ボブ・ディランの不都合な真実(2)ー または 私が 37年余り購読し続けた「朝日新聞」の購読を止めた理由
「ボブ・ディランの不都合な真実」と聞いて、彼が創作したものには他のクリエイターの作品からの引用・盗用の類が少なくないことを思い浮かべる方もおられると思いますが、私はその問題についてはいくらか論評を読んだことがあるものの、その件に関して詳しい者ではありません。
「ボブ・ディランの不都合な真実」とは、ここでは「1982年のイスラエルのレバノン侵略とそれが惹き起こしたパレスチナ難民虐殺事件の直後に彼がイスラエル支持ソングを作って発表したこと」(及びその歌詞が今も彼の公式ウェブサイトに掲載されていること)を指します。関心のある方は、前回の投稿を併せてご覧になっていただけると幸いです。
https://note.mu/dailyrock/n/n0e7150ac2f99
この問題の詳細については次回以降の投稿の中でも展開していきますが、前回の投稿の中で触れた、本件に関しての 2016年11月当時の私の朝日新聞「私の視点」欄への投稿に関わる同紙の不誠実な対応、その後日談について先に投稿しておこうと思います。
具体的には、投稿から 3カ月半後に届いた朝日新聞からの本件投稿に関する返信とそれに対する私の応答を、以下にそのまま一字一句落とすことなく掲載しますが、それは、その私の応答(朝日新聞への返信)の中に、この「ボブ・ディランの不都合な真実」の問題の詳細が一定程度書かれており、また、これによって、この問題に関わってのマスメディアの問題も明らかになるものと考えるからです。
ここでいう「ボブ・ディランの不都合な真実」は、2016年以降もイスラエルの「ハーレツ」のほか、アルジャジーラやイギリスのアラブ系メディア、アメリカのパレスチナ問題専門のメディアなどが取り上げており、中東紛争、パレスチナ問題などに関心を持つ国際社会における一定の層の中では、既に広く知られている内容です。しかしながら、私の知る限り、日本の大手メディアは一切触れようとしてきていません。
また、以下に掲載する私からの朝日新聞の返信に対する応答の中でも触れていますが、私はこの件に関してアメリカのニューヨークタイムズの “Op-Ed” 欄にも英文投稿をしました。アメリカのメイン・ストリームのメディアはそもそもイスラエル批判を積極的にしようとしない傾向があるものと思われますが、ニューヨークタイムズもこの件について一切取り上げませんでした。
なお、前回の投稿の中でも言及している通り、私は本件に関し、当時、「ノーベル文学賞」のボブ・ディランに対する授与を予定していたスウェーデン王立アカデミーの責任者にも、英文でメールをしています。二度にわたり先方が指定する公式なメール・アドレスに宛ててメールしましたが、返信は全く無く、事実上、無視されました。
音楽を含むアートは、本来は、政治的文脈から離れてその作品の価値を評価すべきものと私自身、考えていますが、しかし、それにも限界はあります。
事実とは異なる極端な例を二つ挙げましょう。「ゲルニカ」を描いたパブロ・ピカソが仮にナチのユダヤ人虐殺を知りながらナチス・ドイツを支持する内容の作品を残し、かつその点についての反省なり後悔なりの弁を一切しなかったのなら、ピカソのその後の評価はどうなっていたでしょうか。
あるいは、ジョン・レノンがベトナム戦争当時のアメリカ軍の部隊によるソンミ村虐殺事件の事実を知った上で、あの戦争においてアメリカを支持する内容の歌を直後に発表していたなら、且つその後もその作品を撤回することなく、また何ら反省することなくアーティストとしての活動を続けていたのなら、その後のジョン・レノンのパブリック・イメージはどのようなものになっていたでしょうか。
なぜ、ボブ・ディランの「不都合な真実」は、普段はいわゆる「権力」や「権威」に対する監視・批判に熱心であるかのように見える報道機関も含め、大手メディアのことごとくが取り上げようとしないのでしょうか。まさかディランは全知全能、無謬の神のような存在だなだと信じているものが、ジャーナリストなり音楽評論家なりの中にいるなどとは思いたくありませんが。
では、以下、朝日新聞「私の視点」欄担当者とのやり取りです。
From: siten@asahi.com [mailto:siten@asahi.com]
Sent: Friday, February 24, 2017 1:02 AM
To: xx@yyy
Subject: RE: 「私の視点」 投稿 : ボブ・ディラン氏ノーベル文学賞受賞の妥当性について - その大いなる疑問
山本 剛さま
このたびは「私の視点」へご投稿いただき、誠にありがとうございました。お返事が大変遅くなり、誠に申し訳ありません。当欄へのご投稿は週平均で数十通にのぼっており、最近の投稿数の増加に伴いまして、審査にかなりの時間を要しております。また、多数のご投稿に対し、掲載できる数が限られており、なかなかご要望にお応えできないのが実情です。
今回、お寄せいただいた原稿につきましては入念に検討させていただきましたが、上記事情などから掲載を見送らざるを得ませんでした。たいへん申し訳ありませんが、どうかご理解くださるようお願いいたします。
ぜひまたご投稿ください。今後とも朝日新聞をどうかよろしくお願いいたします。
朝日新聞オピニオン編集部 「私の視点」担当
ファクス03-5541-8259
siten@asahi.com
From: Tsuyoshi YAMAMOTO [mailto: xx@yyy]
Sent: Tuesday, February 28, 2017 6:15 PM
To: siten@asahi.com Cc: xx@yyy
Subject: 私が 37年余り購読し続けた「朝日新聞」の購読を止めた理由
Importance: High
朝日新聞編集部 「私の視点」ご担当者殿
先週金曜にメールをいただきました。一瞬、怒りに駆られ直ぐに返信しようと思いましたが、まずは呆れたのと、他にやることが沢山あった、その二つの理由で返信が今日まで延びました。
昨年11月7日に私が貴紙「私の視点」欄に投稿して以来、3カ月半ものあいだ放置していたにも関わらず、本年2月24日になって突如、私宛てに御座なりの内容の返信をされたようで、大変ご苦労さまです。
件の投稿文は推敲してからメールにて送信しましたが、この間の経緯を踏まえるならば、本日のこのメールについては、推敲してもそれは無駄骨、徒労と呼ぶべき結果になる可能性が高く、したがって以下、推敲せず送信します。
これより、箇条書きにして書きます。
なお、以下に記す件の、その多くは、現在の居住地に引っ越してきて以来20年余にわたり大変お世話になった当地の「朝日新聞」販売店を通じ、「朝日新聞」水戸総局長に伝わっているはずの内容です(販売店の責任者の方から昨年末の時点でその旨聞いています)。
1. メール件名に書いた通りですが、私は1979年4月の大学入学以来、37年余にわたり購読してきた「朝日新聞」の購読を、昨年末をもって止めました。
2. 次項からの指摘を読まれる前に、まずは、アメリカのニューヨークタイムズが、その定期購読者数においては貴紙のそれと比べ少ない可能性があるものでありながら(そんなことは調べれば分かりますが本題ではないので割愛)、おそらくは前者の Op-Ed 欄への一般読者からの投稿数は全世界からの大変な数におよび、貴紙「私の視点」欄への一般読者からの投稿の数を、おそらくは桁違いのレベルで凌駕しているであろうことを先に指摘しておきます。
3. 私が昨年11月7日に貴紙「私の視点」欄に投稿して以来、3カ月半もの月日が経過してから、先週金曜、2月24日になって貴殿から届いた返信には -- 「当欄へのご投稿」が多く - 云々書かれ(て : 脱字「て」を note 転載に当たり挿入します)いますが、同時期に同内容の英文投稿をしたニューヨークタイムズの “Op-Ed” においては、投稿記事の掲載は貴紙「私の視点」欄と同様に見送られたものの、明らかにプログラム化された返信ながら、その英語の表現においても、投稿文掲載の採否に係る事情の説明についても、あるいは掲載不可となった場合の当該投稿者の投稿内容のその後の扱いに関する説明についても、非常に分かりやすい丁寧な説明が書かれていました。
4. 前項、ニューヨークタイムズからの返信について補足すると、最後に触れた点については、「投稿後 x 日以内に当方より改めて返信がなかった場合は掲載が見送られたものと解釈していただき、その後は(それ以前までは二重投稿不可の縛りがあったその投稿を当然ながら)自由に他紙に投稿されて構いません」という趣旨のことが具体的に書かれていました。
5. 貴紙「私の視点」において、前々項、前項に記したニューヨークタイムズの返信と同様の対応をとることは、決して難易度の高いことではありません。そんなことは常識的に考えれば分かるはずです。ニューヨークタイムズのそれは、上述の通り、プログラム化された返信です。
6. 私が貴紙「私の視点」に対して指定通りの電子メールによる投稿をしたのと同じく、私はニューヨークタイムズ “Op-Ed” 欄の担当アドレス宛てにメールによる英文投稿をしました。上記の返信は一瞬のうちに、要するにこちらの送信とほぼ同時に私が受信した返信です。こんなことはいまどき、というか、もう何年も前から、というより少なくとも今世紀に入ってからのインターネットの技術であれば、ごくごく簡単に出来ることです。
7. 前項までに書いたニューヨークタイムズの対応は、長年の読者の継続購読による支えの上に胡坐をかいた日本の大手紙はどうか知りませんが、日本においても他の業界では決して珍しい対応ではないでしょうし、メディア、新聞社の対応としては、おそらくは欧米の最低限、日本とその経済力においては大差のない一部先進国においては、標準的な対応なのかもしれません。
8. 次項以降、「私の視点」欄への私の投稿内容そのものに係る点について指摘しておきます。
9. 私が投稿したのは昨年11月7日です。貴殿から先週金曜になって届いた返信に「貼りついている」私のメールに記されている通りです。
10.私のその時のメールでは、投稿文に入る前のメール文の冒頭で、「今年」(昨年) 5月24日付のイスラエルの高級紙、いわゆるクウォリティペーパーである「ハーレツ」の記事が明らかにしている、ボブ・ディランが1982年のイスラエルのレバノン侵略とその結果、同国内で起きたパレスチナ人大量虐殺(仮にも日本の一応はクウォリティペーパーの一つと見做される場合もある「朝日新聞」に勤める人間が、少なくとも同欄における記事掲載に関わる社員が、「サブラ・シャティーラ難民キャンプ(パレスチナ難民)虐殺」の史実をそれまで知らなかったとは考えられませんが、仮に知らなかったとしても、知らなかったのなら尚のこと、この部分の記述の重大性を鑑みれば、最低限なんらかの方法で確認するのがジャーナリストを名乗るものとして当然とるべき態度です。またあまりに有名な史実であるため確認するのは非常に容易なことです)、括弧内が長くなりましたが、要するにそのイスラエルのレバノン侵略と直後に起きたパレスチナ人虐殺の後に、ボブ・ディランがあろうことか「イスラエル支持」ソングを書いたことにまずは言及し、「親切」にも、「ハーレツ」のそのネット上の記事へのリンクも付しています。
11.件のボブ・ディランの歌、 “Neighborhood Bully” の歌詞を読めば、 Israel という字句が一度も使われないままに、しかしながら Israel を he として擬人化したうえで同国の周辺国やパレスチナ人への攻撃・弾圧等について完全に擁護していることが分かります。パレスチナ問題や中東の歴史に多少とも通じている人間であれば、あの歌詞におけるボブ・ディランの明確な Israel 支持の姿勢は一目瞭然ならぬ一読瞭然です。
12.上記の私のメール文の冒頭では、上記の点について簡潔に言及したうえで、これも「親切」にも、そのことにより本件が「非常にニュース性がある」事実であることにも、これまた簡潔に言及しています。
13.しかるに、貴紙はこの投稿に書かれた当時の時点で「ノーベル賞受賞」が予定されていた(結局、ボブ・ディランは「受賞者」に、つまりは「栄えある」 The Nobel laureateになりましたが)人間に関わる、その名に値しないものと指弾されて「しかたない」レベルの重大な事実をその後も延々と放置したまま、それ以前のボブ・ディラン関連記事に引き続いて更に継続して2本、3本と、基本的に「ボブ・ディラン」礼賛の提灯記事を掲載し続けました。
14.若干だけ、ディランが過去に多くの資料や映画などから無断で、且つ世間に発表する(音楽業界でいうところの release です)に際しても何の断り書き・注釈も付さぬまま引用・転用して自身のオリジナルであるとされる歌や自叙伝や絵画などに使っていることに触れた記事もありましたが、その記事においてすら、そのボブ・ディランの姿勢を擁護する識者もしくは文化人の解釈が併せて紹介され、「ノーベル賞受賞者」ボブ・ディランの「名声」を貶めるようなレベルの記事では全くありませんでした。
15.しかし、最も重要なことは、前項に書いたことではありません。
16.ボブ・ディランが上記の通り、いや、そもそも昨年11月7日時点における私からの貴紙「私の視点」欄への投稿文で指摘した通り、1982年9月のベイルートにおけるパレスチナ人大量虐殺の舞台となった同地サブラ・シャティーラ難民キャンプを包囲して自国軍の戦車をそこに入場させ、そのキャンプ内にレバノン国内におけるイスラエルの同盟者であった自称「キリスト教」右派民兵を招き入れ、更に夜間には照明弾を夜空に飛ばして彼らのパレスチナ人大量虐殺を支援した、つまり虐殺の当事者そのものといわれて然るべきイスラエルが、当時、国際社会から囂々たる批判・非難の声を浴び、シオニズム教育が徹底されたイスラエル国内においてすら反戦・反政府の運動が巻き起こったそのさなかに、いわばそれら基本的人権の擁護や平和希求の国際社会の当然の声に抗うかたちで、イスラエルに対する擁護と支持を鮮明にした歌を書き、そして今もなお、自身の公式サイトにその恥ずべき歌の歌詞を掲載したままであること、要するにその反人権の態度を改めた気配が全くないという、世間が歌手ボブ・ディランの「ノーベル賞」受賞のニュースに湧くなかで完全に忘れ去られている、おそらくは知らない人間からすれば「驚愕の」という修辞が相応しいその事実に、貴紙が続けたボブ・ディラン礼賛記事は全く触れていない、ということです。
17.件の「ハーレツ」の記事の見出しがまさしく、こう書いています。
Unearthing Bob Dylan’s Forgotten pro-Israel Song
Written in the wake of the 1982 Lebanon war, Dylan’s song 'Neighborhood Bully' equates Israel with an 'exiled man,' who is unjustly labeled a bully for fending off constant attacks.
18.もう一カ所、1982年の歴史の汚点の当事国であるイスラエルのメディア「ハーレツ」の記事から、重要な指摘をここに貼っておきましょう。当然、私の投稿文により初めて知ったのかもしれない貴紙「私の視点」欄ご担当の方もこの「ハーレツ」記事を一読しているはずであり、万万が一そうでなくとも、貴紙の「国際部」なり「文化部」なりに属する「ジャーナリスト」の皆さんなら、最低限そのうち何人かの方は、この記事に眼を通されているものと思いますが。
19.The lyrics (posted in full here、私があらためてここにリンクを貼っておきましょう) http://bobdylan.com/songs/neighborhood-bully/ equate Israel with an “exiled man,” who is unjustly labeled a bully for fending off constant attacks by his neighbors.
Dylan released the song on his second studio album, “Infidels,” in the wake of his brief born-again Christian phase during the late 1970s and early 1980s.
Some of the lyrics sound like they could have been taken from speech by Israeli Prime Minister Benjamin Netanyahu, who often portrays Israel as besieged.
尚、「ぜひまたご投稿ください」とのことですが、貴紙が態度を改めない限り、二度と投稿しません。
今から遡ること 13年以上前にも、貴紙「私の視点」欄において当時の駐日エジプト大使と駐日イスラエル大使との間で、イスラエルがガザ地区とともに1967年以来不当に占領し続けるヨルダン川西岸地区(West Bank)におけるイスラエルによる「隔離壁」建設の問題に関する論争が続いた際、イスラエル大使側の寄稿において、パレスチナ問題について一定の知識を持つ人間からすれば容易に分かる、明らかに史実を無視した主張が展開されていたため、その点を指摘する投稿を私がしたことがあります(2003年11月25日投稿)。
そのときに、当時の貴紙「私の視点」欄ご担当がとった対応は、というより、それはつまり、全く対応しなかったというのが実態ですが、要するに掲載はおろか、何の返信もなく、音沙汰皆無の対応でした。(この点、補足:後に私自身が当時の記録を確認した結果、厳密には「音沙汰皆無の対応」ではなく、形式的あるいは事務的な文言とはいえ、「『私の視点』欄には様々なテーマに亘って非常に多くの投稿文が寄稿されており、慎重に検討させていただいた結果、掲載には至りませんでした」という趣旨の、ある意味、本件での朝日新聞の応対よりは多少はマシな内容の印刷文が書かれた、葉書による返信が、当時は届いていました。)
今回、私が昨年11月7日に投稿してから3カ月半もの月日が経過した時点で、突如、しかも内容的に御座なりの内容に過ぎない返信を送ってきた理由は何処にあるのでしょうか?
今頃になって、貴紙「水戸総局長」から何らかの指示でも及んだのでしょうか?
「今後とも朝日新聞をどうかよろしくお願いいたします」とのことですが、メール件名で最初に言及した通り、私は既に37年余にわたった「朝日新聞」購読を止めています。
少なくとも、貴紙「水戸総局長」には、私が既に貴紙購読を止めた事実について昨年末時点で伝わっています。
貴紙がその、なんらかの「権威」に対して非常に及び腰の腰抜け、腑抜けな態度を改めない限り、私は二度と貴紙を購読することはありません。
最後に、本件、貴紙がこの間にとった対応については、日本におけるクウォリティペーパーの一つと目されることがある新聞社の姿勢として(英語ではこういうことを attitude と呼ぶことくらい貴紙の責任ある立場の人間ならば当然承知されているはずですが)非常に問題だと考えますので、他紙もしくは他の雑誌媒体なり何なりのメディアに対し、投稿・寄稿のかたちで世間に明らかにしたいと考えていることを、申し添えます。
仍って件の如し
山本 剛
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From: siten@asahi.com [mailto:siten@asahi.com]
Sent: Friday, February 24, 2017 1:02 AM
To: xx@yyy
Subject: RE: 「私の視点」 投稿 : ボブ・ディラン氏ノーベル文学賞受賞の妥当性について - その大いなる疑問
山本 剛さま
このたびは「私の視点」へご投稿いただき、誠にありがとうございました。お返事が大変遅くなり、誠に申し訳ありません。当欄へのご投稿は週平均で数十通にのぼっており、最近の投稿数の増加に伴いまして、審査にかなりの時間を要しております。また、多数のご投稿に対し、掲載できる数が限られており、なかなかご要望にお応えできないのが実情です。
今回、お寄せいただいた原稿につきましては入念に検討させていただきましたが、上記事情などから掲載を見送らざるを得ませんでした。たいへん申し訳ありませんが、どうかご理解くださるようお願いいたします。
ぜひまたご投稿ください。今後とも朝日新聞をどうかよろしくお願いいたします。
朝日新聞オピニオン編集部 「私の視点」担当
ファクス03-5541-8259
siten@asahi.com
......................
From: 山本剛 [mailto:xx@yyy]
Sent: Monday, November 07, 2016 8:08 PM
To: siten@asahi.com Cc: xx@yyy
Subject: 「私の視点」 投稿 : ボブ・ディラン氏ノーベル文学賞受賞の妥当性について - その大いなる疑問
Importance: High
朝日新聞社
「私の視点」ご担当者殿
イスラエルの高級紙「ハーレツ」が明らかにした、1982年イスラエルによるレバノン侵略とパレスチナ人虐殺の直後に書かれた、ボブ・ディラン氏のイスラエル支持ソングについての投稿です。
当事国イスラエルのメディア「ハーレツ」今年5月24日の記事を最近読み、その驚愕の事実を知りました。
http://www.haaretz.com/jewish/news/1.721200
非常にニュース性があるはずです。掲載方ご検討のほど宜しくお願い致します。
以下に投稿文ならびに私の氏名・住所・電話番号・職業・年齢について記します。
どうぞ宜しくお願い致します。
1. 投稿文 (1,100字ちょうどです)
(タイトル)
ボブ・ディラン氏ノーベル文学賞受賞の妥当性について - その大いなる疑問
(本文)
ボブ・ディラン氏へのノーベル文学賞がニュースとなって久しい。私は当初、詩は元来歌と共にあり、「歌手への文学賞」を疑問視する批判は当たらない、知る限り彼の歌詞の詩としての評価または歌と併せた総合評価は文学賞に値するものと考えていた。が、それはごく最近、イスラエルのクウォリティペーパー「ハーレツ」の記事(本年5月24日付)を読んでから決定的に変わった。
見出しとリードはこうである。「ボブ・ディランの忘れられたイスラエル支持ソングを掘り起こす。1982年レバノン戦争直後に書かれたディランの歌『近所のいじめっ子』はイスラエルを『権力から追放された者』として擬人化し『彼』は絶え間ない攻撃を上手くかわしているばかりに不当にも『いじめっ子』とのレッテルを貼られていると主張している」。
同記事は、1982年イスラエルによるレバノン侵略とベイルート包囲により惹き起こされたサブラ・シャティーラ難民キャンプでのパレスチナ人大虐殺の悲劇を記憶に留め、写真記録集を保管し、翌年にはヨルダン川西岸とガザ地区及び「イスラエル」国内を旅して如何にパレスチナ人が弾圧されているかを目の当たりにした人間として、またディラン氏の数多ある歌のうち一部を聴き込み、歌詞を翻訳してきた者として、更に本年4月の彼の東京公演を2度にわたり観て改めて氏の「偉大さ」を感じた者として、驚愕以上の何物でもない記事であった。
確かに氏は1982年にNeighborhood Bully という歌を書いてイスラエルを擬人化し、「彼は古代から虐げられてきたのにいま孤立させられ、果ては『いじめっ子』と呼ばれている」というシオニストの主張をし、翌年のInfidels (異教徒たち)というタイトルのアルバムにおいて、License to Killの直前の位置に収録し、更に最も重要な事にはその恥ずべき内容の歌詞を今も公式ウェブサイトに掲載しているのである。
惨劇を受け生命と人権の保護を求める国際社会の声が日増しに強まる中、更に「イスラエル」国内においてさえ反戦運動が巻き起こった時期に、氏はあろうことかそれに抗う形で歌を書き発表し、今もそれを回収することなく、明らかにその態度を変えていないのである。
アートは政治的文脈から離れて鑑賞すべきものであるが、最低限の条件はある。例えば、仮にもしもその作品が美しいものであったにせよ、虐殺を惹き起こした側に立つものであった場合はどうか。
私は日本時間11月5日の夜、賞選定に責任を持つThe Swedish Academy の終身秘書官Ms. Sara Danius に対し、本件につき知らせると共に「ディラン氏に対する授与はそれが文学賞であっても再考すべき」とのメッセージを、電子メールにより送付した。
2.投稿者・氏名 山本 剛 (やまもと つよし)
3.住所 茨城県 xyz (実際にはちゃんと書いたよ。)
4.電話番号 080- rock - soul (実際にはちゃんと書いたよ。)
5.職業 rock'n'rock (実際にはちゃんと書いたよ。)
6.年齢 56歳 (これはもちろん当時。8日前の本年 911 に 59歳になった。)
以上です。
(メールはこれで終わり。)
本件については明日以降、さらに投稿を続けます。
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