39年前の今日 コペンハーゲン に着いた記念 〜 柳ジョージ&レイニーウッド の 横浜 の 「コペンハーゲン・パーク」 ♫
1983年4月26日に 横浜港 から 当時の ソ連・ナホトカ 行き 2泊3日のフェリーの旅で 日本 を発ち, ソ連 を鉄道で横断しながら旅し(ナホトカ から ハバロフスク までも鉄道, そして当時の ウラジオストク は軍事的理由で外国人は自由に出入りできなかったので ハバロフスク から モスクワ までが シベリア鉄道), その後, フィンランド・ヘルシンキ に 1泊2日, スウェーデン・ストックホルム に 2泊3日, ノルウェー・オスロ にも 2泊3日 滞在。オスロを 5月18日 の夜行列車で発ち, 翌 5月19日 朝に, デンマーク の首都 コペンハーゲン に着いた。
赤いワインをぶちまいた, 遠い夕映え背に受ける ♫ 〜 コペンハーゲン, デンマーク: 1983年5月20日
今日の note のタイトル写真も, 以下の note に使ったものと同じ。撮影は, コペンハーゲン に着いた日の翌日, 1983年5月20日。
赤いワインを ぶちまいた, 遠い夕映え 背に受ける, 湿ったアメリカ煙草が 心に沁みる ♫
柳ジョージ&レイニーウッド の 3枚目のアルバム Y.O.K.O.H.A.M.A. は, 1979年3月1日 にリリースされている。
1960年911 生まれの筆者は 1979年3月末, 同年4月の大学入学のために, 静岡県にある故郷の田舎町(清水市ではない, 笑) ♫
秋葉路や、花橘も茶の香り。
流れも清き太田川、若鮎躍(おど)る頃となる。
松も緑の色も冴え、遠州森町良い茶の出どこ、
娘やりたやお茶積みに、ここは名代の火伏(しぶせ)の神。
秋葉神社の参道に、産声あげし快男児。
昭和の御代(みよ)まで名を遺(のこ)す、遠州森の石松を
不便ながら、務(つと)めます。
(この note のタイトル写真が「流れも清き太田川」)
話が脱線した, まぁしかし, 兎追いし かの山, 小鮒釣りし かの川, 夢は今も めぐりて, 忘れがたき 故郷 ♫ ... って, 先日の GW 中も帰省したけど, 兎にも角にもウサギにツノ兎に角, つまり「とにかく」,
1979年3月末に 大学入学のために静岡県にある生まれ故郷の町から, 北海道の「大都会」(少なくとも筆者の故郷から見たら「大都会」)札幌市 に旅立ち,
(この note は大学3-4年時, 1981-82年の話)
しばらく札幌で生活していたわけだけど ... 前振りが長かったなぁ(笑)。本章はこの後, 二文書いて終わり(爆)。
1979年3月 まで住んでいた故郷の家にはレコード・プレイヤーがあって, しかし自分は 1979年3月1日 にリリースされた 柳ジョージ&レイニーウッド 3枚目のアルバム Y.O.K.O.H.A.M.A. をカセットテープ版で買っている(今も持ってる)。リリース間もなく買ったのは確かなので, これはラジカセしか持たなかった 1979年3月末からの筆者の「札幌」時代初期に買ったんじゃないかと思う。
セーラー気取りの少年は 遠いあの国へ 帰ったろうか 〜 それとも今でも 一人でいるのか ♫
さっそく此処 note 上で, 柳ジョージ&レイニーウッド の 3枚目のアルバム Y.O.K.O.H.A.M.A. に収録された「コペンハーゲン・パーク」を聴いてみよう ♫
なんつって, YouTube からリンク貼ろうかと思ったら, そうだ, この歌のスタジオ・ヴァージョン 1曲のみのクリップは YouTube 上に無いんだよね。
というわけで, プリズナー ~ コペンハーゲン・パーク ~ フェンスの向こうのアメリカ ~ レッド・ホット・ママ, 以上 4曲が聴けるライヴから,
上の YouTube クリップ 5分50秒過ぎから聴けます。
因みに, この歌の「コペンハーゲン」とは, 確か 横浜 にあった バーの名前だったはず。
コペンハーゲン・パーク ♫
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*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。
柳ジョージ&レイニーウッド, Y.O.K.O.H.A.M.A., そして コペンハーゲン・パーク の思い出 ♫
前々章に書いた通り, 1979年3月1日 にリリースされた 柳ジョージ&レイニーウッド 3枚目のアルバム Y.O.K.O.H.A.M.A. は, 札幌での学生生活を始めた 1979年4月か 5月頃に買った。
えーい, 以下, 突如として本章標題「思い出」を 箇条書きにて。
1) Y.O.K.O.H.A.M.A. のオープニングを飾る曲「プリズナー」を, 筆者は空手の極真会の札幌道場でよく歌っていた(半年間通っていた時期があった)。思い出すとなんとなく笑えるよなぁ。
どんなシチュエーションで歌っていたかというと, 道場で毎回, 他の道場生を肩車しながらスクワットの姿勢を保ち, 横並びになって, 一人ずつ歌を歌っていくというのがあって(想像すると笑えるかもしれないけれど, やってる側はもちろん笑えない, あれはかなりきついトレーニングですぞ), その時に筆者が歌っていたのはほとんどいつも, Y.O.K.O.H.A.M.A. 収録曲「プリズナー」だった ♫
毀れ落ちた夜を 拾い集めて
明けゆく空に放り投げ
昨夜の酒に泳ぐ酔漢れは
潦りの対岸も見えない
人はみんな PRISONER
広い都会の
見えない鎖に 繋がれても
踊り続けるよ 踊り続けるよ
(以下の歌詞は 割愛。歌は次々章で聴けます。)
2) 当時の札幌にあった(今もあるかもしれない)いわゆるタウン誌「札幌タウン情報」(だったと思う)の巻末にはいつも, 読者が応募して抽選で当たるとプレゼントをもらえるというコーナーがあった。何月号だったか忘れたが, 大学1年の時だったのは間違いないから, 1979年だったはず。まぁ細かいこと言うなら, 1980年1-3月の可能性もあるけれど, しかし 柳ジョージ&レイニーウッド のコンサートを観聴きしに行ったのが大学1年の時だったのは確かなので, まぁ 1979年中に発行された「札幌タウン情報」だったんだろうと思う。
要するに, 上記のコーナーに, 札幌での 柳ジョージ&レイニーウッド のコンサートのチケットが当たるという読者応募コーナーがあったので応募したら, これが見事に当選して, しかもペアのチケットだったので, 行きつけのサテン(喫茶店ですね, 笑)でアルバイトしていた札幌市内の某女子大の学生を誘って二人で観に行った。その娘(コ!)がどんな容姿だったかといえば,
水着でコンサートに行ったわけではない(笑)。しかし顔立ちや雰囲気はかなり似ていた。
あのコマーシャルって, 1980年に入ってからのものですけどね(笑)。ウィキペディアによれば「宮崎の出現は、それまでの グラビアモデルはスリムでなければならないという概念 を崩すものであり」。それは確かにそうだなぁ。
3) アルバム Y.O.K.O.H.A.M.A. の 3曲目「コペンハーゲン・パーク」の歌詞は前章に掲載したけれど, 最後のヴァースで,
苦味の ツボルグ 一口 飲んでは
と, デンマーク の ビールの銘柄が登場する。
前章でも触れた通りで, 柳ジョージ&レイニーウッド の歌「コペンハーゲン・パーク」の「コペンハーゲン」は 北欧の国 デンマーク の首都 コペンハーゲン の街を指しているのではなく, あれは 横浜 にあったバーの名前(だったはず)。
自分は 1985年春から 10年間, 横浜 に住んでいて, 横浜 で知り合った妻(出身は筆者同様に横浜ではない)と 1988年3月13日 に結婚した。
この際だから(笑)。新婚旅行で パリ と オンフルール に行ったけれど, パリ には 1983年6月3日から 12日まで 10日間滞在したことがあって(バックパッカーだから超のつく安宿!), それから約5年後に 新婚旅行で行った パリ は 自分にとって 2回目だった。
この際だから(笑)。タイトル写真は我々の結婚式(無宗教/人前)・披露宴の「披露宴御席表」の表紙。
結婚した最初の年は同市の磯子区にあった社宅みたいなところで生活していて, 翌1989年春, 同じく市内の港南区にあるアパートに引っ越した。JR(国鉄が JR になってまだ 2年程度の時期だなぁ)の港南台駅からそう遠くないところにあるアパートだった。近くには, さすが(?)横浜 で, 世界各国の酒類が手に入るような店があった。そこで当時, デンマーク のビール, ツボルグ をよく買って飲んでいた時期がある。で,
「苦味のツボルグ」は 実は苦くない, ということを知った。ただ, あの歌の歌詞をあらためて読んで, あるいは聴き返して, あの歌の主人公は もともとは苦くない「ツボルグ」を「苦味」に感じる心境にあったのかな, と。そんなふうには感じる。
筆者は デンマーク の コペンハーゲン には スウェーデン の ストックホルム からの前日の夜行列車で 1983年5月19日 の朝に着いて, 3泊4日滞在した後, 同 5月22日 の夜行列車で 西ドイツ(まだ「ベルリンの壁」崩壊前の時代!)の ハンブルク に向かった。
コペンハーゲン は カーニヴァル の日など賑やかだったし, ビールも飲んだはず。ってことは既にそこで, つまり コペンハーゲン 現地で, ツボルグ を飲んでいたんじゃないかと思う。だけどきっと, その時はあの歌「コペンハーゲン・パーク」の歌詞に出てくる「ツボルグ」は思い出していなかったんだろうな。もともとは苦くない ツボルグ を「苦味」に感じる心境, ではなかったからかな, コペンハーゲン にいて。そんな当時の, コペンハーゲン。
横浜 から船で ソ連, 今の ロシア の ナホトカ へ 〜 1983年4月26日
1983年4月26日 ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行への出発(横浜 から船で ソ連, 今の ロシア の ナホトカ へ) 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart): 歌詞和訳
1983年4月26日, 39年後の同日2022年4月26日と同じ火曜 〜 ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ出発, 横浜港からの船で向かった先は当時の ソ連, 今の ロシア!
Y.O.K.O.H.A.M.A. 〜 柳ジョージ&レイニーウッド(1979年3月1日リリース)
学生時代, よく聴いたなぁ ♫
歌とギターはもちろん, 柳 ジョージ。横浜市南区出身。1948年1月30日生まれ, 2011年10月10日他界。合掌。
プリズナー
What do you want 5:02
コペンハーゲン・パーク 8:20
嘆きのピエロ 12:55
パブ 16:34
雨に泣いてる 21:14
港亭 25:28
グルービー・ガール 30:07
ヘイ・ダーリン 33:13
チャイニーズ・クイーン 36:44
本牧綺談 40:51
FENCEの向こうのアメリカ 46:10
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