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Happy Xmas, ISRAEL's War CRIME Is Over IF We Speak Up For PALESTINIAN Human Rights ー John Lennon "Happy Xmas (War Is Over)" (拙訳)

今年のクリスマスは終わりました。私は神の存在を信じない無神論者ですが、クリスマスの季節の雰囲気自体は子どもの頃から好きです。上に掲げた写真については、後ほど説明を書きます。

War Crime といえば、日本語に訳すなら「戦争犯罪」ですが、しかしこれはある意味、テクニカル・ターム、ある種の「専門用語」です。アメリカ合州国からの巨大な軍事援助を受け、F-16, F-35 などの戦闘機、そしてもちろん戦車などを多数保有し、その核兵器保有まで国際社会における「公然の秘密」となっているイスラエル(1947年にまだ欧米諸国が圧倒的な勢力を持っていた国連総会で、同年までイギリス委任統治領となっていたパレスチナを当時の同地域内におけるパレスチナ人とユダヤ人の人口比ならびに土地所有率を全く無視した内容の不当な「パレスチナ分割決議」[なおエルサレムについてはこの分割案においてさえイスラエル領ではなく国連を施政権者とした信託統治下に置くことになっていました] が採択され、その翌年1948年に建国されて同時に起きた第一次中東戦争でさらに領土を拡大、1967年6月の奇襲による戦争ではさらに東エルサレム を含むヨルダン川西岸地区とガザ地区を獲得したものの、こちらについては同年11月に採択された国連安保理決議第242号を含む国連安保理決議や国連総会決議がイスラエルに撤退を要請している、にもかかわらず、2019年の今現在もイスラエルは東エルサレム・ヨルダン川西岸地区を軍事占領しガザ地区を完全封鎖、イスラエルの建国からの70年余を無謀にも一言で言おうとして長い長い括弧内になりました)と、一方で「軍隊」と呼べるようなものを持たず、強いて武器・兵器と言えばヨルダン川西岸地区の名ばかりの「自治」政府が持つ警察部隊が保有する武器・火薬類や、長年のイスラエルの違法占領とパレスチナ人への弾圧が生み出したものと言ってよい、ガザ地区を現在統治しているイスラム原理主義のハマスが持つ小さなロケット、あとはせいぜい、重装備したイスラエル軍に対して投石する時の石、それぐらいのものしか持たないパレスチナ側との間で、「戦争」などというものは存在し得ません。

著名なユダヤ系アメリカ人のひとりであるノーム・チョムスキー(Noam Chomsky, 哲学者・言語哲学者・言語学者・認知科学者・論理学者、現在マサチューセッツ工科大学において言語学ならびに言語哲学の研究所教授兼名誉教授)が言っているように、イスラエルとパレスチナの間にあるのは「戦争」と呼べるようなものではなく、一方的な「殺人」であり、虐殺です。

さて、言葉の問題はこのくらいにして、ようやくのこと、国際刑事裁判所(ICC, International Criminal Court: オランダ・ハーグ)の検察官が、イスラエル当局による「戦争犯罪」についての調査を行なうとの声明を発表しました。以下にリンクを貼るのは、Jewish Voice for Peace(パレスチナ人の人権を擁護し、アメリカ合州国によるイスラエルのパレスチナ軍事占領やアパルトヘイト政策への支援を批判するユダヤ人団体)のインスタグラム 投稿、及び、Amnesty International の記事です。

パレスチナ問題を知る者からすれば、これまでにイスラエルの違法占領軍(少なくともイスラエルによる東エルサレム、ヨルダン川西岸地区の占領とガザ地区の封鎖は、1967年11月に採択された国連安保理決議第242号を含む数々の国連安保理決議並びに国連総会決議に違反しています、その意味でも国連安保理のたった 5つの常任理事国のひとつであるアメリカ合州国がそのイスラエル大使館を昨年テルアビヴからエルサレムに移転したことは極めてばかばかしい愚行ですが)に既に殺されてしまっている数え切れないほどの数のパレスチナ人たち、そしてイスラエルの占領当局によって既に破壊されてしまっている非常に多くのパレスチナ人の家々のこと、等々を考えれば「遅きに失した」感もありますが、しかし一方で、「何事も遅すぎるということはない」「正しいことを行なうのに遅すぎることはない」、It’s never too late to do the right thing とも言えます。

早くも、このことに関して、イスラエルの現首相 Benjamin Netanyahu などが、ICC は Anti-Semitic だ、などという的外れな抗議をしていますが、世界の200以上の国々のうちの1カ国に過ぎないイスラエルをその政策や行為をもって批判したり、あるいは政治思想のひとつであるシオニズムに対して批判を行なうことなどを、彼らはこれまでも闇雲に Anti-Semitic「反ユダヤ主義」だと非難して、封じ込めようとしてきました。

そもそもイスラエルによって人権を弾圧されてきた、パレスチナの土地において長年月生きてきた、且つ Semitic languages のひとつであるアラビア語を母語とするパレスチナ人も、 Semitic peoples のなかに含まれると言えますが、彼らの「イスラエル批判」封じの手法のこうした愚かさについては、また機会があったら、この note の場で書きたいと思います。

ここでは、さらにひとつだけ加えておきます。例えば世界の何処に住む人であれ、日本の国内政策や外交政策を批判しても、あるいは中華人民共和国のそれを批判しても、あるいはアメリカ合州国のそれを批判しても、そのことだけでその批判者が「反日分子」、あるいは「反中分子」、あるいは「反米分子」だなどと、レッテルを貼られる謂れはありません。イスラエル批判を全て「反ユダヤ主義」として片付けようとする彼らの幼稚な発想は、その幼稚さにおいて、例えば日本社会における「ネトウヨ」が、日本人や外国人による日本批判(主として日本政府の政策あるいは一部の日本人の行為などへの批判)に対して、「反日だ」「反日だ」と言って騒ぎ立てるのにすら、似ているものだと言えるでしょう。

さて、本投稿のタイトルの上に掲げた写真は、Amnesty International のパレスチナ人スタッフ(The Israel and Palestine campaigner)である Laith Abu Zeyad さん(右)と、その母親の写真です。母親はがんを患い、イスラエルが違法占領を続ける東エルサレムの病院で抗がん剤治療を受けなければならないのですが、イスラエルの占領当局は、彼が、自宅から車でたった15分のところにある病院での母親の治療に付き添うことすら、認めていません。以下は、Amnesty International の記事です。

Amnesty International の上記の記事は、こちらの記事を使っています。("+972 Magazine is an independent, online, non-profit magazine owned and run by a group of Israeli and Palestinian journalists, providing fresh, in-depth reporting and analysis directly from the ground in Israel-Palestine.")

なお、イスラエルはほぼ同時期に、Human Rights Watch の the Israel and Palestine director を追放するという愚行をも犯しています。

もちろんクリスマスの時期だけのことではないのですが、このクリスマスの時期において、私自身は神なるものの存在を信じない無神論者ですが、世界の多くの国々で平和や自由、平等などを求める声が特に大きくなるこの時期において、例えば、昨日 note に投稿したガザ出身のパレスチナ人の10歳の少女 Miral Abu Amsha さんのことも、想わずにはいられません。

彼女は、血液のがんである白血病を患い、イスラエルの封鎖によって高度な医療が困難、というより不可能となってしまっているガザからの移動についてはようやく認められて、イスラエルがやはり違法占領を続けるヨルダン川西岸地区のナブルス(Nablus, West Bank)にある病院で上に掲げた Amnesty International のスタッフの母親と同じく化学療法による治療を受けていますが、しかし、ガザ封鎖政策を続けるイスラエル当局は、彼女の両親の同伴さえ認めません。

イスラエルがこのパレスチナ人少女のがん患者に強いている過酷な治療環境については、Gideon Levy というイスラエルのジャーナリスト兼作家がイスラエルの新聞 Haaretz の署名記事において書いている通り、"The look on Miral's face says it all", ミラルの表情が全てを物語っています。そして、彼がやはり記事で書いている通り("She’s not the only patient in that situation")、イスラエルによって、このような基本的人権を無視した状況に置かれているパレスチナ人の患者は、彼女ひとりではありません。 

ところで、ガザ地区には 1,000人以上(1,200~1,300人強)のパレスチナ人クリスチャンがいますが、彼らのうち、今年のクリスマスで、物理的な距離においてはガザから決して遠いところにあるのでもない、イスラエルが違法占領を続けるヨルダン川西岸地区にある「キリスト生誕の地」ベツレヘム(Bethlehem, West Bank)の聖誕教会(The Church of the Nativity)や、あるいは同じくイスラエルが違法占領を続ける東エルサレム(East Jerusalem)の聖墳墓教会(キリストが十字架にかけられたとされるゴルゴダの丘、そしてキリストの墓とされる場所に建つ教会, The Church of the Holy Sepulchre, The Church of the Resurrection)における礼拝に参加できた人たちは、極めて少数です。

イスラエルは当初、ガザに住むパレスチナ人クリスチャンたちが希望する、今年のクリスマスに際してのヨルダン川西岸地区内のキリスト教「聖地」への旅について、その要請を封じ込めていましたが、バチカン、カソリック教会を含む国際社会からの批判・非難を浴び、ようやくギリギリになって、限られた数のガザのパレスチナ人クリスチャンに対してその希望を受け入れました。12月22日時点では、たった 55人でしたが、昨夜、日本時間のクリスマス当日に観た NHK ニュースによれば、最終的に 300人ほどになったようです。それでもこれは実際の希望者の 1/3 程度です。

そもそも、ガザ地区、東エルサレム、ヨルダン川西岸地区という、1967年にイスラエルが奇襲して奪った全ての占領地からの撤退を、国連安保理決議は求めているのです。イスラエルの軍事占領は既に半世紀以上にわたっており、これこそ 、国連安保理の常任理事国のひとつであるアメリカ合州国の為政者が一時期、北朝鮮、リビア、イラク、イランなどを非難する時に常套句のように使っていた「ならずもの国家」(rogue state)の愚行であり、イスラエルがこの間にやってきた占領行為、違法占領地における違法入植地の建設、パレスチナ人の家屋の破壊、ガザの市街地への度重なる爆撃などが、もしも例えばイラン、あるいはアラブ諸国のうちのいずれかの国家による行為であったなら、アメリカ合州国は、おそらく、とうの昔に、その国を国連安保理決議を待たずして、重爆撃していたに違いありません。

なお、イスラエルによる、ガザに住むパレスチナ人クリスチャンの今年のクリスマスに際しての「聖地」巡礼の旅、その本来は彼らの土地(歴史的な背景により飛地になっています)間の移動の自由に対する弾圧についての推移は、以下のいくつかの記事でおおよそ、つかむことができます。

一昨日、クリスマス・イヴの夜に note に書いた、"PALESTINE News, SILENT NIGHT" と題する投稿も、合わせてご覧になっていただければ幸いです。

無神論者である私自身は、今日の投稿のなかで触れたユダヤ教・キリスト教・イスラム教といったアブラハムの宗教の聖地であるエルサレムにも、その他、キリスト教の聖地であるベツレヘムにも、そして今日の投稿では言及する箇所がありませんでしたが、ナザレ(Nazareth, 1948年のイスラエル建国以来、イスラエルという新興国の領土内にありますが、今でも住民の多数派はアラブ人すなわちパレスチナ人クリスチャンです)にも行ったことがあります。

昨日の投稿 "When 'God' Made Her ー Neil Young 'When God Made Me' (拙訳)" で紹介し、今日の投稿でもあらためて触れたガザ出身のパレスチナ人少女 Miral Abu Amsha さんが、現在白血病の治療を受けている病院があるヨルダン川西岸地区の街、ナブルスにも行ったことがあり、そして、ガザ地区にも行ったことがあります。

36年も前の 1983年秋のことで、その年から翌 1984年にかけてバックパックひとつ担いで海外貧乏旅行をしていた私は、当時 3週間ほど、イスラエル領内とイスラエルが違法占領するパレスチナの土地、東エルサレムやその他のヨルダン川西岸地区の街々、そしてガザ地区を旅しました。

その旅のなかでも、違法占領するイスラエル兵やイスラエル軍の軍事車輌に向かって石が投げられてきた方向にあるから、といった理不尽な理由で、占領当局から強制的に閉鎖されたパレスチナ人の商店など(商店の強制閉鎖といえばまさしく第二次世界大戦前のナチスがヨーロッパにおいてユダヤ人に対して行なった愚行を想起させますが)、イスラエルによる占領下で虐げられるパレスチナ人たちの生活について、自分自身の眼と耳で、見聞しました。

しかし、残念ながら、今世紀に入ってからのパレスチナの状況、イスラエルによるアパルトヘイト政策、パレスチナ人の人権弾圧(イスラエルの行為はゆっくりと時間をかけたパレスチナ人に対する民族浄化 Ethnic Cleansing とも言えるものです)は、私が彼の地を旅した36年前よりも、ずっと劣悪であり、過酷なものになっています。

さて、長くなりましたが、最後に昨日同様に歌を紹介し、その拙訳を合わせて掲載して、本日の投稿を終わりたいと思います。

1940年10月9日にイングランドのリヴァプールで生まれ、今から39年前の今月12月、1980年12月8日にアメリカ合州国のニューヨークで殺された、John Lennon が作詞作曲して歌った曲、1971年にシングル盤としてリリースされた "Happy Xmas (War Is Over)" です。

なお、以下にリンクを貼ったミュージック・ビデオは故人 John Lennon 名義の公式アカウントによってアップロードされているものですが、YouTube の極めてばかばかしい検閲による視聴制約を受けています。YouTube 上に行ってこれを観る場合は、直ぐには視聴できず、視聴者・リスナーは条件の確認を求められますが、「確認」を、また英語の場合は "I UNDERSTAND AND WISH TO PROCEED" をタップもしくはクリックすれば、問題なく視聴できます。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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ハッピー・クリスマス、 キョーコ
ハッピー・クリスマス、 ジュリアン

さぁ今日はクリスマス
今年はどんな年だった?
また1年が過ぎ去り
新しい年が訪れようとしている
今日はクリスマスなんだ
みんな楽しんでるといいな
身近な人 愛しい人
老いた人も 若い人も

ベリー・メリー・クリスマス
そして ハッピー・ニュー・イヤー
みんなで良い年になることを祈ろう
不安や恐れのない 良い年になることを

さぁクリスマスがやって来た
(戦争は終わる)
弱い人にも 強い人にも
(きみが望めば)
金持ちの人にも 貧しい人にも
(戦争は終わるんだ)
この世界には過ちがたくさんあるけど
今日はハッピー・クリスマス
(戦争は終わる)
肌の黒い人も 白い人も
(きみが望めば)
黄色い人も 赤い人も
(戦争は終わるんだ)
無意味な争いはもうやめにしないか

ベリー・メリー・クリスマス
そして ハッピー・ニュー・イヤー
みんなで良い年になることを祈ろう
不安や恐れのない 良い年になることを

さぁ今日はクリスマス
(戦争は終わる)
今年 ぼくらはどんなことをしただろう?
(きみが望めば)
こうして1年が過ぎ去り
(戦争は終わるんだ)
また新しい年が訪れようとしている
今日はハッピー・クリスマス
(戦争は終わる)
みんな楽しんでるといいな
(きみが望めば)
身近な人 愛しい人
(戦争は終わるんだ)
老いた人も 若い人も

ベリー・メリー・クリスマス
そして ハッピー・ニュー・イヤー
みんなで良い年になることを祈ろう
誰もが恐怖を感じることのない 良い年になることを

戦争は終わる
きみが望めば
戦争は終わるんだ ... ...
ハッピー・クリスマス!
ハッピー・クリスマス!
ハッピー・クリスマス!

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*1 2001年夏に本を一冊買って html を独学して立ち上げ、以後全く仕様を変えていない旧態依然とした私のホームページ上に、この歌の拙訳を載せています。

タイトルは「ハッピー・クリスマス(戦争は終わる)」と訳した方がよかったかもしれませんが、希望を込めて、和訳詞は「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」と題しました。

2001年12月8日、911 アメリカ同時多発テロがあった年のクリスマスの月、そして John Lennon の命日に訳したものです。

http://dailyrock.konjiki.jp/utaxmas.html

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