【独占取材】ローバー・美々さんに学ぶ現代社会を生き抜くメンタリティと対応力~時折あふれる韓国愛~【セクシーキャスター】
はしがき
現代社会でSNSに触れていない人はもはや少ないのではないのだろうか。多様な意見を見ることができるし、学校や会社員生活では出会えない様々な人と意見を交換できる魅力を持つのだが、一方でSNSを起因として精神的に落ち込む人も少なくない。
もちろん、SNSだけが社会で生きていく上で精神的な落ち込みの原因を作っているというわけではない。だが、「顔の見えない相手から悪口を言われる」という可能性を一般人が持つ時代に、どのように対処すべきなのだろうか。
ところで、デイリーチャンネルのnoteの読者は「時代の変化に明るい聡明な方々が多い(?)」と考えているが、「セクシーキャスター」という言葉をご存じだろうか。
今回取材を受けてくださったローバー・美々(みみ)さんという女性は、テレビ全盛期の時代に「セクシーキャスター」として一世風靡した一人である。
必ずしも賞賛のみをされない様々な声を受けてきた芸能人生だったようだ。現在は東京都新宿区の有限会社C.S.E.で役員を務めている。
酸いも甘いも知るローバーさん。この社会を生きていくためのメンタリティと対応力について聞いた。時折、韓国。
ローバー・美々さんインタビュー
――現在、ご自身が役員を務める会社においては河野恵理子さんとして、経営面でご活躍されています。芸能活動とは全く違う路線のように見えますが、最初のうちは苦労もあったのではないですか?
ローバー・美々さん(以下:美):「毒物、劇物販売申請登録など芸能には全く必要無い申請登録も大変でした(笑)」
「 最初だけじゃなく今も苦労だらけです。営業や接待しようにもコロナ禍で対面が難しいので…。PAC(ポリ塩化アルミニウム)、アッシュナイト、硫安水、尿素水など、最初は薬品の名前が全くわからない状況でした。理解出来たのはエタノールとアルコールぐらい。
ただ、私が会社を手伝い始めて一年が過ぎたころにコロナが蔓延しました。アルコール不足だった時期に、全国の児童館へ寄付できたのは薬品問屋会社で良かったと思いました。
また、父を手伝うので、父がお世話になって来たお取引先の皆様へご挨拶に伺う事が少し怖かったです」
――「怖い」というのはなぜですか?
美:「「父の娘が芸能関係」「ローバー・美々」など、ご存知の方はいましたから…。「「いきなり、何なんだよ!派手な世界から入り込んで」等と思われたら嫌だなあ」とも思ったり…。でも、皆様、すごく良い方々だったから拍子抜けしましたけど(笑)」
「慣れるまではしょっちゅう父とも仕事のやり方が違い過ぎて、ぶつかっていました。
喧嘩ばかりで…。心に余裕が無くなりました」
――仕事においてうまくいかないことがあったとして、その苦労を乗り越える時に必要な考え方を教えて頂けませんか。
美:「上手くいかない事ばかりです。仕事だけじゃなくて人生は。そんなに思い通りに行かないのです」
「私は「上手くいかないな。これ」と早い段階で精査して、『引く』『抜ける』。「この状況は今後も大丈夫だ」と判断できたら続ける。「上手くいくか?いかないか?」の判断を早く見極める。 上手くいく可能性があれば苦労するべきだし、ダメな事をズルズルやっていたら時間の無駄だから、苦労が勿体ないです」
――異業種への対応力はどのように身についていったと思いますか?
美:「他にやってくれる方がいらしたなら良かったけど。私は、長女で。父の長年やって来た仕事を手伝えるのは私しかいなかった。『異業種への対応力』というより『やらざるを得なかった』。 また、芸能活動中もアルバイトはずっと続けていたから所謂ダブル、トリプルワークに慣れていたので異業種に違和感はなかったです」
「 それに、私の性格が新しい事にチャレンジするのを面白がっちゃう性格なので「異業種の違和感を楽しむ」「自分の知らない世界はまだまだある」と俯瞰で見る。 『対応力』じゃなくて『どんな事も面白がれる心』でいたら、受け入れられますよ。」
――世代は違うものの、ローバーさんのことを調べていくうちに、失礼かもしれませんが当時のテレビを盛り上げた一人であると感じました。
美:「私は10代で芸能界に入り、23歳でやっとローバー・美々になりました。子供というか青春時代に8年売れない経験をしたら周りの大人は認めてくれないし。あの頃はハッキリ『芸能界は売れなきゃゴミ!』と事務所に言われていました。
背水の陣で望んだオーディションを勝ち取ったら、あんな不思議なキャラクターで…。
デビューがNHK教育TVのお姉さんだった事もあって…。ギャップが話題になりました。ただ、8年売れないと自分を客観視しちゃうので「まぁ、一発花火上げるだけでも凄いよね。次を考えなきゃ…」と冷静でした」
「『8年間の私』と『ローバー・美々』は同じ人間」なのに周りの態度が、180度変わりましたから…(笑)。天狗にならずにすみました。
また当時、ご一緒していた方々が今は大御所で残って仕事されている方々ばかりだから。何人もの「STAR」になっていく段階を目の当たりにしてきたので、人間の運命の不思議さを何度も見ています」
――少し上の世代には言うまでもないかもしれませんが「開脚」で有名だったらしいですね。印象に残っている仕事や現在まで活きた能力があれば聞かせてください。
美:「1996年の大晦日に新宿東口ステーションスクエアにて1996回開脚する。それをお客様が参拝するという『開脚神社』を設置され…。 年始の夜中から皆様、初詣を私の開脚ですまされていました」
「長蛇の列で「あぁ。私、今売れてるんだなぁ」と冷静でした。 「『売れる』『有名になる』ってこういう事なんだ」と実感していました。普通に道を歩いていて知らない方に声をかけられるのは、その度に初めての方とコミュニケーション取るので、コミュ力は異常に鍛えられたし、今でもコミュ力は自信があります。
名前が売れたから歌のデビューもしました。ダンス、歌のレッスンはありがたかったです。
歌は全く売れませんでしたが、おかげで少し音楽が理解できるからK-POPをいち早く「イケる」と見抜く事が出来たと思います。K-POPは、何故か売れる曲や売れる人がわかります!
当時の仕事は全て、印象に残っています。今でも、皆様がこうして私に興味を持ってくださるのは、特別な仕事だったからですよね。『何が』では無く『全て』が特別でした」
――ローバーさんを検索していくうちに「セクシーキャスター」という画像が印象に残りました。寛容な時代だったかもしれませんが、周囲から厳しい声はありませんでしたか?
美:「私の親族1人だけ抜かして、全員反対でした。妹みたいな大切な従姉妹だけは応援してくれていました。その従姉妹だけは私を周りに自慢してくれてだから、頑張れた部分はあります」
――応援してくれていた方達とは今でも交流はあるのですか?
美:「その従姉妹は事故で、半身不随の障害を持ってしまい、今でも必死に生きています。私を応援してくれていた彼女だから、「私が彼女を支える番」と長く交流しています。また、大切な友人達は私を応援してくれたり、守ってくれたりだったので…。大切じゃない方々が何を私に言ってきても正直、響かなかったです。何度も「ローバー・美々は、すぐ終わる」と言われたのですが、『人生』として捉えたら『死ぬまで終わりようが無い』し。今でもファンの方々がいらっしゃるというのはあの時期があったからだし」
「一番は嫌な事は、すぐ忘れる。3秒前は過去。酷い事を言った奴には3倍返しで、酷い事を言ってやりました…(笑)。売られた喧嘩は買って、勝つ」
――ローバーさん流の気持ちの切り替え方やメンタルの保ち方はありますか?
美:「自分で切り替えていました。お酒もよく飲みました。お酒は、やっぱり心を明るくしてくれます。あと、嫌な奴は「全員、ブス」って思ってやりました。私の『ブス』は、『心が顔に出ているよ』の意味です。造作じゃないんです。「くぅ〜、こいつブスだなぁ」と思うとスッキリします(笑)やっぱり、強メンタルなんですね(笑)」
「他人って、無責任に言葉を投げてくるから受け止めなくて良いですよ。本当に」
――先ほど、ダブルワーク、トリプルワークという言葉が出ました。働いていた六本木のショーパブではヤジも飛ばされたとか。素敵な経験をされている反面、知らない人に嫌なことを言われるというのは、当時は「芸能人だから」というのもありそうです。でも、現代を生きる人たちは一般人で顔も見えない人からSNSでいきなり悪口を言われたりして、気を病む人もいると思います。
美:「(ショーパブでは)みんなお酒入っているから私みたいなローバー・美々という名前が出ちゃってる人にはぶつけ易かったんでしょうね。「お前程度が何言ってんだ」「お前なんか、終わってる」「美々ちゃんはもう人気無いし」とか。忘れちゃったけどしょっちゅう言われていましたね。 でも、「その人達がお金払ってくれるから」「お金貰う為だもん」「言っとけば〜」程度でした」
「とにかく他人が何を言っても、大切じゃない人からの言葉は心に入れない。一歩も入れない。自分の人生は、自分のモノ。無責任な他人の言動で自分を失ったら勿体ない。あと、あまりに酷いなら法的に訴える。内容証明を送る。闘う事で勉強になるし、強くなる。相手は、あなたを舐めているから嫌な事を言ってくるの。舐められない為にも法の力を借りるのも手です。弁護士さんの仲間や友人を作ってくださいね。自分を守る為に」
「いざと言う時戦闘力高いほうが、人生、生きやすいですよ。 弱い方々も守れるし…」
「SNSで酷い事言われたらスクショして、弁護士さんに渡して内容証明を作ってください。
相手がわからなかったら、自分のSNSに内容証明をUPして「いつでも、闘う準備は出来ています」と。法的に動くと相手はビビって、あなただけじゃなく他の人にもやらなくなります。
是非やってみてくださいね!」
(盟友X-GUN西尾さんとの2ショット※YouTubeの撮影)
――ところで、K-POP関連のお仕事をはじめ、韓国の文化がお好きなようですね。きっかけは何なのでしょうか?
美:「K-POPはK-POPという言葉が無い時代から聴いていましたし、95年くらいには韓国の歌手が来日してライブをやっていたので、観に行っていました。言葉がわからなくても「ノれた」から、好みの音楽だった。 また、90年代には韓国の俳優さんとかと友人になったりして…。私がローバー美々で売れなくなり、日本の知人が離れて行っても韓国の友人達は「美々は、美々じゃん!日本、嫌になったなら韓国に留学すれば?」と言ってくれて、心救われたので」
「彼等の文化や誤解されやすい性格など、私が日本でまた広める事が出来たら恩返しになるし」という思いから始まった話です。留学して、大学終わったら、韓国の芸能プロダクション回って、コツコツ人脈作って…。数年後には韓国の偉い方々と繋がっていました(笑)」
――留学までされていたんですね。
美:「人間、幾つになってもチャレンジしたり勉強したりすると運命的な出来事が起きますよ。私は、とにかく海外の友人が多かった。韓国の友人が多かった。だから言葉や文化やエンタメを勉強した。大好きですよ。韓国の人達、裏表無いから。好き、嫌い。ハッキリしていて気持ちが良いから」
――今後、ビジネスを韓国に展開していく等の展望はありますか?
美:「『今後』じゃなくて、『今』もコツコツやっていますよ。コロナ禍でも今はネットでデータのやり取りできるし…。「ウチの事務所に入れたいな」と思っているアーティストがいるし…。知人の韓国のモバイル会社が芸能プロダクションやKPOPレッスン学校を持っていて、そこに日本人のタレントも紹介したいし…。
弊社薬品会社のお取引先が扱うエプソムソルト(ベッカムやマドンナなど海外セレブが使うバスソルト)を韓国で広めたいし…」
「色々、アイデアはあります。情報収集の為にコリアンタウン新大久保に日参して、韓国の友人と話したりしています」
――現在はYouTubeでも活動されていますよね。これからチャンネルを活用してどのようなことを伝えていきたいですか?
美:「『KPOP三昧』というYouTube配信を昨年末から始めました。
理由は、単純に韓国の方々も私の考えを見て頂けるから…。ファンの方々が、私のことを「元気なんだな」と思って頂けるのもアリですが、一番はYouTubeは、世界相手だから韓国側へこちらの考えを伝える為にやっています。Twitterもそうです。日本では「今後、こんなK-POPがウケるのでは」とか。日韓エンタメで問題が起きた時に簡単に多人数に伝えられる便利なツールだからやっています」
「今後は…。韓国に行ってYouTubeを撮りたいです。今は、新大久保で韓国の友人交えながら情報交換してる雰囲気を見てもらってます。
もっと韓国の友人や知人に出て貰って日韓エンタメの率直な意見交換をしたいのです。その為には、視聴数あげないと…。試行錯誤中です。逆に韓国系エンタメや文化などで見たい内容があればリクエストして欲しいです!宜しくお願い申し上げます」
(取材協力:ローバー・美々さん、文責:デイリーチャンネル編集部)
おかげさまでデイリーチャンネル編集部も一周年を迎えました。
これからも宜しくお願い申し上げます。
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