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ことばを体感する(せかいはことばを読みながらとったメモ)

下の文章は齋藤陽道さん著「せかいはことば」を読みながらとったメモを感想文的に少し編集したものです。
変な文章もありますが、メモを箇条書きにだだっと書いていただけなので読みづらい点もありますがご了承ください。

音のない世界と音のある世界は分離しつつも(陽道さんの言葉を借りると)地つづきだ。
ろう者にとって音声言語はとても曖昧でおぼろげなもののようだ。
聴者にとっても当たり前に使う音声言語は、言葉の行き違いや解釈の違いで齟齬を生む時がある。
だから言葉がより良く伝わるように抑揚をつけたり、顔の表情を加えたりする。
その抑揚や表情の付加というのは手話でしていることと同じだ。
手話は手の動かすスピード、大きさだけでなく表情や体をダイナミックに動かすことで成り立つ言語だ。
言葉に抑揚をつけるように手話に抑揚をつける。
音声言語と手話言語は違っているようで、根っこで、地つづきで繋がっている。
そこがろう者と聴者を繋げる道になると思う。

この本では手話を漫画で表現することで、聴者とろう者が繋がる道としての「ことば」になっている。
陽道さんは漫画を書くだけなく沢山読むようだが、漫画をリスペクトしている理由がよく分かる。
音声言語、文章だけでは補えないものを、表現豊かな漫画にすることで、言葉とことばが繋がるのだ。
この本は漫画であることによって初めて成立するものだと思った。

3.11で陽道さんが「初めて警報というものを知った」と書いている。
そのことに新鮮な驚きと反省の念が込み上げてきた。
自分はまだろう者の世界を全然知らないんだなと思った。
聴者にとっては当たり前のことが当たり前じゃない世界がある。
一家は旧優生保護法の存在や3.11の体験で、あたりまえというものの存在を完膚なきまで潰された。
その体験談から自分が学ぶべきことは、やはりあたりまえのことなんかないということ。
あたりまえなんていう奇跡的な綱渡りの日常は天災、突然の病気、理不尽な憲法など、自分ではどうにもならないことで崩される(憲法は声を上げればなんとかなるかな。なんとかせねば)。
だからこそ今ある日常を日々慈しむように陽道さんは漫画を書いている。

ろう者はことばが通じる、それだけで安心するという世界に生きている。
対して言葉が通じて当たり前の聴者。
ただ最近、聴者でも「言葉が通じても話が通じない」時が多々ある。
論破やマウンティングによって相手を否定、圧倒して自分の承認欲求を満たす話し方をされると「あぁ、理解しようとしてくれない」と悲しくなる。
大切なのはことばが通じるだけでなく、お互いに分かり合おうとすることと、それによる安心感なんだと思う。
自分が手話を学ぼうとする気持ちも、ことばを知りたいだけでなく相手を理解したい気持ちからくるもの。
相手を理解するのは自分にとって怖いことなのだけど、物怖じせず手話を学んで相手を理解しようと努めたい。
言葉とことばを繋げていきたい。

樹さんと畔さんの手話との関わり方、ことばとの関わり方がとても豊かでただただ感動する。
手、身体にたっぷり心情を込めて表す生まれたての手話は輝きそのもの。
自分は独身男性で育児経験がない。
だからといって育児と無関係ではない。
子どもは親だけでなく、社会全体的で育てるものという認識でいる。
CODAの家庭も例外に漏れず、社会の中で育まれるとものだと思う。
うん、そうであってほしい。
でも実際の社会は子育て家族に優しくないなと感じる。
育休の取りにくさや金銭面やハード、ソフトでの行政のサポートが全然足りてない。
少子化が進んで当然だと思う。
少子化が進めば社会で支え合う者が減っていき、日本は衰退する。
子どもを迎えること、育てていくことは親でない人にとっても決して他人事ではないのだ。
社会全体で子どもを育てていこうとする意識の変格から必要だと感じる。
この本を通じて、子育てを経験してない人にも「子育てってどんなものだろう?」という想像を働かせてもらえればと思う。
ちょっと誇大解釈だけど、間接的に、みんなが子どもの親なのだ。
自分はうまく表現できないけれど、この本を読んで樹さんと畔さんを愛おしいと感じた。
それだけで他の子と接する時、何か生まれるものがあると思う。
例えば、よく保育園のお出かけで保育士さんが子どもと手を繋いで道を歩いている。
歩くのが大変な子どもたちはワゴンに入って周りをキョロキョロ見ながらゴロゴロと運ばれていく。
道ゆく人に保育士さんは「こんにちは」と声をかける。
その時こちらも笑顔で「こんにちは」と返事をするだけでも何かが変わると思う。
人が挨拶をしあう姿を子どもはじっと見ているのだ。

陽道さんは本の中で何度かうるっと涙するシーンがある。
子育てには感動が伴うんだなと知った。
そうした感動ができることの羨ましさを感じた。
自分は残念ながら日々暴言と暴力にまみれた生活だっため、愛に溢れた家庭とは縁がなかった。
どうか子育てに悩む親御さんにもこの本を読んでほしい。
完璧でなくてもいい、苦労しながら悩みながらも楽しみながら幸せを感じながら子育てができることを知ってほしい。
辛かったらSOSを出してほしい。
手を差し出してほしい。
必ずその手を掴む人が現れてくれると思う。

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