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ハロルド・ピンター と ボブ・ディラン 〜 共に ユダヤ人ノーベル文学賞受賞者ながら 雲泥の差, もちろん 泥 は ディラン


ことわり書き: ミュージシャンが ノーベル「文学」賞を受賞したって構わないよ勿論 〜 だから 取り上げたいのはそんなくだらないハナシではなく

上の見出しの一言二言で 十分なんだけど, せっかくなので一応, 以下にざくっと書いておくと, 本 note で取り上げるのは 両者の「文学」の質の差ではない。そもそも ロックの歌の歌詞は「文学」ではないとか, ミュージシャンが「文学」賞を受賞するのはおかしいとか, そんなくだらないことを主張する気はない。ロックだって「文学」になり得るし, ミュージシャンが サブカル「文学」賞を受賞したっていいし, あるいは ノーベル「文学」賞を受賞したって構わない, 当たり前だ, マル。彼らの英語圏だと今どき "period" って書いたり言ったりするよね, 要するに「この件はこれでおわり, あとはつべこべ言うな」。俺はこの件, つべこべ言わない(笑)。

前段に書いたようなことはどうでもいいし, そもそも拙者, ボブ・ディランの歌はけっこう知ってるし, ライヴだって 2度観たし, それに 本 note 上でもやってる「趣味シュミ」歌詞和訳の一環で ディランの歌の歌詞を和訳したりもしてるけれど, イギリスの劇作家・詩人である ハロルド・ピンター(Harold Pinter, 1930年10月10日 - 2008年12月24日)の作品については, 現時点で 読んだことも見たことも, 聞いたことも聴いたこともない .. と思う (ピンターは 映画の脚本, ラジオの台本なども書いた人)。

俺が ここで言いたいのは, 以下(次章へ)。

徹底した反戦の人であり, 根源的な イスラエル批判者であった ハロルド・ピンター

本 note において, ピンター と ディラン, その両者に ノーベル文学賞受賞者 という共通項があることには, 実はそれほど意味はない。え? ならなんで note タイトルにわざわざそれを書き込んだのかって? .. はい, それは(ほぼ)ただの皮肉です。両者の間に ユダヤ人であること以外にこういう俗っぽい(ノーベル賞は俗っぽいぞ), 要するに 俗世間の目を引く共通項があったので, これも入れようと。

経緯を記しておくと, ほんの 5日ほど前, イギリスの音楽ユニット Massive Attack の x(おむつ, じゃなかったオツムがかなりトランプな, かつ, 異論を排除しないフリースピーチの人を自称しながらその実, パレスチナ問題に絡むと排除思考・排除志向が強くなるイーロン君が経営者になる前は「ツイッター」と呼ばれていた, 括弧長いな)における以下の投稿(ハロルド・ピンターが 2005年に ノーベル文学賞を受賞した際の彼の記念講演 *1 からの引用)を見て興味が湧き,

既に 2008年に亡くなっているイギリスの劇作家・詩人である ハロルド・ピンターについて調べてみると, 彼は 11年後の 2016年にやはりノーベル文学賞を受賞した ボブ・ディランと同じくユダヤ人 なのだが, ディランと異なり徹底した反戦の人で, かつこれが最も大きく違う点なのだが, つまり, 過去に極めて恥知らずなタイミングで極めて恥知らずな内容のイスラエル支持ソングを書きリリースしたことがある, そしてその後もそれに関して「反省」や「後悔」の言辞など公にしたことが一切なく, もちろんその恥晒しなイスラエル支持ソングを撤回も撤収も回収もしていないアメリカ・ロック界の「大御所」「大権威」様であられる ボブ・ディランとは全く違い, というか正反対で, 根源的な イスラエル批判者であったことを知ったのだった。一文 長いね, これじゃまるで大江健三郎だ(ったっけ?)。

ハロルド・ピンター は, 1930年10月10日(明後日が生誕94年, 2008年12月24日に他界), ユダヤ系ポルトガル人の労働者階級の両親のもと イギリス・ロンドンで 生まれた。1948年に当時はまだ世界において非常に稀な例しかなかった「良心的な理由」による徴兵忌避をして罰金刑を受けており, 既に若い頃もしくは少年の頃からそうした思考の持ち主だったものと推測されるが, 実際, 劇作家・詩人としての活動の他, 公に様々な社会的・政治的発言をし, そのうえで徹底した反戦思想を貫いた人だった(ノーベル賞受賞の記念講演 *1 においてもそれが顕著)。

とりわけ アメリカの対外政策への批判 を繰り返し, キューバ, チリ, ニカラグアなど中南米諸国へのアメリカの介入と侵略を厳しく批判, その他, 1991年の湾岸戦争, 1999年のアメリカが主導したNATOによるユーゴスラビア空爆, 2001年のアフガニスタン空爆, 2003年のイラク侵略などに際し, アメリカの政策を激しく批判している。

そして, 2005年には Jews for Justice for Palestinians(JJP, 「パレスチナ人の正義のためのユダヤ人」, イギリスを拠点とするユダヤ人の団体, パレスチナ人の人権・経済的自由・政治的自由の擁護を目的とする, パレスチナ全域, 特にヨルダン川西岸地区とガザ地区に対するイスラエルの政策に反対し, パレスチナ人の政治的地位の変更を求めている)のミッション・ステートメントに署名, 翌年には JJP による "The Times"(2006年7月6日付)紙上における全面広告 "What Is Israel Doing? A Call by Jews in Britain" に署名。更に 2006年7月19日付の イスラエルの占領政策と西側諸国のダブルスタンダードへの厳しい批判 を含む パレスチナ問題 に関わる公開書簡 "Letter from Pinter, Saramago, Chomsky and Berger" にも署名した(プレスリリースされたこの公開書簡の共同署名者のひとり Noam Chomsky は 世界的に著名な哲学者・言語学者であり やはりパレスチナ人の人権擁護と徹底したイスラエル批判で知られるユダヤ系アメリカ人, 1928年生まれだから 1930年生まれのハロルド・ピンターと同世代のユダヤ人)。

ピンター は 2007年2月, Board of Deputies of British Jews(イギリスにおけるユダヤ人代議員会)のような既成の団体が イスラエルを無批判に支持していることに対抗するため, 歴史学者・人権弁護士・ファッションデザイナー・俳優・映画監督など様々なフィールドで活躍する ユダヤ系イギリス人たちとともに, Independent Jewish Voices という組織を立ち上げ, さらに 同年3月には, アメリカのPBSでテレビ放映された「ハロルド・ピンターとの対話」に出演, このなかで ピンター は ニューヨーク・シアター・ワークショップが「私の名前はレイチェル・コリー」(*2)の上演を取りやめたことに関し 自己検閲に等しい卑怯な行為として批判している。また 彼は, Palestine Festival of Literature (2008年に創設された毎年恒例の文学祭, 半世紀以上にわたってイスラエルに違法占領され続けているパレスチナ・ヨルダン川西岸地区の各都市で開催)の後援者でもあった。

ピンターのパレスチナ擁護・イスラエル批判の言動の全てを取り上げると キリがないくらいなのかもしれない。

彼は 亡くなる 8カ月前, 2008年4月には, イスラエル「建国」60周年に際し, "We're not celebrating Israel's anniversary"(「我々はイスラエルの記念日を祝うつもりはない」)という声明に共同署名している(*3)。

その声明の最後の 2段落は以下の通りである。

We cannot celebrate the birthday of a state founded on terrorism, massacres and the dispossession of another people from their land. We cannot celebrate the birthday of a state that even now engages in ethnic cleansing, that violates international law, that is inflicting a monstrous collective punishment on the civilian population of Gaza and that continues to deny to Palestinians their human rights and national aspirations.

We will celebrate when Arab and Jew live as equals in a peaceful Middle East.

https://www.theguardian.com/world/2008/apr/30/israelandthepalestinians

拙訳ながら ざくっと訳しておくと,

我々は, テロリズムと虐殺, 他民族の土地の剥奪の上に築かれた国家 の誕生日を祝うことはできない。現在においてなお(パレスチナ人に対する)民族浄化 を続け, 国際法に違反 し, ガザの民間人に恐ろしい(国際法違反の)集団懲罰を与え, パレスチナ人の人権と民族的願望を否定し続けている国家 の誕生日を祝うことなどできない。

我々は, アラブ人とユダヤ人が 平和な中東地域で 対等に暮らせるようになったときに(それを)祝福するだろう。

*1 ハロルド・ピンターによる, ノーベル賞受賞の際の記念講演

彼の記念講演は「ガーディアン」紙に全文掲載された一方で(ガーディアンも大したメディアじゃないけどね),

BBC には完全に無視されたという。BBC はやっぱ, 昔から くそメディアだったわけだ。

「西洋の頽廃」の象徴 BBC 〜 イスラエル軍によるガザのダウン症のパレスチナ人殺害を 「ガザのダウン症の青年の孤独な死」 と書く, 文字通りの "恥知らず" (2024年7月18日付 note)

「ロシアがウクライナを空爆」と書く一方で, イスラエルがパレスチナ🇵🇸のガザを空爆すれば単に「何処の国がやったのかは知らねぇなぁ」にしてしまう 〜 相変わらずの自称「民主主義」諸国のメディア (2024年7月8日付 note)

イギリス🇬🇧の BBC に負けず劣らず(劣るか), アメリカ🇺🇸の NYT も酷い。

BBC と 世界 「恥知らず イスラエル偏愛 "報道"機関」 選手権 優勝を争う NYT 〜 「誰の」を省いて 単に「領土」と記す, その剥き出しの悪意 (2024年7月20日付 note)

*2 レイチェル・コリー については, 以下の 2021年3月18日付 note に詳述。

アメリカが加担し続けるイスラエルのパレスチナ人弾圧を止めさせようとしてイスラエルに殺されたアメリカ人女性 Rachel Corrie

*3 "We're not celebrating Israel's anniversary"

さて, それで,

ボブ・ディラン は どうなんだ?

ボブ・ディランの恥知らずなイスラエル擁護

1982年のイスラエルによるレバノン侵攻 と 同年9月のベイルートにおける サブラー・シャティーラ難民キャンプでの パレスチナ難民大量虐殺

これについては, 本章次項にリンクを掲載する過去 note においても詳述しているが, 最近リリースされた この x 上の投稿が 非常に参考になる。

引用ポスト 1)

引用ポスト 2)

ボブ・ディラン の (今に至るまでそのままの) イスラエル支持ソング は, 1982年の イスラエル の レバノン侵攻 と 同年9月のベイルートにおける パレスチナ難民虐殺事件 の 直後に書かれた 〜 そしてその後, 撤回・撤収・回収はもちろん 一切の反省の言辞もないままに時は過ぎ

ノーベル賞の季節になると思い出す, 2016年文学賞受賞の ボブ・ディラン。 ディラン の イスラエル支持ソング は, 1982年イスラエルのレバノン侵攻と同年9月イスラエル同盟者キリスト教右派民兵によるパレスチナ難民虐殺事件の直後に書かれ, 1983年リリース の 彼の「公式」アルバム "Infidels"(「異教徒たち」)に収録されている。

イスラエル がどんな国かを示す 典型例の一つ 〜 ディラン批判に絡めつつ

以下の 2020年9月17日付 note ボブ・ディランの恥ずべきイスラエル支持ソングと、サブラ・シャティーラ、パレスチナ難民虐殺事件 38周年, その 第2章に, 2021年6月から1年間 イスラエルの首相を務めたナフタリ・ベネットの生い立ちを書いた。奴の両親は, 1967年にイスラエルに移住したユダヤ系アメリカ人。イスラエルがどんな国かを示す典型例 の一つ。

ついでの, 「自称リベラル」(っぽい)朝日新聞 批判 〜 2019年9月19日付 note "ボブ・ディランの不都合な真実(2)ー または 私が 37年余り購読し続けた「朝日新聞」の購読を止めた理由"

こんな新聞, 要らない。

(1)は これ。

パレスチナ・ガザ地区, 2023年10月 〜 2024年9月

イスラエル「建国」以来の(「建国」前からシオニストの犯罪はあるが .. イスラエルの犯罪をなんとか生き抜き今もパレスチナに生きるパレスチナ人の高齢の老人よりも イスラエルは「年下」だが, しかし既に「建国」76年)の犯罪,

その直近 1年間のみに関わる, かつ ガザ地区におけるもの。東エルサレムやヨルダン川西岸地区, 及び「イスラエル」領内におけるそれが, ここに含まれていないことは 特記しておきたい。

因みに, 2023年10月7日の「(イスラエルにとって)不都合な」真実。

How Israel killed hundreds of its own people on 7 October

AND

パレスチナ/イスラエル問題 〜 それは 勿論, 2023年10月7日に始まったのではない

ヤニス・バルファキス(ギリシャの経済学者, 政治家, 活動家) が 語る, 西洋の偽善と欺瞞に向けた言葉 (2023年10月8日)

1年前, 2023年10月8日 に語られた, このメッセージ。

1年後の今もなお, 傾聴に値する。

パレスチナ/イスラエル問題 〜 それは 勿論, 2023年10月7日に始まったのではない

過去の note においても書いてきたけれど, パレスチナ/イスラエル の「問題」は, 2023年10月7日に始まったのではない。いわゆる「パレスチナ問題」(「問題」という言葉の解釈次第で「イスラエル問題」と言った方がよいのではとも思うが)の歴史的背景を知る人間には, それは あまりに常識的なこと ではあるが。

「パレスチナ/イスラエル問題」の成り立ちやその概観については, 以下の 2021年10月8日付 note の 第1章から 第2章 にかけて, まとめています。

ハイファ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)に戻って 〜 1983年10月5日

以下は, パレスチナ及び中東に関わる note マガジンへのリンク。

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