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〈ヒロシマ、ナガサキ〉 というとき ー 〈ああ ヒロシマ、ナガサキ〉 と やさしくこたえてくれるだろうか

一昨日から今日にかけ、75年前の8月のアメリカ合州国空軍による広島と長崎への原爆投下に関わる投稿を 3本しました(3本目の投稿のメインテーマは Facebook による検閲の愚劣さですが)。

昨日、その 2本目では、広島の被曝者で詩人の栗原貞子(1913年3月4日生まれ、2005年3月6日死去)の 1946年3月作の詩「生ましめんかな」とその「生ましめんかな」の英訳詩を紹介しましたが、その際、彼女の 1976年3月作の詩「ヒロシマというとき」も掲載しました。

ヒロシマ というとき、ナガサキ というとき

ヒロシマというとき (栗原貞子, 1976年3月)

〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と やさしくこたえてくれるだろうか

〈ヒロシマ〉といえば 〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば 〈南京虐殺〉

〈ヒロシマ〉といえば
 女や子供を 壕のなかにとじこめ 
 ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑

〈ヒロシマ〉といえば 血と炎のこだまが 返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と やさしくは 返ってこない

 アジアの国々の死者たちや無告の民が
 いっせいに犯されたものの怒りを 噴き出すのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と やさしくかえってくるためには

 捨てた筈の武器を ほんとうに 捨てねばならない
 異国の基地を撤去せねばならない

 その日までヒロシマは 残酷と不信のにがい都市だ
 私たちは潜在する放射能に 灼かれるパリアだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と やさしいこたえが かえって来るためには

 わたしたちは わたしたちの汚れた手を きよめねばならない

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この詩の中の「ヒロシマ」は、全て、「ナガサキ」あるいは「ヒロシマ、ナガサキ」に置き換えても、意味は通るのだろうと思います。

広島、長崎 ー ヒロシマ、ナガサキ

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(広島、男性)

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(広島、おそらくは母親とその子ども。子どもは幼児もしくは赤児かもしれない)

画像4

(長崎、少年。今の学制で言えば小学生か、あるいは中学生ぐらいだろうか。)

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(長崎、女学校生徒)

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先日、テレビのニュース番組で観ましたが、アメリカ合州国において「広島、長崎への原爆投下は正当化され得るか」だったか、あるいは「(戦争を終わらせるために)必要だったか」といった意味の質問だったか、兎に角その種の質問に対し、「正当化され得る」「必要だった」と答える人の率が、若い世代においては減ってきている、というようなことが具体的な数字を含め紹介されていました。比率や年齢層に関するその具体的な数字は忘れてしまったのでここに書けないのですが、逆に言うと、若い世代においても、1945年8月に広島と長崎に原子爆弾が投下され、その年1945年の年末までだけでも 20万人を超えるほどの非武装の民が死ぬことになったあの惨劇について(亡くなった人の中には韓国・中国のほか、インドネシアなどアジア諸国出身で当時両市で暮らしていた人々や当のアメリカ合州国出身者を含む戦時の外国人捕虜もいました)、その作戦を遂行したアメリカ側の行為は正当化されると考える人が、今も一定数いることになります。年齢的に上の世代になると、まだまだ多いし、アメリカの一般世論も国としての公式見解も、ほぼその「正当化される」「必要だった」に近いものと言ってよいでしょう。

アメリカの人だけではありません。ヨーロッパ諸国でもその傾向はあるし、日本によって戦前の数十年間、その植民地支配や侵略のもとで多くの民が殺されたり犯されたりしたアジア諸国においては、原子爆弾が投下されたからこそ「そのまま戦争が続いていたら更に殺されたであろう人々の命が救われた」「悲惨な戦争が終わることになった」と見做す人の数は、今もかなり多いのではないかと思います。現時点でも過半数かどうかは統計調査でも調べてみないと分かりませんが、ほんの2, 3年前、シンガポールの友人(1960年生まれの私と同世代ですが、彼は自分の祖母から、大日本帝国陸軍がかの地でどれだけ酷いことをしたか、彼の親族がどれだけ酷い目に遭ったかを直接聞いています)と話した時も、おおよそそういう考え方でした。

上に写真をたった 4枚だけ載せましたが、私自身は、あのような惨い結果を生んだ、人間の人間に対する、あまりに残忍な仕打ちは、いかなることによっても正当化されるものではないと考えています。

確かに、戦前の日本は海外の国を、とりわけアジア諸国を植民地化あるいは侵略するなかで、多くの非人道的行為を行ないました。南京における虐殺(私はこれまで少なくない文献資料などに目を通してきて、戦後の、そして現在の中華人民共和国が唱える犠牲者数を信用しませんが、日本の一部右翼的な人たちが犠牲者数への疑問を通り越して「南京虐殺」そのものを否定するに及ぶことについては唖然とせざるを得ません)、重慶への度重なる絨毯爆撃・無差別爆撃をはじめ、数々の戦争犯罪を犯しました。そして、アメリカとの戦争に関しては、少なくとも戦闘行為を先に行なったのは日本の側でした。アメリカが日本が攻撃に出るよう仕向けるべく、あるいは攻撃してくることを承知で、あえてそれを前提とした経済制裁などの戦略的締め付けを日本に対して行なっていたという見方があることは事実ですが、それで日本が先に戦争を仕掛けたことを否定できるわけではありません。私たち日本人は、明治における近代化以降、1945年以前の数十年間にわたり、海外とりわけアジア諸国の人々に対して日本という国がどのような非人道的行為(いわゆる戦争犯罪を含め)を行なったのか、そのことについて知っておかなければならないし、今後の世代にも伝えられていくべきと考えます。

一方で、これも当然ながら、なのですが、アメリカが日本全土の多くの都市に対して行なった絨毯爆撃・無差別爆撃も(一番被害が出た 1945年3月10日の東京大空襲では一夜にして 10万人の非武装の民が命を落としました)、そして言わずもがな、広島と長崎への原子爆弾投下も(戦争の歴史を塗り変えるほどの攻撃だった為にシンプルなことを忘れがちですが、あれも紛れもない、軍隊対軍隊というようなものではない、非武装の市民を標的にした無差別爆撃です)、否定しようのない「戦争犯罪」です。

いまだにアメリカにおいては、世代を超えた世論の全体を見渡せば、広島や長崎に対する原子爆弾投下は戦争を終わらせる為に必要だった、それによって犠牲者数よりも多くの命が(もちろんアメリカ側の兵士をはじめ)その先も失われることを防ぐことができた、と考えている人の比率は、少なく見積もっても過半ではないかと思います。

しかしながら、それは「神話」というべきようなものでしょう。

当時、確かに(特に天皇制維持などに固執して)降伏に至るまでに時間を要した日本政府は愚かだったでしょうが、当時の日本が、既に戦争を維持する能力、そのための軍事力、戦闘能力を既に失っていたのも事実です。実際、アメリカは B-29 で何度も日本を視察し、国土を荒廃させた日本に戦争遂行の余力が既に無くなっていたことを把握していたに違いありません。

言えることは、広島と長崎に対する原子爆弾の投下は、単に戦争に勝つ、戦争を終わらせるという目的であったのならば、不必要な攻撃だったということです。10万、20万の民を殺戮する攻撃などする必要はなかったということです。ただ戦争を終わらせる、日本を降伏させるというのであれば、アメリカにおける核実験で既に把握されていたその破壊力を日本側に理解させることで十分だっただろうし、それは可能だったと思います。日本側がなかなか理解しないのであれば、人間が居住する市街に落とすのではなく、(このことがよいというのではありませんが)島々を当然ながら避けた上で太平洋上で爆発させて日本に警告することも選択肢としてあり得たでしょう。

アメリカという国の公式見解なるものはどうあれ、広島と長崎への原子爆弾投下は、一つには敵国の人間の肉体を使った巨大な実験だったし(戦後、アメリカは広島や長崎に調査団を派遣し被害の実態・人体に与えた影響の実相を調べたりもしました、その目的は様々でしょうけれども)、他方、アメリカのあの攻撃は既に事実上は始まっていた(戦後の)冷戦の相手国であるソビエト連邦に対する警告射撃のようなものだった、私はそう考えています。

一発目の広島への原爆投下も戦争勝利のため、戦争を終わらせるためという目的で必要だったものなどではありませんが、そのたった 3日後の長崎への原子爆弾投下となると、普段は合理的な説明に拘りそうなアメリカの権力者たちが一体どんな理性ある説明をし得るでしょうか。

ヒロシマ・ナガサキ というとき

しかし、それでも、この、44年前に被曝者・詩人の栗原貞子が書いた「ヒロシマというとき」というタイトルの詩は、そのタイトルと詩の中の「ヒロシマ」を「ヒロシマ・ナガサキ」に置き換えてなお、今も有効だと思います。

今も有効であることの背景には、あの戦争が終わった後、そして75年経過した今の今に至るまで、自らの手による戦前の日本に関する総括を怠ってきた日本の社会、社会と言ってしまうと何処か他人事めいてきますが、詰まるところ、日本政府と日本人の怠慢があるだと私は思っています。

〜 ヒロシマ・ナガサキというとき 

〈ヒロシマ・ナガサキ〉というとき
〈ああ ヒロシマ・ナガサキ〉と やさしくこたえてくれるだろうか

〈ヒロシマ・ナガサキ〉といえば 〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ・ナガサキ〉といえば 〈南京虐殺〉

〈ヒロシマ・ナガサキ〉といえば
 女や子供を 壕のなかにとじこめ 
 ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑

〈ヒロシマ・ナガサキ〉といえば 血と炎のこだまが 返って来るのだ

〈ヒロシマ・ナガサキ〉といえば
〈ああ ヒロシマ・ナガサキ〉と やさしくは 返ってこない

 アジアの国々の死者たちや無告の民が
 いっせいに犯されたものの怒りを 噴き出すのだ

〈ヒロシマ・ナガサキ〉といえば
〈ああヒロシマ・ナガサキ〉と やさしくかえってくるためには

 捨てた筈の武器を ほんとうに 捨てねばならない
 異国の基地を撤去せねばならない

 その日までヒロシマは 残酷と不信のにがい都市だ
 私たちは潜在する放射能に 灼かれるパリアだ

〈ヒロシマ・ナガサキ〉といえば
〈ああヒロシマ・ナガサキ〉と やさしいこたえが かえって来るためには

 わたしたちは わたしたちの汚れた手を きよめねばならない

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ところで、8月6日、Facebook 上で(確かイギリスのガーディアンの記事を添えたものだっと思いますが)ヒロシマへの原子爆弾投下 75周年に際して、被曝者の証言を紹介する英文の投稿を、たまたま眼にしました。Like (いいね) や Sad (悲しいね) などの多くのリアクションが付いていました。その投稿に一つコメントがついていることに気づいたので、その時はどういうわけか投稿内容そのものよりもそのコメントの中身に対して興味が沸いてしまい、そのコメントを一読しました。おおよそ、こういう意味のコメントだったと記憶しています。

「被爆者の人たちの証言を目にするたび、私は思う。この人たちが意図する意図しないに関わらず、こうした証言の試みは日本の歴史修正主義者たちの邪悪な企みを利することになるのではないか」

私はこのコメントを読んで、怒りとも悲しみとも言えぬ奇妙な感覚を覚えました。彼は被爆者の意図するしないに関わらずと言っているけれども、彼にはおそらく被爆者の真意は伝わっていない。彼の側に、受け取る構えが初めからない。彼のコメントの目的は、あくまで、日本に歴史修正主義者が存在することを批判するということです。日本に「歴史修正主義者」なるものがいることは事実で、それが為政者、日本政府に連なる人々、与党政治家など日本の政治・支配層の中にも存在することは深刻な事実だと思いますが、その上で、このコメント主の言っていることについては、なんというか、ため息が出る思いでした。

原爆開発に参加した科学者 曰く、「私は謝らない」

原爆投下時の気象観測機パイロットだったクロード・イーザリーの「広島、我が罪と罰」

生ましめんかな ー 1945年8月8日、広島

長崎原爆投下と Facebook の愚劣な検閲

Instagram の投稿から 

この数日たまたま観た、私がフォローしている Instagram アカウントによるヒロシマ・ナガサキに関する投稿へのリンクです。どれも被曝者を追悼する、あるいは原子爆弾投下を批判・非難する趣旨の投稿ですが、コメントの中には、「あれは必要だったのだ」といった類のものも散見されます。

因みに、Miko Peled は 1961年エルサレム生まれ、著名なシオニストの家庭で育ったイスラエル人ですが(現在はイスラエルとアメリカの二重国籍)、彼は今、イスラエルのパレスチナに対する占領政策を徹底的に批判し、その違法な政策、パレスチナ人に対する人権弾圧を止めさせる為にイスラエルに対するボイコット、資本撤退、制裁(BDS: Boycott, Divestment, Sanctions)の運動を支持している活動家であり、作家です。

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