3.11 と、そしてこの日に絡む 「宗教」 に関わる思い出と
3.11 のこの日に 「宗教」 絡みで思い出した一件
世界には実に沢山の種類の「宗教」なるものが存在して、どうやら全人類の頭の中で描かれる「神」なるもののその種類の数も相当なものであるようだ。いったい全体、それぞれ何種類のものが存在するのだろうか。前者はともかく、後者に関してその総計を正確に言える「宗教」学者が世に存在するのかどうかさえ甚だ怪しい。
ある宗教の信者が、2011年3月の日本で起きた巨大な地震と津波による惨劇をテレビで見ながら、"Japanese people deserve it. Because they don't believe in God" と言った。
「日本人には当然の報いだ。なぜって彼らは神を信じてないんだから」と言ったということになるが、意訳すればこんな感じだろう。「それ見たことか。連中、神を信じてないから報いを受けたんだよ。」
もう少し具体的に、今日のこの note 投稿の中に書いた。
3.11 についてあの種の思考を巡らすことの愚劣さと「悪魔」さ
章見出しの中の「あの種の思考」とは前章に書いたこと。それと勿論、「悪魔」とは比喩。「悪魔」とか「地獄」とか「天国」とか、そういった諸々についてそれらが存在するものと信じて疑わない人が世にいるのは承知しているが、筆者はそもそも無宗教の人間であり、無神論者であり、その種のものが存在するなどと信じていないし、言わずもがなを付け加えれば、「あの種の思考」もしない。というか、もともと「神」なるものの存在を信じていないのだから、「あの種の思考」などしようがないのだが。
以下の BBC のインスタグラム投稿がシェアしたヴィデオの中で、あの日の未曾有の規模の地震と津波によって自分以外の家族全員を失う(つまり、主語を変えるなら、自分以外の家族全員が命を落とす)という経験をした(「経験」という言葉が酷く軽々しく虚しく響いてしまうほどに痛ましい「経験」であったと思うけれども)、そんな遺族の方が、当時を振り返り、かつ今の心情、想いを語っている。
語りは当然、日本語だし、字幕に出る英語や投稿内の英語テキストに関してもさして難解な言葉は使われていないので、多くの日本人にとって分かりやすい内容にはなっている(ただし筆者を含むそこまでの強烈な悲劇の渦中を生きてきたのではない人たちがこれを受けとめるのは、決して容易ではないけれど)。
投稿内の英文テキストの後半に次のような記載があるが、
When talking to people about his experience now, he asks them to make the most of every day.
“What would you do if tomorrow didn’t come? We may not have tomorrow so we must do what we can today,” he said.
ご本人がこれを、ヴィデオの中で語っている。もちろん日本語で。
前章の後段においてリンクを貼った、今日の1本目の note 投稿テキストの冒頭に(本稿は今日の3本目)、1989年公開の映画「いまを生きる」の中でロビン・ウィリアムズが演じたキーティング先生が生徒たちに "Carpe Diem" というラテン語の言葉の意味について語るシーンを付けたけれども、まさにあの場面でキーティング先生が伝えていることを、以下の BBC インスタグラム投稿がシェアしたヴィデオの終盤で、日本の10年前の3.11の巨大な地震と津波の犠牲者の遺族が話している。
(ここではやや余談めいたことになるがあの映画の原題は "Dead Poets Society", したがって原題とは裏腹な字面の邦題ではあったのだけれど、あの邦題「いまを生きる」そのものは、決してわるい邦題ではなかったと思う。)
*なお、以下のヴィデオの冒頭で当時の(且つ当初の)ニュース映像を使っているからかマグニチュード 8.4 という言及があるが、投稿内の英語テキストにある通り、あの地震は正確にはマグニチュード 9.0 という史上稀に見る巨大なエネルギーの地震だった。
付録的なものとして 1)
筆者(1960年911生まれ)はたまたまというか何というか、そういうことを偶然と言うのか逆に経緯・背景を踏まえて必然と見做すべきか微妙ではあるけれども、若い時にパレスチナ問題、もっと具体的に言えばパレスチナ/イスラエル問題を知る機会があり、その後かの地を旅して自分の眼と耳と心と身体全体で(3週間という限られた期間ながら)現地を肌で知るような体験をして、以降もずっとパレスチナとイスラエルに関心を寄せてきた。当然、パレスチナ人の人権が守られ、イスラエルによる不当な占領が終わり(少なくともイスラエルが1967年以来複数の国連安保理決議に違反しながら軍事占領を続けている東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区と現在は軍事封鎖下にあるガザ地区の解放、そしてその後の成り行きは当事者間の忍耐強い話し合いや友好関係の構築次第で様々な可能性がある)、あの地域の全ての人たち、パレスチナ人、イスラエル人、ユダヤ系、アラブ系、そのほかアルメニア人、ギリシャ人様々な人種・宗教的背景を抱える人たちが真に平等な権利と自由を享受する日が訪れることを願うが ... ここまで随分と文字数を使った!
あの地は世界の多くの人にそのことに関わる一定の共通認識がある通りで、「宗教」、それも特にアブラハムの宗教の全て、つまりユダヤ教、キリスト教、イスラームの「聖地」がある土地柄。そして、パレスチナ人の間には他のアラブ諸国の場合と比べてクリスチャンも相対的に多く存在するけれども(レバノンほどではないが)、宗教上の多数派はイスラーム。信仰者の呼称で言えばムスリム。もちろん他にも例えば無神論者だっているに違いないのだが。
そんな些か長くてくどい書き方の前振りをした上で続けると、筆者はイスラームもキリスト教もユダヤ教も含む「宗教」全般や「宗教」の在り方については明確に批判的。まだ note 上では本格的に、というか全面展開的には書いていないけれども、「宗教」批判的テキストなら何回か書いたことがある。
本 note 投稿の冒頭の章「3.11 のこの日に『宗教』絡みで思い出した一件」の中でリンクを貼った今日の1本目の note 投稿もそうだけれども、他にとりあえず二例を挙げると、以下の (1) の通り。
なお、(2) に今日の2本目の note 投稿へのリンクを、さらに (3) としてイスラエルの世界的に著名な知識人ユヴァル・ノア・ハラリの「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論考批判へのリンクを置く(ことには若干の理由がある)。
(1)
(2)
(3) イスラエルの「知の巨匠」ユヴァル・ノア・ハラリは、件の論考において、過去の、というより現実的には「現代」に続く「宗教」なるものの非常にネガティヴな側面に具体的に言及している。筆者はそこは全く同意。異論はない。ただし、彼のあの論考は実はその他の点で欺瞞と言っていい点があり、偽善、そうでなければ「知の怠慢」との謗りを受けても止むを得ないものを抱えている。
付録的なものとして 2)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?