ポール・サイモン "Leaves That Are Green" 〜 歌詞和訳
邦題は「木の葉は緑」だった。でもあれは(遥か昔の小学生時代を振り返りつつだから「これは」じゃなく「あれは」)あんまりいい邦題じゃなかったのではと思う。「木の葉は緑」では何か時間が止まっている「静」のイメージが沸くが, 原題は "And the leaves that are green turn to brown" と歌われる歌詞の一節からとったもの。「緑の木の葉(木の葉の緑)は茶色に変わる」んだから, あくまで時の流れの中にあるのであって, 「木の葉の緑は」とか, 助詞でも添えた方が 歌の主題に即した感じになる。まぁそれはそれで, 今の時代ならありでも 当時としては歌のタイトルとして 座りがわるい語感になるんだろうけれど。
ポール・サイモンが 22, 3歳の頃に書いた曲。一見(一聴?)その若さで こういう歌を書くのか.. と感じたりもするのだが, しかしよく考えると, 逆に若かったからこそ, こういう歌を書けた(書いた)んだろうな, とも思う。おそらく 後者の方が正しい見方なのではないかと。
"Leaves That Are Green" from Paul Simon's 1965 debut solo studio album The Paul Simon Songbook 〜 歌詞和訳
最初にこの曲が収録されたのは Simon & Garfunkel のアルバムではなく, Paul Simon が 1965年8月にリリースしたソロ・アーティストとしてのデビュー・アルバム 〜 The Paul Simon Songbook
この歌の最初のリリースは, 1965年8月。Simon & Garfunkel のアルバムではなく, 時期としては彼らの 1枚目のアルバム "Wednesday Morning, 3 A.M." と 2枚目のアルバム "Sounds of Silence" の間に発表された, Paul Simon の事実上の 1枚目のソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" の当時の LPレコード A面 2曲目に収録されていたのが, この曲 "Leaves That Are Green",
その収録アルバム "The Paul Simon Songbook" については 以下の過去の note で触れたことがあるので, この際, 下掲 note リンクの後に, その部分を転載しておきます。
*因みに以下の 2つの note タイトル, (拙訳) と添えているのは, note をやり始めて間もないその頃はそんなふうによくある表記をしていたもので, 実際上の意味はなく, 中身は「拙訳」ではなく「良薬 口に苦し」ならぬ「良訳 口に甘し」, まぁ言葉遊びは兎も角も, 「拙訳」というのは「拙者の訳」程度の意味です(訳の中身は 拙いと思ってないけれど, まぁ拙者は「拙者」なので, 「拙者」が訳したから「拙訳」, まだるっこしいことわり書きだな(笑)。
*1 note のタイトル画像に使ったのが, アルバム "The Paul Simon Songbook" のカヴァー。歌詞を和訳した "America" は 1968年4月リリースの Simon & Garfunkel 4枚目のアルバム "Bookends" に収録されたもので, 勿論このアルバムには収録されていない。ただ, "America" の歌詞の中に登場する Kathy が この写真で Paul の右側に映っている女性, そういう理由で この写真を使うことにしたもの。
*2 Simon & Garfunkel が 1966年1月にリリースした彼らの 2枚目のアルバム "Sounds of Silence" に収録されている "Kathy's Song" も, それ以前, 1965年8月リリースの Paul Simon のソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" に収められている。以下の note のタイトル画像の女性は Kathy ではなく拙者のカミさん!
以下, 「この曲は」とあるのは "Kathy's Song" のこと。
さてさて, 今日は "Kathy's Song" ではなくて, "Leaves That Are Green" の歌詞の和訳を。
"Leaves That Are Green" from Paul Simon's 1965 debut solo studio album The Paul Simon Songbook 〜 歌詞和訳
時の流れの儚さ, 人生における出会いと別れを 緑の木の葉が茶色に変わる様に喩えて詠う歌。「この歌を書いた時, 私は 21歳だった。今は 22歳, だけどそれも長く続かないだろう。時は足速に過ぎていく」って, それをその若さで言うか, と一瞬 思ったりもするけれど, ところがどっこい, こういうことはかえって若い時の方が言うものだ, 還暦を過ぎて早4年の拙者はそう思うのだった。俺なんか小学4年の時の学級日誌に「昨日, アルバムにある小さい頃の写真を眺めていたら 涙が出てきた。時間が経つのはなんて早いんだろう」なんて書いてた。で, 小学6年の頃だったか中学に入ってからだったか, それを思い出して, そんなことを 10歳ぐらいで書いた自分が 恥ずかしくなったりしてた。ませガキはそんなもの, 往々にして, そんなことを 口に出すのだ(笑)。
"Leaves That Are Green" from Paul Simon's 1965 debut solo studio album The Paul Simon Songbook ♫
英語原詞 https://genius.com/Paul-simon-leaves-that-are-green-lyrics
[ 和訳 ]
この歌を書いた時, 私は 21歳だった
今は 22歳, だけどそれも長く続かないだろう
時は足速に過ぎていく
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ (*1)
手の中に砕け 散る (*2)
かつて私の心は少女の愛で満たされていた
強く抱きしめたのに 彼女は夜の闇に消えてしまった
私が書こうとした詩のように
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る
小川に小石を投げ
波紋が広がり さざ波が走り去るのを見た
さざ波は決して音を立てなかった (*3)
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る
ハロー, ハロー, ハロー, ハロー
グッバイ, グッバイ, グッバイ, グッバイ
あるのはそれだけだ
緑の木の葉は茶色に変わる
…………………………………
訳注:
*1 wither with the wind, 「揺られて」は原詞にはないけれど, ここは意訳的な "加筆"。
*2 crumble は「粉々に砕ける」だけど, 「砕け 散る」という表現にしてみた。このライン全体は And they crumble in your hand, しかしこの your の you は特定の「あなた」「きみ」「おまえ」ではなく, 一般的・抽象的なレベルでの誰か(誰でも)という解釈でよいのではないか。
*3 And they never made a sound の they は 明らかに ripples で, ripple(s) は「波紋」もしくは「さざ波」のこと。
"Leaves That Are Green" from Simon & Garfunkel's 1966 album Sounds of Silence 〜 歌詞和訳
Leaves That Are Green 〜 歌詞和訳
歌詞は前章に取り上げたヴァージョンと全く同じ。サウンドはこちらの方が 軽快で "Time hurries on", 「時は足速に過ぎていく」感は出ている。しかし, 歌詞が醸し出すムードには Paul Simon のソロ・ヴァージョンの方が相応しいように思う。
拙者の歌詞和訳, 略して「拙訳」をあらためて掲載する前に, 前章に書いたことを再掲。
"Leaves That Are Green" from Simon & Garfunkel's 1966 album Sounds of Silence 🎶
英語原詞 https://genius.com/Simon-and-garfunkel-leaves-that-are-green-lyrics
[ 和訳 ]
この歌を書いた時, 私は 21歳だった
今は 22歳, だけどそれも長く続かないだろう
時は足速に過ぎていく
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ (*1)
手の中に砕け 散る (*2)
かつて私の心は少女の愛で満たされていた
強く抱きしめたのに 彼女は夜の闇に消えてしまった
私が書こうとした詩のように
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る
小川に小石を投げ
波紋が広がり さざ波が走り去るのを見た
さざ波は決して音を立てなかった (*3)
緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る
ハロー, ハロー, ハロー, ハロー
グッバイ, グッバイ, グッバイ, グッバイ
あるのはそれだけだ
緑の木の葉は茶色に変わる
…………………………………
訳注:
*1 wither with the wind, 「揺られて」は原詞にはないけれど, ここは意訳的な "加筆"。
*2 crumble は「粉々に砕ける」だけど, 「砕け 散る」という表現にしてみた。このライン全体は And they crumble in your hand, しかしこの your の you は特定の「あなた」「きみ」「おまえ」ではなく, 一般的・抽象的なレベルでの誰か(誰でも)という解釈でよいのではないか。
*3 And they never made a sound の they は 明らかに ripples で, ripple(s) は「波紋」もしくは「さざ波」のこと。
英語原詞について
外国語の歌の歌詞の和訳を試みてそれを掲載するのだったら(note にしろその他のサイトにしろ), できることなら 原詞を併載した方がよい。明らかにその方が分かりやすい。しかし, それは(歌詞原詞の全編掲載は)残念ながら不可能。
英語歌詞, つまりここでは, 英語で歌われる曲の原詞。その(全編)掲載に関するその辺りの事情については, 以下の note の「前説」の次の次の章「英語原詞 について」にて。
さて さて 🎶
ポール・サイモンの歌, 歌詞和訳とアルバム・レヴュー 〜 23曲 歌詞和訳 note リンク集
3年余り前, 2021年10月13日付 note(本日 2024年11月5日 分を含む その後の追加を入れて, 計 23曲 歌詞和訳) ポール・サイモン 80歳の誕生日に 〜 ポール・サイモンの歌, 歌詞和訳とアルバム・レヴュー
ポール・サイモン は, 緑から成熟の茶になっただろうか, それとも..
なんてね。そんな大袈裟な大見出しをつけながら, 実は大して深みのあることを書こうとしているわけじゃない。ちょっと気になってる程度のことをメモ書きしておこうと。
「音楽脳」の半分くらいは Eric Clapton と Paul Simon の音楽で作られたんじゃないかと思うくらい, ガキの頃から両者の曲を聴いてきた自分は, Simon & Garfunkel のオリジナル・アルバムは全て持ってるし, Paul Simon のソロ・アルバムも 1980年リリースの One-Trick Pony と 1997年リリースの Songs from The Capeman 以外は全て持ってる(上記2つを買ってないのは文字通り偶然のことで, 要するにこれまで音楽聴いて生きてきたなかで「買う」に至る縁が , たまたまなかった, それだけに過ぎない, だからそのうち縁が生まれれば 買う・持つに至るんだろう)。
ソロ・アルバムの中では There Goes Rhymin' Simon (1973年) と Still Crazy After All These Years (1975年) が 最も好きなアルバムだが, 近年のものでも, 例えば Stranger to Stranger (2016年) などもかなり良かった。齢 70代半ば にして 依然としてこれほどに創作意欲を持ち続け, 結果 これほどのハイクオリティの作品をリリースできるのかと, ファンとして感激したものだった。
その後, 2018年9月, Paul Simon が 77歳(日本的に言えば「喜寿」, 数えじゃなくて満だけど, 笑)になる直前にリリースした In the Blue Light, あれは言わば, アレンジはオリジナルからかなり距離を置きつつも「セルフ・カヴァー」のアルバムで, 面白いと言えば 面白いんだけど, しかし一例を挙げるならまず オープニング・トラックの One Man's Ceiling Is Another Man's Floor (元は There Goes Rhymin' Simon に収録)など, どう聴いても オリジナルの方が良かったし, そのうち In the Blue Light というアルバム自体 あまり聴かなくなってしまった。
その In the Blue Light の次のアルバムが 直近・最新作 Seven Psalms で(2023年5月リリース), これもリリース後 直ぐに手に入れた。
収録曲が アルバム全編通しで聴くことをリスナーに要請するような作りになっていて, かつ 完全なアコースティック(バラカン流で表記するなら「アクースティック」)のパフォーマンスで創作されているというもので, 80歳を優に越えてなお, こんな新たな試みをするのかと感心, 他の人に薦めたりもしたし, 実際しばらくの間, 聴き込んだのは確か。
だが, ごく当初の自分の予感に反し, 続かなかった。つまり, ほとんど聴かなくなってしまった。
Paul Simon は一般にその腕前が過小評価されているのではと思うほどに アコギが上手いし, アルバムの 演奏そのもののパフォーマンスは 流石に素晴らしい。しかし, なんだろう, 要するに, アルバム全編から醸し出される「世界観」みたいなものに, ガキの頃から既に半世紀を軽く超える長年のファンであるリスナーとしての自分でも, ついていけない感が強くなった, それが結局 早いうちに「聴かなくなってしまった」ことの 原因なのだろうと思う。
アルバム・タイトル Seven Psalms の Psalms が ユダヤ教の旧約聖書の「詩篇」(the Book of Psalms)から インスパイアされているだろうことは容易に想像できたし, psalm は一般的な単語として使っても「賛美歌」や「聖歌」を意味するようだから, アルバムのコンセプトの大半を ユダヤ教と特定せずともユダヤ教やキリスト教に根ざした宗教や信仰に関するものが占めていることは 最初から分かっていた。
それでもやはり, ここまで「神がかる」(Paul Simon 自身が このアルバムのアイディアを「夢の中で思いついた」「週に2, 3日, 午前3時半から5時の間に起き, このアルバムに収める [宗教や信仰に関わる] 作品の歌詞を書いていた」と語っている, 「神がかってる」よね, これは)と, やはり俺は無理だな, 単純に。とまぁ, そんな気分が増していったように思う。
若い時から, あれほど多くの, 宗教や国籍や民族の垣根を越えた, 要するに文字通りの「普遍的な」作品を創り, 発表してきた Paul Simon が, どうして 80歳を過ぎてから ここまで「神がかった」作品を創るようになった(なってしまった)のか, これは聴く人それぞれ, リスナーそれぞれ, ファンそれぞれが異なる感じ方をするんだろうけれど(それはもうこういうことに限らず 当たり前のことなんだが), 自分自身の受け取り方を言えば, 要するに, 些かそこは「失望」した。
そして, これはこのアルバム Seven Psalms を聴かなくなって以来かなり時を経て, あらためて思うようになったことなんだけど, つまり,
ユダヤ人である Paul Simon は, イスラエル/パレスチナ の問題をどう考えているのか, あるいはほとんど正面から向き合っていないのか, いや考えることがないわけではないのか ..
同世代の ユダヤ系アメリカ人ミュージシャンである Bob Dylan,
あの Bob Dyaln のように, くだらない, 恥ずべき イスラエル支持ソングなど, Paul Simon が 書いたことがないのは はっきりしているのだが,
しかし Simon も, 過去に 例えば Hearts and Bones (1983年) のように "One and one-half wandering Jews, free to wander wherever they choose" で始まる歌を創ったりもしてるし, Still Crazy After All These Years (1975年) のエンディング曲として収められた Silent Eyes のように "Silent eyes, watching Jerusalem" と歌う曲もある。彼が自身の「ユダヤ人性」 Jewishness を意識してきたことは明らかだろう(念のため書いておくと「イスラエル支持」を暗示するラインやフレーズなどは何処にもない, それは皆無)。
さて, こんな話は この辺にしておくけれど, Jerusalem とか, ユダヤ教とか, 「旧約聖書」とか言い出す輩「一般」には, ということで,
この章の最後, 唐突ながら,
第二次世界大戦前に親族の多くをナチス・ドイツによるホロコーストで殺され, かつ ワルシャワ・ゲットー蜂起, そしてアウシュビッツ強制収容所・マイダネク強制収容所の生存者である両親のもとに生まれた, ユダヤ系アメリカ人政治学者 ノーマン・フィンケルスタイン(Norman Finkelstein, 1953年12月8日生まれ)の言葉をここに(以下の画像の下にヴィデオも)。
*ノーマン・フィンケルスタインが, (反)ナチス, (反)ホロコースト等に言及して イスラエルをひたすら「擁護」する人たち, そんな特にイスラエル人もしくはユダヤ人に向けて, 同じユダヤ人(ユダヤ系アメリカ人)として 語った言葉。
最後の章は 本日の「蛇の足」, 歌の世界から離れて 政治の中の「緑」, 「緑が茶色に変わり」 ではなく 「緑が 腐色, 要するに 腐敗の色に変わり, 腐食する」 という, 莫迦莫迦しく, 愚かな, おまけに 笑えない話 〜 〜 〜 救い難いほどに 醜悪な ドイツの「緑」, ヨーロッパの「緑」
緑 が その後, 成熟の茶色でなく, 腐蝕・腐敗の色に変わる例。おっそろしく下劣な, 愚かな, 愚鈍な, 醜悪な, ドイツの「緑の党」, ヨーロッパの「緑の党」。どうやら アメリカ合州国の「緑の党」の方がよほどマシなようだ。
因みに アメリカ合州国 の 緑の党 は,
莫迦にも程がある, ヨーロッパ の 緑の党。
アメリカ合州国「緑の党」代表 Jill Stein, ドイツ「緑の党」, ヨーロッパ「緑の党」の連中とは大違いのようで,
なんか, 今日のこの note, 話が 歌詞和訳 note からだいぶ離れたようで,
やっぱ 醜悪な ドイツ「緑の党」, ヨーロッパ「緑の党」の話題から離れて 本 note を終えようと 〜 ドイツ「緑」, ヨーロッパ「緑」以外なら
Any Colour You Like 〜 from Pink Floyd's 1973 album The Dark Side of the Moon 🎶