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「人生のポケット」を覗いたら, "River of Tears" と "Running on Faith" が 🎶
時計の針を戻して, 過去の自分が嵌まり込んでいた「人生のポケット」の中を覗いたら, クラプトンの "River of Tears" と "Running on Faith" が 流れていた。
「人生のポケット」 とは
以前の note (*1) から, その note タイトルと同じだから ミュージシャンのアルバムのいわゆる "タイトル・トラック" みたいな(なのか? 笑)第1章 人生のポケットから出る方法はどこかにある に転載した自分の 2003年4月12日付の(ホームページ上の)「日記」から, とりあえず最初の5段落分を, 以下にあらためて掲載。
最近、名前なら大抵の日本人が知っている日本の俳優と香港の俳優が自殺した。古尾谷雅人とレスリー・チャン。二人ともファンというのでは全くないが、名前なら知っている。古尾谷雅人なら、たぶん何かのテレビ・ドラマで何回か観ているに違いない。レスリー・チャンは、やはりテレビで顔くらいなら観ているだろう。二人とも40代半ば。自殺の理由は知らない。ファンではないし、理由に関心はない。ただ、何となく、自殺なんて嫌な話だなと思った。そう言ったら、ほとんど誰もが似たようなことを言うのだろうけど。
二人の自殺に関して、劇団主宰の人が、何日か後の新聞のコラムにこんなことを書いていた。その人のことは知らない。だけど、この人の感想は気になった。曰く、
「気がついたら人生のポケットに入りこんで出られなくなった。そんな怖さを彼らの死に感じた。」
ポケットに入ってしまってそこから出たいと思い、しかし出られない。出られなくて苦しい。少なくともそこまでなら、何だか自分のことを言われているような気がしてくる。「人生のポケットに入りこんで」「出られなく」・・・何だかわかり過ぎるよ、この表現は。わからなければ幸いです。別にわかる必要なない。いや、ある種類の人々は、どうやらそういうものがあるらしいってことは意識していた方がいいかもしれないけれど。人のこと気にしている余裕はないか。
人生のポケットから出る方法はあるか? その回答はない。具体的な正解はない。はっきりしているのは、ポケットから出なければならないということだ。あるいはポケットだと思わないこと? 思わなければ話は簡単。思わなくなった瞬間、それはポケットではなくなる。そんなことが簡単に出来れば悩みはないね。
*1
ではでは。
「人生のポケット」の中を覗いたら, あの2曲が流れていた 〜 そう思ったのは ..
そう思ったのは, このとき
去年11月26日, 以下の note を書いていて,
その第4章2項 人生のポケットから出る方法はどこかにある(はずだ, 2003年4月12-13日) に 今日の note 前章に最初の5段落分を載せた2003年4月12日付の自分のホームページ上の「日記」, および 同左13日付の「日記」を転載, その時, その昔々の自分の日記を久しぶりに読んでいたら,
そうか, あの頃の俺の頭の中は River of Tears と Running on Faith だったのか, そう思えてきたのです。なんだそりゃ。
River of Tears,
Still I catch myself thinking
One day I'll find my way back here
それでも私は、今もある考えにとらわれている
いつか私はここに戻る方法をみつけることになる
Running on Faith,
*1 run on は「〜 で走る」「(切れ目なく)〜 を続ける」「(心が)~に捕らわれる」など。この歌のタイトルや歌詞の中にある run on faith は, 信念で生きる, 信じることで 生きる, 信じ続ける, 信じることを頼りにして生きる, そんなニュアンスで解釈すればよいかと。
上掲 note 第4章2項 人生のポケットから出る方法はどこかにある(はずだ, 2003年4月12-13日) に転載した2003年4月12日付の自分のホームページ上の「日記」(今日の note 前章に最初の5段落分のみ掲載, ややこしい言い回しだな, 笑)の最後の段落, 9段落目は,
人生のポケットから出る方法はあるか? 正解もその手掛かりも持たない時は、とにかく「方法はある」と思っていることでしょう。ポケットから出る方法は必ずどこかにある。あるいは、いつか必ず、自分はポケットから出ている。気がついたらポケットから出ていた。何でもいい。とにかく、いつか出ている。なぜなら、方法は必ずあるからだ。まるで「念仏」か。いや、それが必要な時もあるのです。いつまで言い続けているんだ、こんなこと。わかりませんな。必要なうちは、言い続けます。必要がなくなったら言いません。来年の今頃も言っているかもしれません。言ってないかもしれません。とにかく、メシを食い、愛する者を気にかけ、愛し、勉強し(何を何のために?)、ものを考え、眠り、眼を覚まし、メシを食い、そうやって生き続けることです。そう言い続けながら、生き続けることです。死んで花実が咲くものか。そう言うじゃん、昔っから。
そして, 上掲 note 第4章2項 人生のポケットから出る方法はどこかにある(はずだ, 2003年4月12-13日) に転載した2003年4月13日付の自分のホームページ上の「日記」の最後の段落は,
しかし、ポケットから出る方法はある。どこかにある。これは出られないポケットではないのだ。方法はきっとある。いつかポケットから出ている。いつの日か、今はわからない。しかし、いつの日か、必ずポケットにいない自分を発見するだろう。同じことを何ヶ月も、ヘタしたら1年も2年も言っていても意味がないんだが、しかし言っていないと自分を保てないのなら、やっぱり言い続けるしかない。言い続けながら、生き続けるしかない。生きないよりはマシだ。そのうちマシな生き方になるかもしれないよ。手掛かりを感じてればもう喋りませんよ。そうでなければ、生きるために喋ります。
人生のポケットから出る方法はどこかにある
以下では, 前項にもリンクを載せた下掲 note
の第4章3項 人生のポケットから出る方法はどこかにある を, そのまま掲載。ただし(今日のこの note 前項でも同様だけれど)転載テキストにおける太字は今日の転載にあたって太字にしたもの。
幸いにして(幸いにして空は青く澄んでた、嘘のように *3)自分は既に「人生のポケット」から出ている。そして、2度とあの「ポケット」に嵌まり込むことはないだろうと断言できる。まぁ起きていない先のことについて断言するのは本当は誰にも出来ないんだろうが、主観で言うなら断言していいだろうと。
タイトルの上に載せた写真は、2016年7月に撮った写真。家から歩いて10分程度のところで咲いていた向日葵。日が落ちてから散歩に出たら、暗がりで綺麗に咲いている向日葵を見つけたので、思わず撮りたくなって、手持ちのスマホで撮影した。向日葵といえば普通は黄色い花を思い浮かべるが、そこには黄色い向日葵だけでなく、赤い向日葵も一緒に咲いていた。
自分は来月 911 には還暦を迎えるイイ歳をしたオヤジなのだが、過去、不惑のはずの40歳を過ぎてから惑い、その後、13年半という長い年月にわたって、人生の中の「暗くて長い」トンネルに入っていた(今これって「黒の舟唄」の歌詞にあったような気がすると思ったのだが、早速調べてみたら、あれは「深くて暗い」だった、まぁ勿論あっちはトンネルじゃなくて川なんだが、しかしのっけから脱線かよ、これはしかし癖なのだ)。
暗くて長いトンネル、それをここでは「人生のポケット」という。ポケットなんだから、中に入れば暗いだろうが、長いというのは妙だな。しかし、自分の場合は長かった。「人生のポケット」に嵌まり込んだことがある、しかしそこから出ることができた、そういう人は当然ながら、世を見渡せば自分以外にそこそこの人数いるんだろうと思う。ポケットが浅くて、わりと早く出られた人もいるだろうし、そういう場合は、そう長くはなかったが、しかし暗いトンネルではあった、そのトンネルを脱出することができた、そういう言い方も出来るのかもしれない。
自分の場合は、とにかく長かった。暗くて長いトンネルだった。そして、入っている時は、出口は全く見えなかった。脱出する直前まで、いや、脱出するその時まで、出口は見えなかった。
ある日、気づいたら、出ていたのだ。兎にも角にも、自分の場合は、暗くて長かった。「人生のポケット」は、思い切り深かった。
*3 幸いにして空は青く澄んでた、この直ぐ上にリンクを貼った、昨日の3本目の投稿のタイトル上の写真のように。
「それは 次項」の「次項」とは, 今日のこの note 本項冒頭にリンクを載せた以下の note(しつこく再掲, 笑)
の第4章4項 そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」 のことで, そこにはただ以下のリンクを貼っただけ。
で, このタイトル上の写真は, 以下の note マガジン 人生のポケットから出る方法はどこかにある のタイトル写真でもあり,
自分の「人生のポケット」は、2001年の晩秋頃もしくは2002年初夏辺りから、2016年1月終わり頃まで。同年1月末か2月初め頃、脱出した。
ではでは。
River of Tears 〜 歌詞和訳
River of Tears from Eric Clapton's 1998 album Pilgrim
英語原詞 https://genius.com/Eric-clapton-river-of-tears-lyrics
その河まで3マイル
私を運び去ってしまう河
埃だらけのその通りまで2マイル
今日あなたを見た場所
私のひとりぼっちの部屋まで4マイル
そこは私がひっそりと身を隠す場所
ダウンタウンのバーまで 0.5 マイル
そこは私が恥辱から逃れた場所
神よ、私はどれだけ走り続けなければならないのか
7時間? 7日間? それとも7年間?
あなたがいなくなってしまってから
私に判るのはただ一つだけ
私はまるで河で溺れているみたいだ
そうさ、涙の河で溺れている
河で溺れている
まるで溺れているみたいなものさ
河で溺れているんだ
あと3日のうちに私はこの街を出て行くだろう
足跡すら残さず消え去るつもりだ
そして1年後、おそらくどこかに落ち着くことになる
私のことなど誰も知らない場所に
あなたのことをもう一度抱きしめることが出来れば
この苦しみを和らげることが出来るはずなのに
だけど行かなくちゃ
私にはもう時間が残されていないんだ
また走り去るほかないのさ
それでも私は、今もある考えにとらわれている
いつか私はここに戻る方法をみつけることになる
あなたは溺れている私を救い出してくれるだろう
河で溺れている
涙の河で溺れているんだ
河で溺れているんだ
まるで溺れているみたいだ
一人でもがいても逃げられない
神よ、この苦しみはあとどれだけ続くのか
私は魂の居場所を探している
私は涙の河で溺れている
.................. 🎶 ..................
では, 次は,
Running on Faith 〜 歌詞和訳
Running on Faith from Eric Clapton's 1989 album Journeyman
英語原詞 https://genius.com/Eric-clapton-running-on-faith-lyrics
このところずっと 私は 信じることで 生きている (*1)
哀れな男に 他に何ができる?
それでも 私の世界はうまくいくだろう
愛が あなたに届きさえすれば
このところずっと 私は 寝言ばかり言っている
いったい何を言わなくちゃいけないというのか
私の世界がうまくいくということ以外に
愛が あなたに戻りさえすれば
私は いつも 一日一日を大事にしてきた
今ごろには 私を大切に思ってくれる人をみつけているはずだった
それで 私たちは 信じ続けるんだ (*1)
夢が全て叶うだろうことを
それで 私たちの世界はうまくいくだろう
愛が 私とあなたに 届きさえすれば
私は いつも 一日一日を大事にしてきた
今ごろには 私を大切に思ってくれる人をみつけているはずだった
だから 私たちは 信じ続けるんだ
夢は全て叶うはずだってことを
それで 私たちの世界はうまくいくだろう
愛が 私とあなたに 届きさえすれば
愛が あなたに届きさえすれば
愛が あなたに届きさえすればね
愛は あなたに届く
愛は あなたに伝わる
私たちの夢は全て叶うだろう
愛は あなたに届く
愛は あなたに伝わる
私たちの夢は全て叶うだろう
愛が あなたに届きさえすればね
私たちの夢は
私たちの夢は 全て 叶うだろう
愛が あなたに届きさえすれば
私たちの夢は全て叶うだろう
愛は あなたに届く
愛は あなたに伝わる
愛が あなたを包み込む
…………………………………
訳注
*1 run on は「〜 で走る」「(切れ目なく)〜 を続ける」「(心が)~に捕らわれる」など。この歌のタイトルや歌詞の中にある run on faith は, 信念で生きる, 信じることで 生きる, 信じ続ける, 信じることを頼りにして生きる, そんなニュアンスで解釈すればよいかと。
.................. 🎶 ..................
ではでは, 今日の最後は,
音楽は人を癒すか 〜 本当に 「音楽は人を癒す」 か?
今日の note の中では「番外編」
いや, そうじゃなくて(なぜか一度脱線させるオヤジだった, 笑),
今日の note の中では「番外編」のようなものだけど,
今日はこれを 最終章に置いておきたい。
音楽は人を癒すか。癒す時もあれば癒さない時もある。音楽を忘れる時もある。「本当に」へこんだ時は、音楽は力にならない。これは自分の場合、だけど音楽は自分にとって個人的な体験だから、これが全て。
本当にへこんだ時、ある一線を超えて(越えて)落ち込んだ時、音楽は自分の傍らになかった。というか、聴く気にもならなかった。この世に音楽があることを忘れていた。
「本当に」落ち込んだ時は、音楽すら傍らにない。音楽はその時、力にならない。音楽が癒しになる時は、いずれ再び立ち上がる可能性を秘めている。
というわけで、先に結論を書いてしまったけれど、今日の note 投稿の本題として載せるのは、2002年10月27日に書いて(キーを打って、html で書いて)自分のホームページ上に掲載した日記。
こういうことにその時の年齢がどれだけ影響するかというと、それは大きな影響というほどのことではないものの、まぁ少なくとも人生のどの辺りにいるのかという程度の意味では多少の関係はあるんだと思う。1960年911生まれの自分は、当時42歳だった。いわゆる「厄年」だったというのは当然ながら単なる偶然ではあるけれど(ただしあれは普通「数え年」で言うんだね、だからあの年は「後厄」というやつだったんだろう、となると自分が「不惑の四十」であるはずの 40歳、それも元々は「数え年」か、面倒くさいな、ともかくそういう時期を過ぎてから職業人生上大きく惑ってしまって、そこから長い長い「人生のポケット」期に入ってしまった時期が「数え年」で言うところの「本厄」の年齢だったことになるのかな、長い長い括弧だな)、以上、括弧書きのなかに書いたような、そんな人間としては、あの頃の自分は、年齢に対する相応の意識を持っていたんだろうと思っている。
いや, それでもなお, 音楽は .. Music's seeping through!
♫ Then I learned to play some lead guitar, I was underage in this funky bar, and I stepped outside to smoke myself a "J". And when I came back to the room, everybody just seemed to move, and I turned my amp up loud and I began to play .. ♫
![](https://assets.st-note.com/img/1737773918-bsHt23YDh5FvjGQNfImZW0Ue.jpg)
Late in the Evening 〜 Paul Simon LIVE 1992
The first thing I remember
I was lying in my bed
It couldn't have been no more
Than one or two
I remember there's a radio
Coming from the room next door
And my mother laughed
The way some ladies do
When it's late in the evening
And the music's seeping through .. 🎶