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Ciel, mon Marais !


Ciel, mon Marais ! Une histoire illustrée du quartier
Librairie Sur le fil de Paris, 2024

パリから古書目録がいろいろ届いた。なかでも古書店「Librairie Sur le fil de Paris」のクリステル・ゴンザロ(Christelle Gonzalo)による『Ciel, mon Marais ! Une histoire illustrée du quartier』が素晴らしい。過去300年にわたる300点の資料類(書籍、地図、版画、写真など)をもってパリのマレー地区の歴史を再現。開店10年をこの展示・売り立てによって祝い、写真入りカタログを刊行した。

マレーというのはパリのほぼ中心にあり、ユダヤ人街を含む、パリのなかでも歴史の古さを誇る地域である。小生も、1979年の冬に二度目のパリへ到着したとき、その頃、先にパリに住んでいた美術大学の同級生に案内されてマレーにあるシシリー王街の安ホテルにしばらく滞在したことがある。

当時は、不況を引きずって、パリの街路も今のように磨き上げられておらず、マレーの細く暗い街路は荒廃していたと言ってもいいくらいで、壁は落ち崩れ、窓ガラスの割れたままという建物がいくつもあった。それこそ300年来そのままかと思われる灰色の壁が佐伯祐三の(あるいは荻須高徳の)絵をそのまま思い出させてくれて、寒風をものともせず、街頭のスケッチに歩き回ったものだ。

暗いパリの最後の時期だったのかもしれない。その後、パリは徹底的にクリーニングされることになる。しかし小生にとっては当時のマレーがパリのイメージそのものとして心の奥底に焼き付いている。


本書を眺めていると、マレーがさまざまな歴史の舞台となってきたことがよく分かる。なかでも驚かされたのは、第一次大戦中の1918年、ドイツによる爆撃にさらされた事実である。その写真がこちら。

左写真:1918年3月29日聖金曜日の砲撃を受けた直後のサン・ジェルヴェ寺院の身廊
右下写真:パリ爆撃、長距離砲ベルタ(BERTHAS)の被害、シャルル五世通り
爆撃されたパリ、リヴォリ通りの先端、1918年4月12日の夕刻、ドイツ軍の砲撃がこの地域のいくつかの建物に命中した。ある映画会から人が出てくるときに警報が発令され、メトロの地下道へ避難するようにうながしたが、人々がその避難所から出てきたときに砲弾が襲った。死亡者27名、負傷者72名。

パリは幾度かの一斉砲撃を受けた。ツェッペリン飛行船により、また「Gothas puis Pariser Kanonen」(パリジャンは間違って《ふとっちょベルタ》と渾名をつけたが、それは120kmの射程距離があった)によって。

p49

1918年、ドイツ軍はパリから70kmのところまで迫った。砂袋で主要なモニュメントは保護された。その年の春、砲撃は激しさを増し、マレー地区でもいくつかの建物が損害を受けた。1918年3月29日金曜日、一発の爆弾がサン・ジェルヴェ教会を直撃した。復活祭の祈りの最中で百人近くの人々が死亡した。これは第一次対戦中に最も死者を多く出したパリ爆撃であった。

p49

これらの惨状から106年経った現在もなお、世界のあちらこちらで同じような、いや、さらに激しい爆撃が行われている。あまりにも愚かではないか。

LYLE ET PALETTE ALBUM
Le Tout-Paris des Arts à Montparnasse 1916-1919
https://sumus2018.exblog.jp/32520251/

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