空腹とか満腹とか
食事の記事が連続している。2ヶ月半ご飯がほぼ食べられなかったので、私の頭は食欲についての整理で大忙しらしい。しばしのお付き合いをお願い申しあげます(•'-'•)アリガトウ!
明確に「おなかが減ったぜ!」という感覚がわかったらいいのになと思う。確実に胃袋がすっからかんで、体中の細胞が水分やら食物繊維やら、栄養を欲しているというような純な食欲を求めている......が、最近とんと体感できていない。
でもこんな風に明確じゃない食欲を感じている人は、割に多いのではないかと思う。だって肝臓がもうええっていってても、口が水分を欲したりするのだし、他にも胃腸が満たされていたとしても、脳が必要な食物を想像させたりするのはよくある話。もはや、「あちらがたてばこちらがたたぬ」のだ。成長期を過ぎた人間はバランスをとることのほうが求められる。「身体のすべてで!!食事を求めている!!!」なんてパワフルなエネルギーは、趣味で断食でもしない限りファンタジーなのかもしれない。
「曖昧でゆるい食欲」
これとどう付き合っていくのかが問題だ。
コンビニのホットスナックコーナーへ、部活帰りに駆けた日々はもう記憶の彼方だ。振り返らず、私は27歳なりの新しい食事スタイルを自分の生活に組み込もう。
今現在は「これは食べていいのだろうか?」「今の食事は食べ過ぎではなかっただろうか?」と食事のたびに気にしてしまっている。考えながら食べるせいか、せっかくのお菓子も純度100%で楽しめない。
食欲が10年前より曖昧になったのを、食事することへの罪悪感にすり替えるのは良い案ではない。
これからは超HAPPYに食事するための工夫を考えるほうが楽しいかもしれない。ということで先程いくらか書き出してみたが、(①人と食べる
②公園で食べる③美味しくつくる④食事を美しくする。)、ルールをつくったらつくったで、飽きてしまうし、それを達成できなかったことについて考えたくもない、ということに気づく。
免罪符として毎日体重計にのって体重を管理するという案もあるが、やはり数字で管理するのは気分的にのらない。というか誤差2kgくらいは時期にもよるだろうから気にしたくない。だから却下。
「曖昧でゆるい食欲」は、食欲に振り回されない大人の特権ともえいる。ルールはもういいし、目標もいらない。
必要なのは楽しく暮らすことなのだ。自分と一緒になっても(食べても)、悪いようにはならないだろうと思えるような食べ物をそばにおくというのはどうだろう。
食べすぎたかなと思っても、「これならまぁ大丈夫だろう。」と考えを切り替える。
もはや私の中に食べ過ぎ、という概念はなくなる。
満腹も恐れない。満腹になったら自然と次の食事までは間隔が空くから。
何より自分の周りにある食べものを信じる。
ただ環境は良くも悪くも少しずつ変化することには気をつけたほうがいいかもしれない。一昨日ドーナツを買ったら、3日連続で甘いおやつを食べるようになった。少しずつ、習慣化するのだ。でも目くじらは立てない。食べたら食べたで構わない。
後に大きな変化にならないように、小さな変化をコツコツと家の中に生んでいくことを習慣にする。家の中に自分に必要な食べものを置くことから食は始まるから。大人の自由は鍛錬と共にあるということを思い知らされる。
そこには空腹も満腹もない。あるのは自然の営みだけ。そんな暮らしにする。