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本音と建前の建前について
本音と建前という言葉があります。
しばしば「内に秘める」「空気を読む」「愛想笑い」、、という言葉があるように、日本独特の文化だと言われます。(実は外国でもあるようですがここでは割愛)
そのたびに私はモヤモヤすることがあります。
ちょっと考えてみましょう。
本音と建前はいつ生まれた?
縄文時代からあった、とか、
江戸時代に生まれた、とか、調べると諸説出てくるので、
ここでは歴史が本題ではないので、本当かどうかは置いといて、
以下の話を読んだ時になんとなく腑に落ちたので引用しておきます。
本音と建前については、少なくとも江戸時代ぐらいからあったのかもしれません。
時は徳川幕府の御世の頃、とある江戸の町の有名な棟梁は、「明日には基礎構造が完成して建前だ」というところで、玄関の柱を短く刻んでしまい、上手く収まらなくなってしまったことに気がついた。棟梁は、己の未熟さから死のうとまで考えたが、それを見ていた女房は、棟梁に酒を飲ませて寝かせてしまう。
女房は、どうしたらこの窮地を切り抜けられるか寝ずに考えていると、目の前に棟梁に飲ませた酒を入れた枡が置いてあることに気がついた。
女房は、この枡から『枡組構法』を考案すると、朝起きてきた棟梁に一升、五合、一合の枡を差し出した。
しばらく枡を眺めていた棟梁は「これだ!」と一言叫ぶと、柱の足りない部分を補って、無事『建前』を収めることが出来た。ところが、『コケン』に関わる話が広まることを恐れた棟梁は、鬼と化して女房を殺して口を封じてしまう。
後々正気を取り戻した棟梁は、己の犯した罪を悔いて、未来永劫女房を弔うと心に誓い、『建前』になると女の七つ道具(口紅・鏡・櫛・簪・白粉・笄・鬘)を棟に飾って供養したのが『建前』の始まりだ。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882126945/episodes/1177354054882126948
自己一致と建前
キャリアコンサルタントは傾聴について研鑽をしますが、傾聴でおなじみのロジャーズの三原則に「自己一致」があります。
【自己一致】
自己一致とは、聴き手と話し手の双方に対し、真摯な態度で言葉の真意を把握することです。相手をありのまま受け入れるには、偽りのない自分自身を受容することが大切です。
例えば、相手が言っていることが自分には全く受け入れられないのに、相手の話を邪魔しないために同調を続けていると、
「私はそうは思わないけどなあ・・・」
という考えが頭の中をいっぱいにしていき、傾聴が困難になっていきます。
相談を受ける場合においては、建前の限界がありそうです。
感情労働
「感情労働」という言葉を聞いたことがありますか?
アメリカの社会学者であるアーリー・ラッセル・ホックシールドが唱えたものです。
「楽しさ」や「うれしさ」といった感情を表に出すことを求められる、あるいは「怒り」や「悲しさ」といった感情を抑制する必要があるなど、適切または不適切な感情が定められている業務を「感情労働(emotional labor)」と呼ぶ。身体を使って報酬を得る肉体労働、頭脳を使って報酬を得る頭脳労働に対して、感情労働の従事者は感情を抑えることで報酬を得る。感情労働は特に顧客とのコミュニケーションにおいて大きな役割を担うものであるが、精神と感情の協調が求められるため、精神的な負担や重圧は極めて大きい。
真っ先に思い浮かぶのは接客業でしょうか。
たとえ嬉しくなくてもニコニコしないといけない、無茶な要求に対しても感情を顔に出さず接しないといけない、、など、最近では行き過ぎたふるまいに対しては”カスハラ”と問題視するようになってきましたね。
感情労働が極まると、以下のような恐れもあります。
①感情労働
↓
②ストレス
↓
③メンタルヘルスの不調
↓
④バーンアウト
④までいってしまうと仕事を休まざるを得なくなり、
手前の③でも仕事のパフォーマンスが落ちるなど、好ましい状態ではありません。
こういったことから、建前には負担を伴うので、必要なのか?と疑問がわいてきます。
建前は必要か?
デメリットの話が多かったので、
メリットについても考えてみましょう。AIに聞いてみました。
対立やトラブルを避ける
建前を使うことで、直接的な表現を避け、相手を傷つけることなく意見を伝えることができます。これにより、誤解やトラブルを未然に防ぐことができます。
私自身、誰かに何かを伝える場面において、配慮のない言い方で相手の機嫌を損ねてしまい、一切聞いてもらえなくなってしまったことがあります。相手も自分も残念です。ビジネスにおける利点
商談や交渉の場では、建前を使うことで相手に対して柔軟な姿勢を示し、さらなる交渉の余地を残すことができます。これにより、契約成立の可能性が高まります。
交渉の場面では一方だけが利益を得るような結果になると、利益を得ていない方は後になって不服を申し立てたり、継続的な関係を保つことが難しくなります。社会的な期待に応える
日本社会では、建前を使うことが一般的であり、これに従うことで社会的な期待に応えることができます。これにより、周囲との調和を保つことができ、社会生活が円滑に進むことが期待されます。
私自身も学校、会社、いろんなコミュニティに属すなかで、建前を使ったほうが自分や会社を守ることができた、という経験をしました。
メリットはまだありそうですが、やはり建前は社会の中で生きる人間にとってはメリットがありそう、ということも再認識しました。
建前はほどほどに
本音のことも書こうかと思いましたが、
長くなったので、また別の機会にしようと思います。
建前は社会に生きるうえで大事ですが、
自分を疲弊させてまで建前は必要ない、というのが今の私の考えです。
ただこの記事を書くにあたり、いろんな情報をインプットして考えをまとめることでモヤモヤが薄まった気がします。
みなさんはいかがでしょうか?