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The Sound of Silence (歌詞和訳) 〜 最初に聴いたのはLPだったのか, 「卒業」だったのか


前口上

今日の note のお題で言うところのLPとは, The Sound of Silence のオリジナルのアコースティック(アクースティック, 2009年のS&G東京ドーム公演の際, パンフにサインをくれたバラカンさんに敬意を表し.. 話いきなり脱線!)・ヴァージョンが収録された Simon & Garfunkel のデビュー・アルバム, 1964年10月19日リリースの Wednesday Morning, 3 A.M., 「水曜の朝、午前3時」ではなく, 「水曜の朝、午前3時」でプロデューサーを務めたコロムビア・レコードのトム・ウィルソン(Tom Wilson; March 25, 1931 – September 6, 1978; またまた話脱線ながら, あの時代にあの種の音楽に関わった人としてやや意外な感じがするけれど彼はアフリカ系アメリカ人)が, Simon & Garfunkel に知らせないで, 要するに作曲者の Paul Simon にも知らせないでリミックス(オーバーダブ, 1965年6月15日), そのヴァージョンが 1965年9月13日にシングル・リリースされると大ヒット, 翌1966年1月にはついに Billboard Hot 100 で 1位を記録, 彼らを世界的な人気デュオにした, 件のエレクトリック・サウンドの, 「沈黙の音」「静寂の音」なのに電気を通して賑やかにしたヴァージョンの方の The Sound of Silence を収録し, Simon & Garfunkel が言わば急ごしらえで制作に臨み, 1966年1月17日にリリースした, 彼らの2枚目のアルバム Sounds of Silence のこと。

最初の一文が最も長い note 記事を書いたライター選手権優勝。

話戻して, 映画「卒業」とは勿論, (別のアレンジの)The Sound of Silence を始めとする Simon & Garfunkel の多くの曲が後々まで記憶に残る印象的な場面で使われ, 1967年12月21日にアメリカ合州国で公開, 日本では半年近く遅れ(おそらくそのくらいの遅れは当時はそう珍しいことではない, そもそもダスティン・ホフマンやキャサリン・ロスはまだ新人の俳優だったし, ミセス・ロビンソンを名演したアン・バンクロフトもその頃の日本では有名ではなかった), 1968年6月8日に公開された映画「卒業」のこと。

上の一文も長いが, 最初のに比べれば短い。

因みに「最初の一文が最も長い note 記事を書いたライター選手権優勝」の本 note 筆者は 1960年911生まれ, アルバム Sounds of Silence がリリースされた頃は 5歳, 映画「卒業」の日本公開の時は 8歳になる前で小学2年。その頃の俺は「サウンド・オブ・サイレンス」ではなく グループ・サウンズ に夢中だったな(スパイダース, ゴールデン・カップスなどのあれです)。

今日の note のお題に書いた問題, おだいのもんだいの答えは, 「そのどちらでもない」。

自分が The Sound of Silence を初めて聴いたのは小4の頃だろうか。家に3歳年上の兄貴(後に職業音楽家, エヘン!自分のことでなく今さら兄弟のことで威張る今や還暦過ぎオヤジ, 文字通り親父, その兄貴)が買った Simon & Garfunkel, いや その頃の感覚に即して言えば「サイモンとガーファンクル」のベスト盤のLPがあって(あれはおそらく日本のレコード会社が編集したベスト盤かな), それが最初だったような気がする。

そして, そのLPに収録されていたのは, オリジナル・ヴァージョンのではなく, 彼らの2枚目のアルバム Sounds of Silence に収録されたエレクトリック・サウンドの The Sound of Silence, 「サウンド・オブ・サイレンス」だった。

「洋楽」を聴き始めた頃, 「サイモンとガーファンクル」を聴き始めた頃, ポール・サイモンの音楽を聴き始めた頃

「洋楽」の入り口, 「洋楽」(の世界)の扉

以下, 2021年4月14日 投稿(下掲リンク)の "「洋楽」の入り口で聴いた ショッキング・ブルー" 第1章 「洋楽」の入り口, 「洋楽」(の世界)の扉 から, その前半部を転載。

「洋楽」という言葉の定義は非常に曖昧で、時代やあるいは語られる文脈次第で意味にズレが生じるきらいがある。そもそも、少なくとも筆者が「洋楽」なるものを(意識して)聴くようになった半世紀ほど前の時点では多くの日本人にその意味するところに関してほぼ共通の認識があったと思われる「洋楽」なる言葉、今やさして使われなくなっているのではないかと思うし、今も使われるとしても語られる時には既に半世紀ほどの前のその意味とはだいぶ異なるものになっている可能性がある(全く異なるというのではないが、要するに、意味として重なる部分もあれば、重ならない部分もあってという程度に)。

1960年生まれの自分が「洋楽」を聴き始めた時って、どんな「洋楽」、どんな曲・歌を聴いていたんだろうか。思い出そうとすると真っ先に浮かんでくるのは「マンダム」(実際には「マンダム」というタイトルの歌ではなくマンダムのテレビ・コマーシャルで流れた歌, 邦題「男の世界」)、ショッキング・ブルーの邦題「悲しき鉄道員」、そしてサイモンとガーファンクルの非常に沢山の曲・歌・歌詞

中でもその後の「音楽人生」(才能も無かったしプロの音楽家になどなったことはないけれども下手くそギタリストながらバンドをやってた時期はあったしリスナーという立場で言えば音楽は人生の傍らにあった「ほぼ」常に [*1], そんな意味合いでの「音楽人生」)に与えた影響ということにおいて最も重要な存在はサイモンとガーファンクル, 「洋楽」の世界に入るその扉を開けてくれたのは サイモンとガーファンクル, そして、その殆どの歌の作詞・作曲者である ポール・サイモン だった。

Life, I love you, all is groovy ♫

When I think back on all the crap I learned in high school, it’s a wonder I can think at all ♫

さて、

「洋楽」の入り口で聴いた ショッキング・ブルー

ついでに(まさに「ついでに」宣伝)これも, 歌詞和訳 note ショッキング・ブルー「悲しき鉄道員」(邦題!) 〜 浮気男の代名詞にされた鉄道員の悲劇

ではでは 🎶

たぶん自分の音楽耳と音楽脳は, その 1/3 ぐらいが, ポール・サイモン(の音楽)によって作られてる

というのは, 2021年10月12日 投稿(下掲リンク)の "ポール・サイモンの東京ドーム・ライヴを妻と観た 1991年10月12日 〜 というわけで 30周年" 第2章の見出しタイトル。

音楽を本格的に聴くようになった頃に一番聴いていたのは, サイモンとガーファンクル, そしてポール・サイモン。少しだけ遅れてエリック・クラプトン(タイトル写真は随分と後年のアルバム, 1998年の "Pilgrim" のカヴァーでタイトルにある "River of Tears" もそのアルバムの収録曲だけど)。

兎にも角にも, たぶん自分の音楽耳と音楽脳は, その 1/3 ぐらいが, ポール・サイモンの音楽によって作られていて, それに近いぐらい, 1/3弱程度が エリック・クラプトン(の音楽)。

音楽自体はもちろんそれだけでなく, 他のロックでもブルーズでも R&B でもソウルでもジャズでもクラシックでもいわゆる「ワールドミュージック」(あんまり好きな言葉じゃないけれど)でも, とにかく好きで, 要するになんでも聴くけれど。しかしポール・サイモンの音楽, ギターや歌や歌詞を含めた全てからの影響は相当に大きい。

そんなポール・サイモン, 1974年に初来日の公演をしているけれど, 自分が初めて観たロック等のポピュラー音楽のライヴは翌1975年のエリック・クラプトンの2度目の来日公演の時のライヴで(上掲リンク note の冒頭の章に音源あり), 件のポール・サイモン初来日公演は観逃している。それからサイモンとガーファンクルとしての初来日は(最初の「再結成」の時の)1982年5月で, この時は大阪スタヂアムと後楽園球場が会場, 自分は札幌にいた学生時代で, これも観逃していた(ついでに書くとサイモンとガーファンクルの2度目の来日は1993年12月, これはちょうど仕事の韓国出張とタイミングが重なってしまって観に行けず, 本 note 冒頭に書いた通り, 2009年7月, サイモンとガーファンクル 3度目の来日時に東京ドームでのライヴを妻子と3人で観ることができた)。

ではでは 🎶

The Sound of Silence (歌詞和訳) 〜 最初に聴いたのはLPだったのか, 「卒業」だったのか

そのどちらでもない

第1章「前口上」に書いた通りで,

因みに「最初の一文が最も長い note 記事を書いたライター選手権優勝」の本 note 筆者は 1960年911生まれ, アルバム Sounds of Silence がリリースされた頃は 5歳, 映画「卒業」の日本公開の時は 8歳になる前で小学2年。その頃の俺は「サウンド・オブ・サイレンス」ではなく グループ・サウンズ に夢中だったな(スパイダース, ゴールデン・カップスなどのあれです)。

今日の note のお題に書いた問題, おだいのもんだいの答えは, 「そのどちらでもない」。

自分が The Sound of Silence を初めて聴いたのは小4の頃だろうか。家に3歳年上の兄貴(後に職業音楽家, エヘン!自分のことでなく今さら兄弟のことで威張る今や還暦過ぎオヤジ, 文字通り親父, その兄貴)が買った Simon & Garfunkel, いや その頃の感覚に即して言えば「サイモンとガーファンクル」のベスト盤のLPがあって(あれはおそらく日本のレコード会社が編集したベスト盤かな), それが最初だったような気がする。

そして, そのLPに収録されていたのは, オリジナル・ヴァージョンのではなく, 彼らの2枚目のアルバム Sounds of Silence に収録されたエレクトリック・サウンドの The Sound of Silence, 「サウンド・オブ・サイレンス」だった。

The Sound of Silence 〜 歌詞和訳

The Sound of Silence, basic track (included on Simon & Garfunkel's 1964 debut album "Wednesday Morning, 3 A.M.") recorded on March 10, 1964, then overdubbed on June 15, 1965, and included on their second studio album Sounds of Silence released on January 17, 1966 🎶

英語原詞 https://genius.com/Simon-and-garfunkel-the-sound-of-silence-lyrics

ハロー, 暗闇よ, 私の旧き友よ
また 君と話しに来たよ
なぜって そっと忍び寄ってきた幻想が
その種を置いていったんだ, 私が寝ている間にね
そして 私の脳に植えつけられてしまった幻想が
今もそこにとどまってるんだ
静寂の音のうちに

覚めることのない夢の中で 私はひとり歩いた (*1)
石畳が敷かれた狭い通りを
街灯が作る「後光」の下をね (*2)
私は 冷気と湿気に 襟を正した (*3)
ネオンライトの閃光に 私の両眼が射抜かれたとき (*4)
その閃光は夜を引き裂いて
静寂の音に触れたのさ

裸火(はだかび)の中で 私は見た (*5)
1万人もの人々, いやおそらくもっといただろう
彼らは 互いに話しかけることなく 喋り (*6)
聴くことなく, 耳を傾けることなく 聞き (*7)
民の歌声が分かち合うことなどないような歌を書いていた (*8)
敢えて静寂の音を乱そうとする者など
誰一人としていなかった (*9)

「愚か者よ」, 私は言った, 「君たちは分かってないんだ,
沈黙が 癌細胞のように蔓延るのを (*10)
君らに伝える私の言葉を聞くのだ (*11)
私が差し出す手を掴むのだ」 (*12)
しかし私の言葉は 音もなく降る雨のように零れ落ち
こだまするだけだった, 静寂の源泉の中で (*13)

そして 彼らは 額突き(ぬかづき)祈った (*14)
彼ら自身が創ったネオンの神に (*15)
ネオンサインは 閃光でその警告を伝えたのだ (*16)
その閃光が形づくる言葉で (*17)
そして ネオンサインは言った, 「預言者達の言葉は 地下鉄の, その地下道の壁に 書かれている (*18)
安アパートの廊下にすらね
預言者達の言葉は 静寂の音の中で 囁かれているのだ」(*19)

…………………………………

訳注

以下の「訳注」は, 拙者(筆者!)の 下掲リンクの 過去 note のものを転用(ただし *13 は編集・追記あり)。

*1 restless は 「停止することのない」「休止することのない」。そんな
夢だから, "覚めることのない夢"。

*2 halo は「(聖人の頭の後ろに描かれる)後光」「(偉人の周りにあると考えられる)後光」「後光のような 丸い光の輪」。

*3 turned my collar, turn down a collar は「襟を折り返す(曲げる)」, turn up a collar は「襟を立てる」, ここでは 歌詞の全体の意味を踏まえ "襟を正した" とした。

*4 stabbed は「刺された」と訳す方が普通かも。その方がいいような気もするが, とりあえず "射抜かれた"。

*5 naked light, naked light bulb は「裸電球」, ここも「裸電球」でよいかもしれないが, あえて英語原詞の熟語に忠実に "裸火"とした。その意味は「覆いのない, むき出しの火」。「ランプの裸火」「瓦斯の裸火」「タバコの裸火」など。

*6 speaking, speak には「(人の心に)訴える」「働きかける」といった意味もある。

*7 People hearing without listening, hear と listen のニュアンスの違いを鮮明に。

*8 People writing songs that voices never share, 些かまだるっこしい日本語にしてしまった。本日, 昼食時間を過ぎ, 疾うに, 既にとっくに過ぎてて, 余裕なし, 早く昼食 Late Lunch にありつきたい(笑)。

*9 And no one dared disturb the sound of silence, ここ以外は英語原詞の語順にほぼ合わせて日本語にしていたが, ここだけは崩した。

*10 Silence like a cancer grows, "沈黙が 癌細胞のように増殖するのを" という日本語にしてもいいけれど。「増殖」は YMO のアルバムを思い出す(あまり聴いてないが)。

*11 Hear my words that I might teach you, might の解釈が難義。正直, 未解決。

*12 Take my arms that I might reach you, might は同上。arm は「腕」だが, 日本語の表現上は ここでは(英語で言えば hand の)「手」の方がいい。

*13 And echoed in the wells of silence, この well は「井戸」なのか「泉」なのか「鉱泉」なのか「源泉」なのか。"源泉" なら「水が湧き出るみなもと(源)」「いずみ」「物事が生ずるもと」「物事のはじめ, 発端」(そこから生まれ出る)。まぁ "こだま" する場所としては, 「井戸」が一番相応しいだろうから, そっちが本来は妥当なのかな。しかし "ネオンの神"(And the people bowed and prayed, to the neon god they made, そして 彼らは 額突き祈った, 彼ら自身が創ったネオンの神に)のありがたい仰せによれば, "源泉" で構わないらしい。怪しいけど, まぁいいか(笑)。

いや, なぜ 拙者(筆者!)は, 「井戸」でなく「源泉」としたのか。それは「穿った見方」をした結果だったのか, それとも「穿ち過ぎ」たのだろうか。「穿った見方」ならばそれは是だろう。「穿ち過ぎ」なら非とまで言わずとも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だろうか(『論語』まで持ち出すのか, 笑)。

私は「穿った見方」をしようと考えた。最初は「井戸」と訳そうとしたのだが, 「井戸」をさらに「穿った」ら(つまり 雨垂れが石を穿つ ように「井戸」に「穴をあけた」ら, 「井戸」をさらに「穿った」ら, つまり「掘った」ら), ついに 私の手は「源泉」に触れたのさ。

水曜の朝, 午前3時, 覚めることのない夢の中で 私はひとり歩いた
石畳が敷かれた狭い通りを
街灯が作る「後光」の下をね
私は 冷気と湿気に 襟を正した
ネオンライトの閃光に 私の両眼が射抜かれたとき
その閃光は夜を引き裂いて
静寂の音に触れたのさ

静寂の音に触れたのさ。

https://note.com/dailyrock/n/naa6cb3bfd94d 第1章より

*14 And the people bowed and prayed, 「額突く」(ぬかづく)は「ひたい(額)を地につけて礼拝する」「額が地につくほどに丁寧にお辞儀する」, ここは "額突き(ぬかづき)祈った"。the people は和訳歌詞の文脈上, 「彼ら」でよい。

*15 To the neon god they made, ここの made は「創った」が 相応しい。なぜなら もともと「神とは, 我々の苦痛を測るための概念である」。天地創造, 天地想像。個人的には 旧約聖書「創世記」は「創神記」「創 "神" 記」と呼びたい。

*16 And the sign flashed out its warning, the sign はここでは "ネオンサイン"。なお, ここはとくに 文法的に忠実に訳すことに拘泥しなかった。

*17 In the words that it was forming, 文法的に(?)この it は warning なのか, sign なのか, しかしいずれにしても 和訳歌詞の中の表現としては, ここは "その閃光が形づくる言葉で" ということで「当たらずと雖も遠からず」と, "ネオンの神" の「御託宣」, お告げが あったから(上でも使ってた!), 大丈夫だろう。

*18 The words of the prophets, words は当然として, prophets, つまり prophet が 複数形になっていることが 不意に気になり出した(本 note 投稿翌日の 2024年12月14日朝, したがって此処は加筆, *19 も編集)。

確かに歴史上, 自称・他称「預言者」は複数存在した。「した」だけでなく「している」? .. なんかなぁ。「自称」も, なんかなぁ。

ともあれ, この複数形が この歌の歌詞の解釈の上でどれだけ重要なのかはさて措き(まぁそこそこ以上には重要だろう), 和訳の日本語においてもこの箇所は「複数形」であることを明示しておきたい, おくべき, と思い, 「預言者」を「預言者達」に改めることにした。

そういえば(参考まで, かな), Bob Marley の "Redemption Song" の歌詞にもprophet の複数形 prophets が 出てくる。"How long shall they kill our prophets while we stand aside and look? Ooh, some say it's just a part of it. We've got to fulfill the book."

"How long shall they kill our prophets while we stand aside and look? Ooh, some say it's just a part of it. We've got to fulfill the book."

ではでは,

The Sound of Silence, basic track (included on Simon & Garfunkel's 1964 debut album "Wednesday Morning, 3 A.M.") recorded on March 10, 1964, then overdubbed on June 15, 1965, and included on their second studio album Sounds of Silence released on January 17, 1966 🎶 その 歌詞和訳,

その 訳注 に戻って,

*19 "預言者達の言葉は" は 和訳歌詞上の補足。蛇足の補足かもしれないが, 足は足だ。

「足は足」って?

Stop Making Sense … 8年 survive してる "Stop Making Sense", しかしこの MV に乗っかってるイメージ, めっちゃ Stop Making Sense だな。

ではでは 🎶

英語原詞 について

外国語の歌の歌詞の和訳を試みてそれを掲載するのだったら(note にしろその他のサイトにしろ), できることなら 原詞を併載した方がよい。明らかにその方が分かりやすい。しかし, それは(歌詞原詞の全編掲載は)残念ながら不可能。

英語歌詞, つまりここでは, 英語で歌われる曲の原詞。その(全編)掲載に関するその辺りの事情については, 以下の note の「前説」の次の次の章「英語原詞 について」にて。

さて さて 🎶

「卒業」(1967年) 〜 原題は The Graduate だから 「卒業生」 なんだけど、邦題はまぁあれでよかったのではないかと思う

映画「卒業」(1967年12月21日 アメリカ合州国で公開, 日本では 1968年6月8日公開)では, その オープニング, そして エンディングで, The Sound of Silence が使用された。シンプルに言ってしまうと, あの映画(原作もそうだろうけれど.. 原作は中学生の時に読んだ)では「現代社会」におけるコミュケーションの断絶が描かれていたから, メロディだけでなくあの歌の歌詞も, 十分にマッチしていたと思う。

下掲 note リンクに続き, 映画「卒業」の オープニング および エンディングにおける The Sound of Silence を 🎶

(以下の「昨日」は 2020年9月30日)

昨日、ちょっとした切っ掛けがあって、この懐かしい映画のいくつかのシーンを YouTube から拾って観ていた。若者世代(大抵こういう場合、1960年生まれの筆者は 1980年代以降の生まれの人を想定しているような気がする)の日本人にはもうあまり知られていない映画かもしれない。映画好きという人でこの映画を知らない人は、世代を超えて少ないと思うが、一般的には、若い人にはもうあまり有名な映画ではないんじゃないかと思っている。

後述するけれども、ある意味で普遍的なテーマを扱っていながら、舞台設定や時代背景的には特殊な「時代性」のある映画で、1960年代後半のアメリカ合州国(以下、アメリカ)で生まれた映画ながら、そのアメリカという外国の特定の時代の空気を、太平洋を挟んだ先にある、彼らからしたら「極東」(しかし太平洋を挟むと地図上、文化論とは関係なく地理的に「極西」にも思えてくるなぁ)の島国・日本の人たち、とりわけ当時の若者たちが吸っていて、公開直後から 1970年代初期もしくは半ば辺りにかけて日本でも人気を博した、そんな映画だったんだと思う。

1967年の映画と投稿タイトルに書いたけれど、アメリカでの公開が 1967年12月のことで、日本では 1968年6月だったようだ。そのくらいの遅れは当時はそう珍しいことではなかっただろうけれども。そもそも、主人公ベンジャミン・ブラドックを演じたダスティン・ホフマンやエレイン・ロビンソン役のキャサリン・ロスはまだ新人の俳優だったし、ミセス・ロビンソンを名演したアン・バンクロフトも、当時この映画の公開前の日本では有名ではなかったんじゃないかと思うし、日本の映画配給会社の詳しい事情はよく分からないが、半年ほどの公開時期の違いには、そんな背景もあったかもしれない。

The Graduate (opening), a 1967 film directed by Mike Nichols, starring Dustin Hoffman, Katharine Ross, Anne Bancroft .. The Sound of Silence by Simon & Garfunkel 🎶

The Graduate (final scene) .. The Sound of Silence by Simon & Garfunkel 🎶

二人は上に書いたように「微笑む」んだけど、その後の二人の表情、動きも最後まで印象的なのだ。二人の顔からやがて微笑みは消え、月並みな言い方をしてしまえば、一つのことから「卒業」し、短いひとときの解放感を味わった後に不意に襲ってくる、将来への期待・希望だけでなく「その先」への不安を思わせるような二人の表情。後で少し繋がりがあるようなことを書いているけれど、こういう「卒業」、「ひとときの解放感」、「期待」、「希望」、「不安」とかいったものは、なにも若者だけが経験し、味わい、感じることができる彼らの特権的なものなどではなく、歳を重ねてからも「ある」ことなのではないかと思っている(ただ、やはり若者だからこそ持つ感性と人生における意味合いの濃さの上で、若い時だからより強く感じる類のもの、とは言えるのかもしれない)。

https://note.com/dailyrock/n/n661f6ed94d13

当時の時代が生み出した映画という感じです。今的な感覚で見ても、リアル・タイムな感覚で感動するという種類の映画ではないと思います。その時代が生み、とりわけその時代の特定の世代の心を動かした映画だと思います。言うまでもありませんが、「卒業」という言葉は、大学を優秀な成績で卒業したベンジャミンという主人公の設定がまずありますが、それは設定であって、もっと広い意味を象徴しているものでしょうね。「卒業」って学校だけでなく、他のいろいろなものからも「卒業」するケースに使える言葉とか概念になりますが、「卒業」するってことはまた始まるんですね、何かが。何が始まるかわからないけれど、何かが始まるんだ。言ってみれば、そういう終わり方だと言えるかもしれません、この映画も。青春映画みたいなものの一つの典型かもしれないですね。

2003年8月3日付, 拙者のHP上, 以下のリンク

「今的な感覚で見ても、リアル・タイムな感覚で感動するという種類の映画ではない」とか、あるいは「その時代が生み、とりわけその時代の特定の世代の心を動かした映画」とか書いているけれど、まぁ確かにそうなんだけど、しかしやはりこれも書いたように、「卒業って言葉そのものは、どうも深い言葉なのかもしれ」ず、というかおそらく深い言葉で、そんなことを踏まえながら、時代や国の文化、登場人物の生活環境などを超えて(越えて、と書いた方がしっくりくるかも)普遍的に映画のメッセージを受け取るのなら、先に書いたような制作・公開の時期から影響を受けた「時代の感覚」みたいなものを楽しむだけでない楽しみ方ができる、今の、あるいは観る側が歳を取ってからのその時の自分に即した感動の仕方ができる、そんな映画ではあると思う。

https://note.com/dailyrock/n/n661f6ed94d13

「水曜の朝、午前3時」に聴いた, "The Sounds of Silence" 〜 歌詞和訳

今日は水曜。しかし今日の午前3時は就寝中だった。まぁ若い頃とか, あるいは40代の「過労死」寸前, 働き過ぎ働かされ過ぎ時代には, 「水曜の朝、午前3時」に起きていたことなど珍しくなかった。1度くらい, いや何回かは, 水曜の朝, 午前2時47分に Simon & Garfunkel の(前身の Tom & Jerry ではなく Simon & Garfunkel の)デビュー・アルバム Wednesday Morning, 3 A.M. を 1曲目からかけ始め, その LPレコード A面 最後の曲 The Sounds of Silence を「水曜の朝、午前3時」に聴いていたことがあっただろうか。

ところで, 「サウンド・オブ・サイレンス」は, 当時は The Sound of Silence ではなく, The Sounds of Silence だった。なぜ当初は複数形の「音」だったものが, 後に単数系の「音」になったのか。どんな経緯で, 「音(たち)」が「音」になったのだろうか。

But my queries, like silent raindrops, fell
And echoed
In the wells of silence

しかし私の問いかけは 音もなく降る雨のように零れ落ち
こだまするだけだった
静寂の源泉* の中で

*well は「井戸」「泉」「鉱泉」「源泉」。"源泉" なら「水が湧き出るみなもと(源)」「いずみ」「物事が生ずるもと」「物事のはじめ, 発端」(そこから生まれ出る)。まぁ "こだま" する場所としては, 「井戸」が一番相応しいだろうから, そっちが本来は妥当なのかな。しかし "ネオンの神"(And the people bowed and prayed, to the neon god they made, そして 彼らは 額突き祈った, 彼ら自身が創ったネオンの神に)のありがたい仰せによれば, "源泉" で構わないらしい。怪しいけど, まぁいいか(笑)。

いや, なぜ 拙者(筆者!)は, 「井戸」でなく「源泉」としたのか。それは「穿った見方」をした結果だったのか, それとも「穿ち過ぎ」たのだろうか。「穿った見方」ならばそれは是だろう。「穿ち過ぎ」なら非とまで言わずとも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だろうか(『論語』まで持ち出すのか, 笑)。

私は「穿った見方」をしようと考えた。最初は「井戸」と訳そうとしたのだが, 「井戸」をさらに「穿った」ら(つまり 雨垂れが石を穿つ ように「井戸」に「穴をあけた」ら, 「井戸」をさらに「穿った」ら, つまり「掘った」ら), ついに 私の手は「源泉」に触れたのさ。

水曜の朝, 午前3時, 覚めることのない夢の中で 私はひとり歩いた
石畳が敷かれた狭い通りを
街灯が作る「後光」の下をね
私は 冷気と湿気に 襟を正した
ネオンライトの閃光に 私の両眼が射抜かれたとき
その閃光は夜を引き裂いて
静寂の音に触れたのさ

静寂の音に触れたのさ。

そして 🎶

Sound Of Silence 歌詞和訳 〜 SOS, Save Our Souls, サウンド・オブ・サイレンス

Paul Simon が 1965年6, 7月にロンドンでスタジオ録音した, ギター 1本と彼のヴォーカルによるソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" に収録されたヴァージョン, そして, 1974年リリースの Paul Simon in Concert: Live Rhymin' に 収められたゴスペル調のライヴ・ヴァージョン(文字通りゴスペル・シンガーで, ゴスペルの作曲家・ピアニストでもある Jessy Dixon 率いる Jessy Dixon Singers が 共演している), 2つのヴァージョンを 歌詞和訳と共に。

The Sound of Silence という表記が一般的だろうと思うけれども, 今日は SOS に因んで The Sound Of Silence で通します。

ではでは 🎶

ポール・サイモン の 「今現在」 にはやや不満だ 〜 しかし, 既に還暦過ぎた人生をこれまで様々に彩ってくれたことに感謝する

ポール・サイモン の「今現在」については, 以下の note の第3章 ポール・サイモン の 今現在 にて。不満めいたことに関しては特にその第2項 ポール・サイモン について 今, 想うこと にて。

以下は, 上掲リンク先 note 第3章第1項 ツアーはやめたと思っていたのだが, この春, やるらしい から転載。

アメリカだけだけど, 仮に日本に来ても, 2023年5月リリースのアルバム "Seven Psalms" 収録曲をたくさんやるのであれば, 高い金払ってコンサートに行くことはしないだろう。

このヴィデオ, 最初と最後は「サウンド・オブ・サイレンス」.. "Seven Psalms" 収録曲(あれはどうにも「神がかっていて」, 俺の性に合わない)以外は, 相変わらず 素晴らしい。

2025年3月1日現在, ここにスケジュールが出ている。

ではでは 🎶

ポール・サイモンの歌, 歌詞和訳とアルバム・レヴュー 〜 24曲 歌詞和訳 note リンク集

今後も歌詞和訳の曲を増やし, 更新する note(2021年10月13日投稿, 以降 随時更新), 2025年 3月1日現在は 24曲分の歌詞和訳集。

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