ナンキンハゼの紅葉を鑑賞したり 晩秋に咲いたユリを観たりした後, 自分自身の過去と今, ディランの断片, ポール・サイモンの今 を考え, その後, 突如 Day Tripper ♫ 〜 41年前の今日のインド・アムリトサルに 日帰り旅行して, 最後は 井上陽水「結詞」で結ぶノート
どういうタイトルなんだ, こういうタイトルなんだ, おお, トートロジー。それに「鑑賞」は通常, 芸術作品に使う言葉。しかし自然が生み出した芸術と見做せば OK, 理屈っぽいな, それは 4日前の本 note オリジナル・ヴァージョンの冒頭にも書いたのだった。
今日のはこれの, オルタナティヴ・ヴァージョン
先日, ナンキンハゼの紅葉を観たり, 遅咲きのユリを見たりした後, 2種類の note トピックを思いついた。以下が先にアップした note, 題して,
ナンキンハゼの紅葉を鑑賞したり, 晩秋に咲いたユリを観たりした後, 「人生のポケット」を振り返るノート
なぜ 自分自身の過去と今, ディランの断片, ポール・サイモンの今 に想いが 飛んだのか
飛びます
飛びます, 飛びます
真面目に書くと
以下,
の中から一部, 抜粋。シンプルに言うと, 以下, 転載に際し 太字 にした辺り。
Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now 〜 あぁ, でも あの頃の俺は もっとトシ取ってたよ, 今の俺の方が若いぜ
俺が 大嫌いなディランの曲の中の, 俺がわり好きな歌 My Back Pages の一節。しかし 以下の note は, 海外「放浪」蔵出し写真集 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) [歌詞和訳], だから ロッド兄い(もう爺さんだけど, 笑)の名曲の拙訳(拙者による訳, 実際は良ヤク, いや良薬, いや良訳, めっちゃ良訳, 自ヤク自賛)。
1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集
トーキング・ヘッズ "Road to Nowhere" 歌詞和訳
歌詞の拙訳いや良ヤクいや良薬, いや 良訳は, 上掲・下掲 note の中。つくづく, しつこい(笑)。
ではでは 🎶
ディランの断片 〜 断片でも「一線を越えた」断片, イスラエル擁護者 「ボブ・ディラン」 に対する 俺の個人的ボイコットは, 所謂 "キャンセル・カルチャー" なるものとは一切関係ない
ではでは。
ポール・サイモン の 今
緑の木の葉は茶色に変わり, 風に揺られて 枯れ, 手の中に砕け 散る
ポール・サイモン "Leaves That Are Green" 〜 歌詞和訳
ポール・サイモン は, 緑から成熟の茶になっただろうか, それとも..
上掲(前項)の note 第4章 ポール・サイモン は, 緑から成熟の茶になっただろうか, それとも.. から転載。「引用」形式の貼り付けでなく, 以下に そのまま載せます(ポール・サイモンから離れた関連トピックも書いてる)。
転載の後に, ポール・サイモンの(音楽の)近況を付け足し。
ポール・サイモン は, 緑から成熟の茶になっただろうか, それとも..
なんてね。そんな大袈裟な大見出しをつけながら, 実は大して深みのあることを書こうとしているわけじゃない。ちょっと気になってる程度のことをメモ書きしておこうと。
「音楽脳」の半分くらいは Eric Clapton と Paul Simon の音楽で作られたんじゃないかと思うくらい, ガキの頃から両者の曲を聴いてきた自分は, Simon & Garfunkel のオリジナル・アルバムは全て持ってるし, Paul Simon のソロ・アルバムも 1980年リリースの One-Trick Pony と 1997年リリースの Songs from The Capeman 以外は全て持ってる(上記2つを買ってないのは文字通り偶然のことで, 要するにこれまで音楽聴いて生きてきたなかで「買う」に至る縁が , たまたまなかった, それだけに過ぎない, だからそのうち縁が生まれれば 買う・持つに至るんだろう)。
ソロ・アルバムの中では There Goes Rhymin' Simon (1973年) と Still Crazy After All These Years (1975年) が 最も好きなアルバムだが, 近年のものでも, 例えば Stranger to Stranger (2016年) などもかなり良かった。齢 70代半ば にして 依然としてこれほどに創作意欲を持ち続け, 結果 これほどのハイクオリティの作品をリリースできるのかと, ファンとして感激したものだった。
その後, 2018年9月, Paul Simon が 77歳(日本的に言えば「喜寿」, 数えじゃなくて満だけど, 笑)になる直前にリリースした In the Blue Light, あれは言わば, アレンジはオリジナルからかなり距離を置きつつも「セルフ・カヴァー」のアルバムで, 面白いと言えば 面白いんだけど, しかし一例を挙げるならまず オープニング・トラックの One Man's Ceiling Is Another Man's Floor (元は There Goes Rhymin' Simon に収録)など, どう聴いても オリジナルの方が良かったし, そのうち In the Blue Light というアルバム自体 あまり聴かなくなってしまった。
その In the Blue Light の次のアルバムが 直近・最新作 Seven Psalms で(2023年5月リリース), これもリリース後 直ぐに手に入れた。
収録曲が アルバム全編通しで聴くことをリスナーに要請するような作りになっていて, かつ 完全なアコースティック(バラカン流で表記するなら「アクースティック」)のパフォーマンスで創作されているというもので, 80歳を優に越えてなお, こんな新たな試みをするのかと感心, 他の人に薦めたりもしたし, 実際しばらくの間, 聴き込んだのは確か。
だが, ごく当初の自分の予感に反し, 続かなかった。つまり, ほとんど聴かなくなってしまった。
Paul Simon は一般にその腕前が過小評価されているのではと思うほどに アコギが上手いし, アルバムの 演奏そのもののパフォーマンスは 流石に素晴らしい。しかし, なんだろう, 要するに, アルバム全編から醸し出される「世界観」みたいなものに, ガキの頃から既に半世紀を軽く超える長年のファンであるリスナーとしての自分でも, ついていけない感が強くなった, それが結局 早いうちに「聴かなくなってしまった」ことの 原因なのだろうと思う。
アルバム・タイトル Seven Psalms の Psalms が ユダヤ教の旧約聖書の「詩篇」(the Book of Psalms)から インスパイアされているだろうことは容易に想像できたし, psalm は一般的な単語として使っても「賛美歌」や「聖歌」を意味するようだから, アルバムのコンセプトの大半を ユダヤ教と特定せずともユダヤ教やキリスト教に根ざした宗教や信仰に関するものが占めていることは 最初から分かっていた。
それでもやはり, ここまで「神がかる」(Paul Simon 自身が このアルバムのアイディアを「夢の中で思いついた」「週に2, 3日, 午前3時半から5時の間に起き, このアルバムに収める [宗教や信仰に関わる] 作品の歌詞を書いていた」と語っている, 「神がかってる」よね, これは)と, やはり俺は無理だな, 単純に。とまぁ, そんな気分が増していったように思う。
若い時から, あれほど多くの, 宗教や国籍や民族の垣根を越えた, 要するに文字通りの「普遍的な」作品を創り, 発表してきた Paul Simon が, どうして 80歳を過ぎてから ここまで「神がかった」作品を創るようになった(なってしまった)のか, これは聴く人それぞれ, リスナーそれぞれ, ファンそれぞれが異なる感じ方をするんだろうけれど(それはもうこういうことに限らず 当たり前のことなんだが), 自分自身の受け取り方を言えば, 要するに, 些かそこは「失望」した。
そして, これはこのアルバム Seven Psalms を聴かなくなって以来かなり時を経て, あらためて思うようになったことなんだけど, つまり,
ユダヤ人である Paul Simon は, イスラエル/パレスチナ の問題をどう考えているのか, あるいはほとんど正面から向き合っていないのか, いや考えることがないわけではないのか ..
同世代の ユダヤ系アメリカ人ミュージシャンである Bob Dylan,
あの Bob Dyaln のように, くだらない, 恥ずべき イスラエル支持ソングなど, Paul Simon が 書いたことがないのは はっきりしているのだが,
しかし Simon も, 過去に 例えば Hearts and Bones (1983年) のように "One and one-half wandering Jews, free to wander wherever they choose" で始まる歌を創ったりもしてるし, Still Crazy After All These Years (1975年) のエンディング曲として収められた Silent Eyes のように "Silent eyes, watching Jerusalem" と歌う曲もある。彼が自身の「ユダヤ人性」 Jewishness を意識してきたことは明らかだろう(念のため書いておくと「イスラエル支持」を暗示するラインやフレーズなどは何処にもない, それは皆無)。
さて, こんな話は この辺にしておくけれど, Jerusalem とか, ユダヤ教とか, 「旧約聖書」とか言い出す輩「一般」には, ということで,
この章の最後, 唐突ながら,
第二次世界大戦前に親族の多くをナチス・ドイツによるホロコーストで殺され, かつ ワルシャワ・ゲットー蜂起, そしてアウシュビッツ強制収容所・マイダネク強制収容所の生存者である両親のもとに生まれた, ユダヤ系アメリカ人政治学者 ノーマン・フィンケルスタイン(Norman Finkelstein, 1953年12月8日生まれ)の言葉をここに(以下の画像の下にヴィデオも)。
*ノーマン・フィンケルスタインが, (反)ナチス, (反)ホロコースト等に言及して イスラエルをひたすら「擁護」する人たち, そんな特にイスラエル人もしくはユダヤ人に向けて, 同じユダヤ人(ユダヤ系アメリカ人)として 語った言葉。
….. この下は, ポール・サイモンの(音楽の)近況, 付け足し …..
ポール・サイモンは最近(先月), カミさん *2 と一緒に 新曲をリリースした。
Bad Dream *1 〜 Paul Simon & Edie Brickell ♫
*1 Bad Dream .. 悪夢?
*2 彼の現在の「神」さんが「旧約聖書」や「新約聖書」などの「神」*3 ではなく, 彼の現在の「うちのカミさん」であることを祈る, 祈る, 何かに書かれた「神」なるものではなくこの宇宙を律する何か絶対的な力に「祈る」。
*3 ジョン・レノン, God 〜 神とは, 我々の苦痛を測るための概念である (歌詞和訳)
ではでは 🎶
Day Tripper ♫ 〜 41年前の今日, 1983年11月30日の インド・アムリトサル に 日帰り旅行 🎶
Day Tripper, by the Beatles ♫
Day Trip は「日帰り旅行」, で, あっちの意味もある。
Day Tripper は 要するに「日帰り旅行者」「日帰りの旅人」。あっちの意味では 1日だけアレ? .. 日本で アレやれば 違法。
はい、菊池です
日本でアレ やる前に ..
おお, ポール, ポール・マッカートニー!(笑)
41年前の今日, 1983年11月30日の インド・アムリトサル に 日帰り旅行 🎶
インド入国, まずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル へ 〜 1983年11月29日-12月3日
Morning Music: Anhad Nād - Sounds from the Sikhs and Sufis by Amrit Kaur Lohia 🎶
ではでは, 最後は。
招待状のないショーから, 枕詞, そして 結詞
浅き夢 淡き恋 遠き道 青き空
今日をかけめぐるも 立ち止るも 青き青き空の下の出来事 ..
澄み切った青空を見て 悲しくなる時もある, 「人生 舐めんなよ」