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Kitasono Katué 1902-1978


Jacques Donguy, Jean-François Bory『Kitasono Katué 1902-1978』Les press du réel, 2023

『Kitasono Katué 1902-1978』がパリから届きました。二人の詩人が執筆したフランス語で刊行される初めての北園克衛のモノグラフィーです。

ジャン=フランソワ・ボリー(Jean-François Bory, 1938- )氏はエッセイスト、美術評論家で詩人。パリに生まれて十八歳までヴェトナムで育ったそうです(Wikipedia)。AFPや政府機関で働いた後、1972年以降はフリーで活動しておられるとのこと。

ジャック・ドンギー(Jacques Donguy,1943- )氏はやはりパリ生まれ。詩人、翻訳家、美術評論家で、パリでギャラリーを経営していたこともあるそうで、作品はディジタルとサウンドを使ったアニメーションのようなヴィジュアル・ポエトリーです。ブラジルのコンクリート・ポエトリーの詩人アウグスト・デ・カンポス(Augusto de Campos)のアンソロジー作品集も手がけたということで、カンポスは北園とも交流のあった詩人ですから、ドンギー氏が北園に興味を持つのもある意味必然のように思われます。(略歴は Les press du réel サイトより)。

ボリー氏は北園と文通していたそうで、その手紙を1960年代に自分の雑誌で発表しました。また北園のただ一度だけのインタヴュー(『遊』8、工作舎、1975年4月1日、この松岡正剛、杉浦康平との鼎談の仏訳が貴重です。日本語でも読みたくなりました)に二度言及されているただ一人のヨーロッパの詩人です。

本書の第一部はボリー氏による北園らとの交流が描かれ、第二部ではドンギー氏による北園の評伝と作品、とくに「ポエム・プラスティック」についての紹介が行われています。図版も多数収められており(非常に珍しい山本桿右の雑誌『UBU』なども掲げられています)、フランス語圏における北園克衛入門としては申し分のない内容ではないかと思われます。ただ、人名表記の不統一(姓名/名姓が混在)が日本人としてはやや目障りですが、そう大きなキズでもありません。さらなる研究への踏み台として、目下、これ以上のものは望めないでしょう。

ボリー氏が北園克衛の雑誌『VOU』の同人でもあった詩人の高橋昭八郎氏との交友を回想しているくだりは、北園克衛とは直接関係はないのですが、詩人らしい感性を楽しませてもらいました。拙いながら、おおよそのところを訳してみます。

高橋昭八郎と最初に出会ったのは、1969年、ホテル・コンコルドのロビーだった。互いを認めて挨拶を交わした後、高橋はフロント係に写真を頼んだが、私は「写真とりましょう」といわれて中断した、ばか丁寧な挨拶をもっと続けたかった。

高橋を乗せてパリを案内するつもりでパナール・ルヴァッソール(Panhard-Levassor)という旧式な車で来ていた。高橋はその古い車、1959年モデル、を面白がってくれた。買った当時はそう古臭い車だというわけではなかったのだが、3年後に例のおぞましいババクール(babacool,ヒッピー)が流行ることになった。ああ、わたしのボロ車は満身創痍であったのだ。警官がシャンゼリゼの端で停車しろと命じて方向指示器を調べたり、うるさく質問をしたときにも、うれしそうな高橋昭八郎は、その警官がノアの洪水以前のこのヴィンテージカーを誉めそやすために停車させたと思ったようだった。

そして高橋は夜のパリなどは見たくないと言った。夜のパリは改めてでいいと。僕らがコンコルド広場を通り過ぎているとき、彼は「次の機会に……」と目をつぶった。どうしてもエスカルゴが食べたいという高橋を、好きにすればいいさと、ポルト・ドルレアン(パリ市街の南端)の近くへ案内した。

1994年の12月末、24年ぶりに高橋に日本で再会した。僕たちは、南禅寺のすぐ近くにある典型的な京料理、湯豆腐の店へ行くことにした。十二月末で、この年、関西は酷く寒かった。だから早く着くように林のなかを通って近道をしたのだが、その散策はじつに素晴らしいものだった。われわれの吐く息と、足音、そして時折、踏みつけた小さな枯枝がたてるポキっという音くらいしかしない、まったくの静寂。木の根元まで凍りつく。林のはずれの木々がまばらになった場所まで来た。高橋さんは僕のランバージャケットの袖をつかんで引き止めた。手と腕で何かを書くような仕草をした。僕には分からないものを描いた。さっきも言ったようにそれは冬だった。このなんでもないこと、なごやかな光のように林の空地に生じたのは低くたなびく霧に射した陽のほんのりとした暖かさであった。

P27-29

最後に巻末の謝辞を訳しておきます。

謝辞:フランス語で書かれた最初の北園克衛についての書物である本書はジョン・ソルト、藤富保男、金澤一志各氏の調査研究に依るところ大である。藤富保男『評伝北園克衛』や北園克衛の詩作品のフランス語への翻訳および図版の提供については中原千里女史に、同じく『マダム・ブランシュ』と『若いコロニイ』の図版提供については青木直人氏に衷心の感謝を捧げる。

Les press du réel
Kitasono Katué
1902-1978
https://www.lespressesdureel.com/ouvrage.php?id=7794&menu=0

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