麥書房『本』については以前もブログに書いたことがあります。麥書房は世田谷代田にあった古書店です。
麥書房『本』など
https://sumus.exblog.jp/20074409/
伊東静雄特集号も持っているはずなのですが、均一で売られていると可哀そうで買ってしまいます。あらためてこの号をめくりながらA5判64ページとは思えない充実ぶりに驚いています。
表紙は『詩集 わがひとに與ふる哀歌』(コギト発行所、昭和10年10月5日、非限定350部再版なし、オビ付)。伊東静雄の声価を決定した処女詩集。編集後記ではこのように評価されています。筆者は編集発行人の堀内達夫でしょう。
目下「日本の古本屋」に二冊、オビなしが出品されていますが、70,000と77,000です。『夏花』(子文書房 、昭和15)は8点出ていてカバー付で9,000〜18,510。ざっと七倍になったことが分かります。
特集原稿のうち、鈴木亨「伊東静雄三題」のなかにハッとする逸話が披露されています。昭和14年3月29日未明、立原道造が中野の療養所で死去しました。ちょうどそのとき伊東静雄は大阪から上京していたそうで、慶応義塾大学文学部予科の学生だった鈴木は(この原稿執筆時点では都立鷺宮高等学校教諭)その宿に呼ばれました。
詩の嘘と真実について考えさせられてしまいますが、それはともかく、この後、伊東と鈴木は萩原朔太郎を訪問しました。東京での就職先の相談だったようです。ただ、萩原はとうてい力になってくれそうもなく、みなで新宿へ出て飲み明かしたそうです。鈴木は《名だたる両酒仙の深更に及ぶ痛飲ぶりには、ただもう手を拱くばかり》だったと書いています。