ぼーっとスマホを見てしまう。インターネットが産んだファーストフード世界。
現代社会はインターネットの普及によって非常に便利になりました。
家にいても情報にすぐにアクセスできるし、世界の裏側の人とも繋がれる。インターネットが 様々な時間を省略したことによって、急速に経済は成長を遂げました。
しかし、そんな社会にもある種の弊害が生まれていると思います。下記のようなことを経験している人も少なくないのではないのでしょうか?
・気がついたらずっとyoutubeをみている。だけど見終わった後になぜかけだるい感覚になる
・家に帰って映画を見ようと思っていてもなんとなくyoutubeを見てしまう
・ゆっくりご飯を作ろうと思っていてもレトルト食品で済ませてしまう
・何かを始めてもすぐにやめてしまう
・何かに挑戦するときすぐに結果をださなきゃいけないと思っている
このような感覚を経験している人が多くなってきている思いますが、個人的にはこれはファーストフード世界が産んだものだと考えています。
もちろん悪いことではありません。ただ気をつけた方がいい気がしているんです。
これはインターネットが様々な時間を省略したことによって作られた、ファーストフード世界。今日はその世界について話したいと思います。
▼インターネットが産んだファーストフード世界とは
インターネットが様々な時間を省略したことにより、これまでにあった下記の時間などが省かれることとなりました。
・人から情報を得るために必要な時間や労力
・景色、景観を見にいくための時間
・映画などの催し物を見にいくための時間
これにより人は何かの情報を得るための時間が飛躍的に短くなり、簡単に答えにたどり着けるようになりました。
その結果、技術は上がり比較的安い金額で色々なものを早く作れるようになったのです。ここまでは当たり前の話。
ではこれを受けて人々はどう変わってしまったのか。
それは「早い、安い、うまい」の3拍子が揃った、いわゆるファーストフード的サービスが溢れかえり、そのサービスが消費の基本となったということです。
これこそがファーストフード世界です。
これはご飯の話をしているのではありません。自分がファーストフード的サービスと呼んでいるものは「無料もしくは安価で手に入れられ、すぐに欲求を満たしてくれそうなもの」という意味です。
話を少し具体的にしましょう。具体的に言えばこんなもの達です。
・リコメンドされたそこまで興味のないyoutube動画
・無料で見られる情報サイト(EX:1ヶ月で10万円を獲得した副業とは)
・栄養価の低いレトルト食品
・なんとなく習慣でやっている無料スマホゲーム
では逆にファーストフード的サービス以外のものとは何か。それは「手に入れるのにある程度の対価を払うもの」です。この対価には時間やお金など個人の感覚によって異なるものと思います。
具体的にするとこんな感じ。
・整体に通ってきれいな姿勢を得る(対価:時間、お金)
・長い映画を観る(対価:時間)
・スポーツを習って大会にでてみる(対価:時間、お金、労力)
・長い目で見て仕事に取り組む(対価:時間、お金、我慢)
これらはインターネットが普及する前の(インターネットサービスが成熟する前の)一般的な生活指標です。
何を当たり前な。と思った方も多いと思います。ですが、考えてみてください。日々これらのサービスを利用しようと思っていてファーストフードサービスを受けてしまったという場面は多くないでしょうか?
ゆっくり寝ることで疲れをとりたいのに、なぜかスマホをいじってしまうということがありませんか?
そう。怖いのはファーストフード的サービスの特徴は、目の前に現れると「すぐに満たしてくれそう」という感覚を強くさせることです。
みなさんが感じたことのある「あぁ、今日何してたんだろ。スマホしかみてないや」という感覚は「本質的に満たされていない」証拠なのです。
ファーストフード世界においてはファーストフードサービスの消費がよりファーストフードサービスへの欲求を強めていきます。やっかいなことに「早くて安い」サービスであるため、手に取りやすくすぐに結果を得られると脳にインプットされているんです。
これにより人々の基本は「早い、安い、美味い」が消費の当たり前になりました。欲求への乾きが増大しファーストフード世界はより範囲を広げているように感じます。
しかし、より怖いのはファーストフード世界の住人は消費だけに止まらず、全ての事柄の価値観がファーストフード化してくるという点です。
▼ファーストフード世界の一番怖いところ
ここまでファーストフード世界について少しお話してきましたが、ファーストフード世界における一番怖いことについて話しておきたいと思います。
それはインターネットの最大の利点である「問題の答えが簡単に手に入ってしまうこと」です。
これにより、人は大体の答えを知ることができるようになり、とても専門的な内容や解読に時間がかかるもの以外はすぐに手に入るようになりました。
例えをあげてみましょう。
・業界や役職による年収
・夢の仕事の業務内容や具体的な悩み
・あこがれの有名スポーツ選手の生活リズムや交友関係
・宿題や勉強の答え
これらの情報はインターネット普及前には、自分のいるステージに合わせて少しずつ解禁されていくようなものでした。高校生には高校生の、大学生には大学生の、社会人の若手には若手なりの情報がありました。
しかし、今はどうでしょう。子供だろうが、大人だろうが関係なく簡単に情報にアクセスすることができます。
そしてそれが産んでしまったのが、成功者の姿が目の前にとめどない数現れるために、自分の人生もファーストフード化しなくてはいけないという思い込みです。
現代の人はみんな焦っているように感じます。それは明らかに情報による物でしょう。高校生天才棋士の存在や若くして社長になった人間の話、またyoutubeで大当たりした人の経験談など様々な成功話がでまわりすぎて、自分も早く成功しなければならないという気持ちが異常に強くなっているのです。
そして、このときファーストフード世界においては「早い」だけではなく「安くて、すぐに欲求をみたしてくれそう」という特性があることを忘れてはいけません。
つまり、誰でもすぐに簡単に天才になることができ満足できる結果を得られる気がするという特性です。これにより人は人生においてもファーストフード化を求め、人生における欲求の乾きまでファーストフードに託してしまっているようになってしまったのです。
▼ファーストフード世界にもある光
「終わった。このままインターネットが普及し続ければ充てのない欲求の潤いを求めるファーストフードゾンビと化してしまうのではないか。。。」
そう思う気持ちもわかります。
ただ僕自身はファーストフード世界においても明らかによりいい人生を送るポイントがあるように思います。
そのヒントは前節でものべてきたように「手に入れるのにある程度の対価を払うもの」の存在です。
それはインターネットの特性である「様々な時間の省略」そのものを指しています。
よくおじさんたちがこう言います。「汗水垂らして働いて食う飯はうまいだろう。」
自分が労働という対価を払って得たサービスは満足度が違うだろうという意味が込められています。
頑張って物事に取り組むことで得られた満足感は非常に長続きするという経験がみなさんにもあるのではないでしょうか?
そうつまり、自分が対価を払って得た結果は欲求を長く深く満たしてくれるということです。
さらに対価を払うことが満たしてくれる欲求は複数に分解することができます。対価を払うためのストーリーと達成感です。
達成感は先ほど話したので、対価を払うためのストーリーについて説明します。
対価へのストーリーとは、自分がその対価をつくるために費やした時間や労働に対する愛着や思い出などです。
例えば対価を払って得たものが「100万人の登録者がいるyoutuberになったこと」とします。
その場合、対価は相当大きい物でしょう。友達との遊びを一部キャンセルして撮影をしたり、機材購入、編集の時間をとること、登録者が伸び悩んでいるときの苦悩、社会からの白い目線をうけるなど色々なことがあります。
一見辛そうなことを列挙しているように見えますが、実際にはこういった数々の努力や自分が自らしたことによってしか愛着や思い出は生まれません。
そして、幸運なことに人間はいい記憶しか自分に蓄積していきませんので、終わってみると非常に思い出深いことになっていることは少なくありません。
記事に出てくる社長やyoutuberなどの活躍者が楽しそうに話しているのはこれらのことが理由だと思います。
本節をまとめると「手にいれるための対価を払うこと」は得られる結果を個人にまつわる経験が文脈化することで、深く長く欲求を満たしてくれるということでした。
対価を払うことこそが欲求を深く満たしている本体といってもいいかもしれません。
しかし、そういった対価へのストーリーは簡単に話せるものでもないし、体験してみないとわからないものです。一言で言えば「楽しかった」という薄っぺらい言葉にまとめてしまうこともできますが、本来解読に時間はかかるし、非常に多くの概念や価値観が含まれているものです。
記事で紹介される有名人にも、何千万円もの報酬を受け取る人にも、そこには記載されていない対価へのストーリーが必ずあるのです。ファーストフード世界ではその裏側を積極的に見せようとはしてくれません。
なぜなら「すぐに欲求を満たしてくれそうなもの」ではないからです。
▼ふと思ったこと
ファーストフード世界において注意しなければいけないことを書いてきました。ただ、必要以上に対価を払わなければいけないと思いすぎなくてもいいと思います。
別にyoutubeは面白いし、無料のスマホゲームも楽しいし、レトルト食品も美味しい。
重要なのは欲求を満たしてくれるものに対して焦りすぎないこと。
そうすることで少し気持ちに余裕が生まれて、生きることが楽になるのではないでしょうか。
ここまで書いてきてふと思ったのですが、星の王子様でも同じようなことを書いていました。昔から伝えたいことは人間の本質は変わらないものなんだなと痛感しています。
多分インターネットが普及する前にも大成功を収めた若者はいたし、youtuberの昔版のような大ヒットもあったはずです。
ただ情報がまわってくるのに時間がかかっていただけ。
こう思うと、古くから残る作品や哲学書が最も現代の人の生き方の参考になるような気がしています。自分が書いているこの記事は多分1週間もしないうちに消えてしまうものですが、彼らは何百年もの間有益な情報として残っているのですから。
たまにはゆったりと読解するための時間と労力を払って哲学書を読むということもいいかもしれませんね。
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