旅行者」「日帰りの旅人」。あっちの意味では 1日だけアレ? .. 日本で アレやれば 違法。

はい、菊池です

日本でアレ やる前に ..

おお, ポール, ポール・マッカートニー!(笑)

41年前の今日, 1983年11月30日の インド・アムリトサル に 日帰り旅行 🎶

インド入国, まずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル へ 〜 1983年11月29日-12月3日

The Golden Temple (Harmandir Sahib), Amritsar, India 〜 a photo 1/2 shot by me on November 30, 1983, 41 years ago TODAY
The Golden Temple (Harmandir Sahib), Amritsar, India 〜 a photo 2/2 shot by me on November 30, 1983, 41 years ago TODAY … なんで英語やねん, なんで関西弁やねん

Morning Music: Anhad Nād - Sounds from the Sikhs and Sufis by Amrit Kaur Lohia 🎶

ではでは, 最後は。

招待状のないショーから, 枕詞, そして 結詞

浅き夢 淡き恋 遠き道 青き空
今日をかけめぐるも 立ち止るも 青き青き空の下の出来事 ..

澄み切った青空を見て 悲しくなる時もある, 「人生 舐めんなよ」

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