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私は自分の本を人から請はれるとき、今までに喜びを感じたことが一度もなかつたが、このときに殊に気がすすまず、元気なく署名をした。


横光利一『覚書』(金星堂、昭和18年6月20日4版)

横光利一の『覚書』の装幀は佐野繁次郎である。初版は昭和10年に沙羅書店から刊行された。本書と全く同じ文字だけのデザインだった(50部の特装本もある)。内容は、「純粋小説論」を含む、身辺随筆と文学についての随想を集めたアンソロジー。

「純粋小説論」は本人もよく分かってないような書きぶりなので略するとして、読んでいてピカイチだなと思った「嘉村礒多氏のこと」を引用しておこう。以下全文。旧漢字は改めた。一行開きは原文では改行である。

 一昨年の夏、中村武羅夫といふ名刺を持つた人が私の家へ来た。徳田秋声氏後援の色紙を受けとりに来たのである。上へあがってもらふことにしてテーブルに向ひ合ふと、まだ私の知らない人だつたが、これは写真で見覚えのある嘉村礒多氏であるとすぐ分つた。私は向ふが自分の名前を用ひずに来たのであるから、こちらから訊き出すのも本人が困ることもあらうと思はれたので、私は黙つて色紙の集りの状況などを訊いてゐた。すると、氏の話は色紙から文学のこととなり、いろいろと私の方が質問を受ける立場廻されてしまつた。そのうち氏は、まことに申遅れてすまないが自分は嘉村と申すものでと、私に今まで黙つてゐたことを詫びて、「機械」といふ私の本を一冊欲しいと云つた。私は自分の本を人から請はれるとき、今までに喜びを感じたことが一度もなかつたが、このときに殊に気がすすまず、元気なく署名をした。嘉村礒多氏は私のものなどを好んでゐてくれる筈がないからである。しかし、私は氏の作品の愛読者で、氏の作や随筆が雑誌に出るとすぐ買ひ求めて読んでゐた。聞けば私より一つ上とのことである。

 私は嘉村氏とあつたことは、その後もう一度あつた。それは氏の「途上」といふ限定版が出たときで、そのときは夜遅く私の家へ来られた。氏は前のときのやうに、来ると板の間へぺたりと坐り、三度ほどお辞儀をつづけさまにするので、これに優る礼儀の仕方など出来得られるとも思へず、私も仕方なく却つて突き立つてゐなければならぬ羽目になつた。(昭和九年一月) 

p93-94

なんとも嘉村礒多の一筋縄でいかない様子が手に取るように分かる描写ではないか。

嘉村礒多

嘉村礒多文庫
https://www.yamaguchi-pu.ac.jp/li/hm/siryo/

もう一篇、本書タイトルになっている「覚書」から、その四「(現実界隈)」の書き出しを引いてみる。

 先日街頭の夜店でグローブといふアメリカの投手が、モーションを起して球を投げ終へるまでの運動を、連続的に写真にとつて一冊の小さな絵本のやうにして売つてゐた。その本の頁の端に爪をあて、速に頁をはぢいていくと、写真はフイルムのやうにグローブの動作を浮き上らせるのである。私は玩具も面白いものが出来たものだと思ひ、一冊買つて爪をあててはぢいてみると、裏側にも同一の写真がある。どうして同じ写真を使つたのだらうと思つてゐると、裏のは同一は同一でも、爪をあててはぢくとき否が応でも表の写真とは反対の方から頁をくらねばならぬのであつた。そのため、グローブの運動は現れはするが、それは表に現れた運動とは違つて、グローブが球を投げ終へてしまつた瞬間から始り、球を今まさに投げようとする瞬間へ向つて逆に展開するのだ。 

p203-204

いわゆるパラパラ漫画(flip book)だ。写真を使ったものは、1894年にドイツ映画の先駆者であるマックス・スクラダノフスキーが初めて公開したとのこと(ウィキペディア「パラパラマンガ」)。横光は、このときまで知らなかったようだから、日本に入って来たのは昭和になってからだろうか。横光はここから「可逆性」ということについて考えを進めていく。なおグローブは伝説的な名投手である。

ロバート・モーゼス・グローブ(Robert Moses "Lefty" Grove, 1900年3月6日 - 1975年5月22日[1])は、アメリカ合衆国メリーランド州出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。

速球のあまりの速さから、煙のように見えない「スモークボール」と呼ばれた。史上最多となる最優秀防御率9回を獲得し、25歳でメジャーデビューしてから実働17年で300勝を挙げ、しばしば「史上最高の左投手」として名前が挙げられる。

ウィキペディア「レフティ・グローブ」より
Robert Moses "Lefty" Grove

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