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平謝りのとんでもない使いかた

 タイトルに「とんでもない」と言う言葉を入れると、読者が記事を読んでくれる確率が高くなり、なおかつ内容を真剣に受け止めるという。今回はそれを試してみた。結果はどうなるだろう。
 脳の仕組みを頭のいい人たちが熱心に研究し、顧客の脳みそをシャブ漬けにして、自分たちのサービスや製品を売ろうというという戦略はそこらじゅうで蠢いている。

 9月23日の読売新聞では、「アルゴリズムは無罪か」というタイトルの記事が掲載されていた 。以下に、一部をまとめて記述する。

 Facebook を運営する米メタが資金を投じ、外部の研究者が、アルゴリズムとユーザーの利用時間の相関を調べた。2020年米大統領選前後の同年9月から12月、Facebook と Instagramの利用者約4万人に調査を実施。その間、対象者のアルゴリズムを停止し、好みの情報ばかりを表示させないようにした。その結果、ユーザーの利用時間は大幅に減少。多くの利用者を引き留め、広告収入を増やすビジネスモデルにアルゴリズムが大きく関わっていることを裏付けた形となった。

 今まで散々言われてきたことなので、改めて言うことではないが、私たちは能動的にSNSを見ていると思っていても、実は企業に見させられていることに気づかなければならない。その時間を、もっと大事な別のことに使わなければならない。

 本題に入る。昨日読んだ本、「ユーモアは最強の武器である」(Jennifer Aaker & Naomi Bagdonas、東洋経済)の中でとんでもない使い方をしていると思った文章があった。以下にその文を短くしたものを記述する。

申し訳ないと思った人に対して、心から恥じて平謝りした。

 僕は思った。「??猛省したのに、平謝り?これもユーモアなのか?」。僕は平謝りとは、「反省の気持ちがこもっていない、見かけだけの謝罪」だと思っていた。だがその意味を調べてみると、これは心から恥ずべき間違いだとわかった。

 「新明解国語辞典」という辞書を引いてみた。(ネットはたまに嘘をつくので辞書を引くのが確実だ。)するとその意味は、「一切弁解めいたことを言わずにひたすら謝ること。」とあった。…「めちゃくちゃ反省の気持ちあるじゃん。申し訳ないという気持ちに一点の曇りもないじゃん。」寺田心くん風に言えば、「平謝りなのに普通じゃね〜じゃん。」といった感じだろうか。...違うか…。

 「平謝り」がこんなに謝る事だとは知らなかった。同時に今知っておいて良かったと思った。なぜなら、もし僕に部下ができたとする。その部下が仕事でミスをしてしまい、謝りに来た時、

「なぁ君〜、そんな平謝りじゃ謝った事にならないんだよ〜?」

なんて口走ってしまったら、穴を見つけて入るしかない。僕が嫌な上司役をしている設定は頂けないが、ともかくこのような事態はもう起こらないので一安心である。

 社会人として知っておかなくてはならない言葉やルールは無数に存在しているはずだ。その一個一個を、出てきたら覚える、出てきたら覚える、この繰り返しでクリアしていくに限る。他にも誤用が多い言葉を見つけたら、アウトプットの一環としてまた書こうと思う。

参考文献:
  読売新聞(9月23日)
 「ユーモアは最強の武器である」(Jennifer Aaker & Naomi Bagdonas、東洋経済)
    

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