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ロッド・スチュワート "Every Picture Tells a Story" 歌詞和訳

今からちょうど41年前の今日, 1984年2月4日は, 前年1983年4月26日に日本を発った筆者(拙者)22-23歳の時の海外放浪もどき「ユーラシア大陸 "ほぼ" 一周の旅」から戻り, いったん我が故郷に帰った帰郷の日。

ロッド・スチュワート翁(若い頃「プレイボーイ」で鳴らしたロッド兄いも今や傘寿, 数えじゃなく満年齢ではあるものの現在 80歳!, でも兄いは今も尚そっち方面変わってないかも, 笑)の名曲 "Every Picture Tells a Story" は, 人呼んで, いや俺呼んで, 海外放浪系バックパッカーの応援歌。勿論それだけではないけれど。

というわけで, 以前も note にアップしたことはあるけれど(初出は今日の第1章にて), 今日はあらためて, まぁ中身は改める必要ないので改めないけど「あらためて」, "Every Picture Tells a Story" の歌詞の和訳を載せます。


"Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 〜 歌詞和訳

"Every Picture Tells a Story" とは

以下の初出 note の第2章 Every Picture Tells a Story 〜 海外「放浪」もどきの旅の写真集、特に厳選しないで(笑) 数十枚 から, その前口上部分を転載して, 今日の本項の趣旨に代えます。

"Every Picture Tells a Story" をオンライン辞書で引くと、中には堂々と「ロッド・スチュワートが1971年に発表したサード・アルバム」と書いてあるものもある。まぁ勿論それはその通りだけど、これを例えば dictionary.cambridge.org で引くと、"said when what has really happened in a situation is clear because of the way that someone or something looks" と出る。

要するに、人物や物がどう見えるかによって何が起きたのかが明白になる、といった意味、ということだろう。似たような意味の英語の言葉に "A picture is worth a thousand word" があり、日本語の「百聞は一見にしかず」に当たる "Seeing is believing" に通じるところがある、ということのようだ。

アメリカ合州国のソフトロックのバンド Bread の 1971年のヒット曲に "If" という美しい歌があるけれど、その出だしが "If a picture paints a thousand words, then why can't I paint you?", これはおそらく "A picture is worth a thousand word" から来ているんだろうな。

脱線した ♫

話を戻すと、"Every Picture Tells a Story" は直訳すれば「どの写真(絵)にも物語がある」ということになるわけだけれど、実際、この文字通りの意味で使うこともあるわけで、ここでは、1983年から1984年にかけての海外「放浪」もどきの旅の間に撮った写真の中から、あまり深く考えないで(深く考えて選んでたらおっそろしく時間がかかる、今日の本題はとりあえず次章の歌の方にしておきたい)、適当にピックアップすることにする。

厳選してられないのでざくっと選んだ写真は、国の名前だけ挙げると、訪問国全ては取り上げられなかったけれど、

まずは先に紹介したドイツ、そして以下では、上からイタリア、時間的に戻ってソ連(今のロシア!)、ノルウェー、デンマーク、フランス、イタリア、ギリシャ、トルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナ(とイスラエル)、エジプト、再びのトルコ、それからイラン、パキスタン、インド、タイ、韓国、そして帰国してからの日本での写真。

写真は上掲 note の中, 宣伝めいてしまった, 期せずして! 

"Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 〜 歌詞和訳

ではでは, 肝心の歌詞の和訳へ。

しかしまずは, 前項にリンクを載せた初出 note の第3章 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 〜 歌詞和訳 から, その前口上部分を転載(文中の「自分の親父」は今 96歳, 幸いにして尚「健在・元気」), その後, この歌の音源および歌詞の和訳を掲載します。

"Every Picture Tells a Story" は 1971年5月28日にリリースされた Rod Stewart 3枚目のアルバムのタイトル・トラックで、LP の A面 の 1曲目。このアルバムは当時イギリスでもアメリカでもチャート 1位を記録し、B面 2曲目の "Maggie May" も両国それぞれのシングル・チャートで 1位になったという大ヒット作だった。

この歌(Rod Stewart と Ronnie Wood の共作)、音、メロディだけじゃなくて、歌詞も素晴らしい。筆者が若いころ旅に出たかった気分の「おおよそ」のことなら、この歌の中に見事に描かれている。

筆者は特別劣等感に苛まれていたのではなかったし、親父に勧められたのでもなかったが、でも自分の親父もこの歌の歌詞の中の親父みたいな人で、ああいう類のことを言う人だった、「だった」と言っても 92歳の今現在も健在・元気!

そういう「訳」(ワケ)で、この歌の歌詞を今日、「訳」(ヤク, あの「ヤク」ではありません!)してみたいと思ったのだ。 

Every Picture Tells a Story 〜 written by Rod Stewart and Ronnie Wood, included as a title track on the third album by Rod Stewart, released on May 28, 1971 🎶

英語原詞 https://genius.com/Rod-stewart-every-picture-tells-a-story-lyrics

しばらくの間 おれってダメな奴かもって思ってた
鏡の前に立って
何百回と髪をとかしても(*1)
結局は代わり映えしない俺がそこにいるだけ

親父がおれに言ったのさ、「息子よ、世の中を見てくるがいい
家を出て行ったって咎めたりしない
だけど覚えておけ、現を抜かすんじゃないぞ
お前の金を掠め取るような女にはな」(*2)
で、おれは出かけたってわけさ

パリは身を隠せる場所だった
周りに馴染めないって思ったらね
だけどフランスの警察は平和をくれなかったのさ
連中はおれのことを汚らしい奴だって言うんだ
セーヌの左岸に降りて物思いに耽ってて(*3)
押し寄せてきた群衆にノックアウトされたら
平和的な暴動を扇動したって罪で逮捕されちまった
おれはその時ほんとはお茶一杯飲みたかっただけだぜ
なのに責任取らされたってわけさ、ったく
その後も旅を続けたよ

ローマに行ったけど何か物足りなかった
若い奴が生きてくための何かがね
おれの体は悪臭を放ってたけどそのまんま、憂鬱だった(*4)
まさに運も尽きて落ち目って時にね
ほんとに破れかぶれ、やけになって
観光客用の見せ物みたいになってた
それで思ったよ、ここから出なくちゃってね
バチカンに行ったって認められるわけないし
そんな気もなかったさ、あるわけない

東に向かって出かけたぜ、聞いてくれよ
北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ(*5)
こっちに戻る船の中のことさ
切れ長の目の女と恋に落ちたってわけ
東洋の月明かりに感謝しなくちゃね
上海のリルは決してピルを使わない
ピルなんて自然じゃないわよって言うんだ
で、おれを甲板に連れて行って首に歯を当ててきたよ(*6)
なんてこった、彼女と出会えたなんて上出来だよ
ほんとさ、最高の気分だったよ
ちょっと待ってくれ

おれはいま固く信じてるよ、結局大事なのは自分だってことさ
マジで思ったんだ、おれはほんとに完璧だってね
人間、どんだけおかしくなれるのかな
おれが今まで知った女たちには靴紐一つ結ばせなかったよ(*7)
ああいう女といると自由な気分でいられないんだ(*8)
だけどあの切れ長の目の女には心底やられたよ(*9)
彼女に出会ったことは神にでも感謝しなくちゃな
おれが伝えられる彼らの言葉の中に(*10)
旅してる最中のあんたに役立つものがあるとしても(*11)
彼ら、つまりディケンズやシェリーやキーツの言葉は使えないな(*12)
そんなの散々言われてきて手垢まみれだろうよ
どんな悪い状況でも最善を尽くす、でもって笑い飛ばすんだな
とにかくこんなとこまで来なくてもいいよ

覚えておくことさ、どう見えるかで何が起きたのか分かるんだ、だろ?
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
百聞は一見にしかずって言うよな
百聞は一見にしかずってね
百聞は一見にしかずって ...

.............................................

注釈(上掲の初出 note のものを「ほぼ」原文ママ転載)

*1 "Combed my hair in a thousand ways" と歌っているが、日本語ではこういう数が多いことを強調したい時、「千回」というよりも「何百回」と言うだろうと思うので、和訳では「何百回と髪をとかしても」にした。

*2 "to a woman that'll spend your bread" の "bread", 俗語で「金、銭」といった意味があるので、若干の意訳込みで「お前の金を掠め取るような女にはな」。

*3 "the Left Bank" はここではセーヌ川の「左岸」のこと。フランスの小説家、つまり、あの人のことではありません(笑)。

Françoise Sagan

日本のバンド、デイト・オブ・バース Date of Birth の 1997年のアルバム "FOLK SONGS" の収録曲に「退屈なフランス旅行」という歌があって、「横になって氷で頭を冷やし あなたがこれは力作だと言った サガンの小説をもう一度読んでたら 意地の悪い睡魔が襲った, hey, da,da,da...... 」というくだりがある。あの歌も、あのアルバムも、最高にいい。

脱線した(笑)。

*4 "My body stunk but I kept my funk", これはちょっと訳し方が難しい。とりあえず最初に書いておくと、"stunk", "funk" の韻はクール。

"stunk" は stink の過去分詞形で、stink は自動詞も他動詞もあるけれど、受け身ととればここは「〜を悪臭で満たす」という他動詞の受動態。"funk" にはかなり色んな意味があるけれども、ここでの "my funk" から名詞ととれば、「おじけ、尻込み、臆病」とか「気分の落ち込み、憂鬱」、名詞の意味にはもちろん他にあの音楽のジャンルあるいは用語としての「ファンク」、その他にも俗語で「田舎臭さ」、そして「臆病者、役立たず」、さらにやはり俗語で「体臭」「悪臭」といった意味があるようで、ただし「体臭」を意味する名詞としては一般に他人の強烈な体臭を指して言うらしい。ここでは、"funk" を単に「悪臭」ととったり、あるいはダブル・ミーニング的に「憂鬱」の意味にもとって、「おれの体は悪臭を放ってたけどそのまんま、憂鬱だった」と訳すことにした。

*5 "On the Peking ferry I was feeling merry", ここは逐語訳すれば「北京フェリーの上で楽しい気分になっていた」ということなんだろうけど、最初に投稿アップした時は、まぁこういうこと言いたいんだろうな程度に「北京でフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」と訳していた。しかし、その後、いや待てよ、北京って海に面してないよなと気づき(筆者は中国には大連しか行ったことがない、笑)、"the Peking ferry" って何のことだと気になった。ググると日本からフェリーで行くには港がある天津までフェリーで行ってそこから列車みたいに書いてあるし、じゃぁ川、大河とかは?と思うと、どうもそれも怪しい。北京は海河という大きな河川の流域に属するらしいが、北京の域内では水不足が深刻とか書いてあって、大河を航行するフェリーってことでもなさそうなのだ。ますます気になって更にググると、筆者が本 note 投稿で取り上げている自身の海外「放浪」もどき旅をした時代に既に日本人バックパッカーの間でもわりと知られていた、世界的に著名な旅行ガイドブック Lonely Planet のウェブサイトにまで、Rod Stewart's "Peking Ferry". Does it exist? Are there any in Beijing? というトピックが上げられたフォーラムのページがあることを発見。いやはや。

北京の英語表記は Beijing の方が多いと思うが、Peking もないことはない。料理名の北京ダックは Peking duck だよね(笑)。一方で Beijing ってのは地名としての北京だけでなく、「中国政府」を指す言葉として使われることもあるということで、さて、この歌の歌詞の中の "Peking", 要するに、形容詞的に「中国の」というニュアンスを表現したかったということなのかな。"On the Peking ferry" で「中国のフェリーに乗ったら」あるいは「中国でフェリーに乗ったら」程度の意味で、だとするとこれを日本語にしたら、やはり「北京のフェリー」ぐらいにするしかない。

この程度のことで思い切り長い注釈になってしまったが(笑)、結局、まぁ上記の意味合いを込めた感じでこれでいいだろうとすることにして、"On the Peking ferry I was feeling merry" は、「北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」で一件落着 .. ということにした。

しかし、そもそも、この曲は 1971年5月のリリース。大陸中国とアメリカ合州国の間に国交が樹立することになるのは 1972年2月の当時のニクソン大統領の中国訪問がきっかけだから、この曲が作られた頃は大陸中国はまだまだ「西側世界」に対して閉ざされていた時代のはず。この歌は確か Rod Stewart が更に若い頃に世界を「放浪」した経験を「膨らませた」ような歌だったと思うが、とりわけ大陸中国関連の辺りは相当に想像を「膨らませた」歌詞なのかもしれない。そう思うと、「切れ長の目の女」「上海(の)リル」, つまり "slit-eyed lady" の "Shangai Lil" ってのも、いかにも Rod が「ああ、こういう女と付き合いたい」って想って歌詞を考えたのかなという気がしてくる。この注釈、ますます長くなった(笑)。

(「北京でフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」を「北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」に変えただけの編集アップは投稿日のうちに済ませたけれど、この注釈に関しては今日 2021年2月5日午前9時過ぎ加筆アップ。)

*6 "bit my neck", この "bit" は他動詞でも自動詞でもある "bite", 「噛む」「噛みつく」の過去形なわけだけど、首に噛みつくのはどうにもこうにも痛そう。まぁそういうハードコアも時にはいいかもしれないけれど(笑)、ここはまぁ「首に歯を当ててきた」ぐらいでいいのでは。因みにここ、"She took me up on deck and bit my neck" の "deck", "neck" の韻もキマッてる。

*7 "The women I've known I wouldn't let tie my shoe" は、おそらく "The women I've known" が次に続く "I wouldn't let" の目的格になっている。だから、ほぼ直訳のかたちで訳すと「おれが今まで知った女たちには靴紐一つ結ばせなかったよ」という感じ。因みに tie one's shoes で「靴の紐を結ぶ」だけでなく「しっかりやる」「きちんとする」といった意味があるようだけど、ここはあえて前者のような直訳的な言い方を使った方が、それを比喩として受け取ってもらえばよいのでベターだと思う。

*8 "They wouldn't give you the time of day" の "They" は *6, つまり前のセンテンスの "The women I've known" のことで、ここは意訳すれば「ああいう女といると自由な気分でいられないんだ」。

*9 "But the slit-eyed lady knocked me off my feet" は、be knocked off one's feet で「驚かされる」「驚く」「びっくりする」という意味があるので、この歌詞の中の文脈では「だけどあの切れ長の目の女には心底やられたよ」。

*10, 11, 12 "And if they had the words I could tell to you, to help you on the way down the road, I couldn't quote you no Dickens, Shelley or Keats", ここでは、文脈上、最初の "they" は後から出てくる "Dickens, Shelley or Keats" などを指しているのではないかと解釈した。"way down the road" は安直にオンライン辞書など引くと「この道をずっと行った所に」と出たりするし、half-way down the road だと「道の途中で」「道半ばで」といった感じ。ここではこの歌の歌詞全体を考えて、"you on the way down the road" を「旅してる最中のあんた」と訳した。ただし、この「旅」とは文字通りの「旅」ともとれるし、「人生」を「旅」として捉えた上での「旅」ともとれる。

"Dickens, Shelley or Keats", この 3人は全て、イギリス(全員イングランド, 19世紀)の、順に小説家、詩人、詩人。

というわけで、「おれが伝えられる彼らの言葉の中に 旅してる最中のあんたに役立つものがあるとしても 彼ら、つまりディケンズやシェリーやキーツの言葉は使えないな」と訳した。"quote" はもちろん「引用する」という意味だけど、ここでは「使えない」でいいだろう。

ってなわけで、Every picture tells a story, don’t it!?

ってなわけで、Every picture tells a story, don’t it!?

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

世界にごまんといる(漢字を無理矢理?当てて書くと 「五万といる」だけど, 世界の人口を考えれば もっといるね)バックパッカー経験者の海外放浪としては さして長い旅でもないけれど, 1983年4月から翌84年2月にかけ, 

都市名ほかはほぼ省略, 国・地域名だけ書くと, 横浜から船で ソヴィエト社会主義共和国連邦(今はもちろん無し, その後, ロシアやウクライナ他けっこう沢山の国に分かれたもんだ)に渡り, その後, シベリア鉄道でヨーロッパへ, 以降は フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ(ドイツ連邦共和国, 東西統一後の現在も国名は同じ), そして当時アメリカ合州国・イギリス・フランスの占領下だった西ベルリン, そして東ドイツ(ドイツ民主共和国, ただし東ベルリンのみ, 西ベルリンから歩いて越境), さらに フランス, スイス, 西ドイツ再訪, オーストリア, ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国(ああ, その後, 分裂), オーストリア再訪, イタリア(ローマ市内にあるヴァチカン市国にも訪問したが法王には会えなかった, 笑), おっとヴァチカン市国は13番目の訪問「国」, Oh My God, 拙者 アブラハムの宗教の信者ではありません, 法王殿, 気にしませんよう, で, イタリアのブリンディジから ギリシャのパトラに フェリーで渡り, ギリシャには アテネとエーゲ海の島サントリーニを合わせ 1か月, その後, トルコ, シリア, ヨルダン, パレスチナ/イスラエル, そして パレスチナのガザ地区から陸路, エジプトの首都カイロに行き, その後はこの旅で初めて飛行機を使って再び トルコのイスタンブール(には2回合わせ 5週間滞在), 以降は東へ西へ, いやそれは井上陽水, だから, 東へ東へと陸路の旅, イラン・イラク戦争の時代, イラン・イスラム「革命」から 4年後の イラン, さらに パキスタン, そして インド(は 1か月半ほどかけて主に北インドを 西から東への陸路の旅), で, 2回目の飛行機使用, コルカタ(当時の呼び名は カルカッタ)から タイのバンコクへ, 最後の訪問国は 3回目の飛行機搭乗で バンコクから首都ソウルに向かった軍事政権時代の韓国, で, 釜山から フェリーで「我が祖国」日本の下関に渡り, 陸路 東へ, 途中, 広島に寄り, そして, 帰郷。

以下は, 出発と帰郷(その間の各国各地域の旅 note へのリンクは, 上掲のリンク集の中に)。

「出発」の時も "Every Picture Tells a Story" してた(笑)。

旅ゆけば, 駿河の道に茶の香り … 流れも清き太田川 ♫

ではでは。

"You're in My Heart (The Final Acclaim)", 「胸につのる想い」 〜 歌詞和訳

ロッド・スチュワート と言えば, やっぱこれ。というわけで, 今日のボーナス・トラック,

いや, 今日のボーナス・トラックのようなもの。上のリンクは「のようなもの」とタイプする時の癖です。意味は「ほぼ」ない。いや, 今日の此処では, 多少はあるかも(笑)。

歌詞の和訳は, 以下の note の中。

You're in My Heart (The Final Acclaim) 〜 from "Foot Loose & Fancy Free", the eighth album by Rod Stewart, released on November 4, 1977 🎶

I didn't know what day it was
When you walked into the room ..

https://genius.com/Rod-stewart-youre-in-my-heart-the-final-acclaim-lyrics

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