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自己紹介┃はじめてのnote 月刊オリジン 発刊の辞
2012年2月、雪が降り積もる金沢の夜は寒い。
初めて給料を手にしたのは13年前。振込ではなく、茶封筒に入った1万円札が一枚。
父親の働いている造園工でアルバイトとして働いて得たアルバイト収入だ。仕事終わりは手足の感覚がなかった。給料は家に入れることになっていたし、自分が将来なりたいキャリアとはあまりにもかけ離れている。公園に落ちた枝をトラックの荷台まで引きずり、ぶかぶかのゴム長靴で重なる木々を踏みつけ、吐く息で眼鏡が曇っていた。仕事中の父は寡黙で、アルミの脚立ではるか数メートルの高さから下にいるわたしに目線をやった。
大学進学で上京を直前に、どういういきさつだったか、わたしはその仕事が嫌で仕方がなかった。従業員がみんな父親より年老いていて、夜、仕事終わりに飲みに出かけることはなかった。脱衣所に重くなったヒートテックを脱ぎ捨てて、湯船で手を結んで、ひらいて、指先の感覚を取り戻すとき自分が働いていると実感していた。
大学を卒業後、八王子にある有料老人ホームのヘルパーという、自分の父親の収入より高収入の仕事に就いた。お客様の部屋と、対照的な狭い従業員ロッカーでポロシャツのユニフォームに着替えた。しかし、すぐに介護現場で働く嘱託職員となじめず、言うことを素直にきけない社員というレッテルを貼られた。わたしの仕事ぶりを感謝するお客様は多い。しかし、施設長とケアマネジャーと介護職員リーダーにおける組織的諸課題について、長い愚痴を一生懸命に話をしても、誰も耳を貸さないだろうと思った。
いわゆる就職活動のアンマッチだ。その介護現場に就きたかったのは、日本市場でヘルスケア事業が成長し続ける、そのための先行投資だと思ったからだ。将来のための社会勉強だと頭では分かっていたが、毎日、不規則な時間にシフト制で出勤するのがつらかった。当時のわたしは、どうすればお局さんがケアプラン通りに水分補給に甘味付けをするように変わるのか、昨日と今日のOJT担当で違う移乗方法、従業員の好みで変わるお客様の清拭の順番が効率的かがわからず、急転直下、人事次長から部署異動の一報をもらうまで差し障りなく過ごし、これまで本当にありがとうございましたとその職場を去った。
これまでの10年間のキャリア準備期間で、さまざまな仕事に取り組んだ。最初の仕事よりも、「もっと頭を使う仕事をしなさい」と人事部長からアドバイスももらった。人事、労務、障がい者職業能力開発、年末調整、採用、営業、調査、事業計画、SEOライティング、Webサイト制作、Webデザイン、コンテンツディレクター、インタビュアー、編集者、インサイドセールス、講演司会者。AIスタートアップのマーケティング部という華やかでタフな仕事にも就いた。これから、民間企業のエンタープライズセールスでも、公的機関の海外事業開発でも、目の前にきた今しかない挑戦は「はい」と二つ返事で働くだろう。これは残りの30代でも変わらない自分の仕事への姿勢であることに気づいた。
それは、仕事は会社との信頼関係によって、”良くない”仕事に就いているときでも、わたしの仕事に対する姿勢を他人に左右されるものでは決してないということ。価値を感じられない商品であっても予算達成のために売り切ることはあったし、高給な仕事に就いているからといって、仕事の質まであがったとはウソでも自己評価できない。
この仕事に対する誠実さが、自分の体と心の両方が健康で充足した形で保ち続けられるか、30代、40代、50代、60代になってもあの人の仕事は素晴らしい、誠実な人柄で信頼できると人生を飾れるだろうかという、私のビジネスキャリアを通じての目的の一つとなった。仕事を情熱的に取り組んでいる人たちとの出会いは大きい。「日本を再び世界で通用する企業にしたい」起業家、「私が世界一のスパコンにする」事業責任者、「AIの技術で自分の会社をなんとかしたい」経営者、飛び乗ったAI業界で真剣に仕事に向き合っているクライアントといかにつきあうかを探る中で、わたし自身の武器のようなものにもなった。また、経営者や開発者がAI開発を断念したり、理想と妥協のダブルスタンダードな目標設定に疲れて、ベストの状態で営業できなかったりしている同僚もしばしば目にした。実のところ、すべての従業員の半数が給与と余暇のために、それ以上がAI事業のキャリアのために働いているのが分かる。
さらに、ふだんはやる気があって周りから尊敬をされるような理想的な上司であっても仕事の手を抜く日があることを考えると、人間の能力の高さが仕事の姿勢と必ずしも相関しているとも言えない。それでもわたしたちは、仕事に対する不満は、仕事を継続するための”いつもの”はけ口とでもいうように、友人とただ酒の肴にするだけなのだ。
わたしはキャリアの多くを「よくそこまでやりましたね!」と驚かれた時に、まっすぐに相手を見つめて「はい、あなたに会うのが楽しみでした」と答える機会をどうすれば実現できるかということに時間を割いてきた。ベンチャー企業で記事コンテンツのインタビュアーを経験したことは、この目的の追求に役立った。AIを開発する企業の開発責任者や経営者がどのような人格とビジョンを持っているのか徹底的に知る機会になったからだ。わたしの適性は、社内外のAIに関する悩みを傾聴し、ポジティブな可能性やこれからの課題へと翻訳することだったので、事業課題、プロダクトの強み、実装されたAIを実際に使ってみたエンドユーザーの声を聴くことに多くの時間を割いた。機会があれば、クライアントには次の3つの質問をした。
お客様ににとってあなたのサービスを使う「嬉しさ」とはどんな時か?
あなたがこのサービスを提供しようと「決めるまで」何を売っていたのか?
いったい何がそこまでやり抜こうとあなたが思い続ける「理由」なのか?
それから、セールスメッセージをより良いお客様のサクセスストーリーに変える手伝いをする。企業の営業責任者にトークスクリプトのコツをアドバイスするときもあれば、大勢の人が行きかう展示会ではじめて名刺交換する人に、エンドクライアントがAIを使って何が嬉しいのかについて、一緒に考えてもらうときもある。たとえば、新事業として開発予定のAIプロダクトのアピールポイントを聞いてから、あと一歩踏み込んだ質問をするだけで、本当に売りたいものと実現したいことを話し始める。これは私個人の意見に過ぎませんが、そう言われると気持ちが高揚した。
こうしたインタビューを通じて、わたしは、物の値段と売り文句を伝える前に相手が何が嬉しいと感じるのかという、嬉しさを売るマーケティングをより重視するようになった。人事・労務という管理部門からはじまったキャリアだったが、ベンチャー企業で法人向けの営業に大きくベットし直し、さらにAIサービスの展望とマーケティングについても考えるようになった。マーケティングの基礎知識はグループ会社の社長、役員たちの知見を求めて、1人社員から5年間で3億円の事業計画の立案と企画・運営・実行にまでいたった。自分が転職した会社が来年にはつぶれるかもしれない。そうした緊張感や実際の20代の経験が30代ではたらく自身の土台になっている。
あなたがそこまでする理由は何か?
「あなたがそこまでする理由は何か?」という問いかけには、ある共通の答えがある。そのヒントは、わたしが父親の造園でアルバイトをしてから、数か月後の最初の夏休みに送られてきた、一枚の写真だ。写真には真っ青な晴天を背景に、冬の日に公園で剪定した杉の木が2本そびえ立っていた。高校生のころには分からなかった父親の仕事は、大樹が厳寒にも負けずに天を突くように伸びる手助けすることだった。父親がわが子と一緒になって働いて、どうしても伝えたかったことは何だったのか。父親が造園の仕事をし続ける理由に触れた思いがした。
そもそも、人が働き続ける理由は自分がやりがいを感じたり、自分の仕事が社会の役に立っているものだと実感したりすると、明日も働こうと思うらしい。ましてこの仕事が自分の天職だと感じるのは、自分がいい仕事をしたと感じるのと同じくらい、自分がその仕事をしようと思った日を昨日のことのように思い出せるかどうかにかかってくる。そこまでして成し遂げる理由には、報酬よりも、どこをスタートラインにここまできたか、原点と呼べるあの日の熱を感じる。昔はあんなによかったのにという意味ではない。ここで諦めるには後悔してもしきれないあの日の喜びと動機づけが必ずあるはずだということだ。
もちろん、最初から希望した仕事ができない時もある。自分のことばかり考えている上司や愚痴っぽい同僚を相手にしているのであれば、どんなに意思を強く持とうとしてもあっさり辞めてしまうかもしれない。だが、わたし自身や優れた友人たちの経験から、仮説立てることができたのは、わたしにとって最大の幸運だった。わたしたちは自分が覚えているよりもはるかに多く、これまで諦めたことがたくさんあるのだ。
諦めなくてもいいようになるには、どんな手段や経路を辿ってでも実現すると決めること。わたしたちの進路の選択や感情の発火点を十分に理解し、もしわたしたちが立ちはだかる障害の前に立っても、道を右折することでたどり着けることが分かれば、自分がここで立ち止まっていいような理由で歩き始めたのではないことを思い出せるようになる。誰かが悪意をもって自分を挫折させることで心の安寧を得ようと思うなら、わたしたちが諦めることを諦めていただきたいでよいのだ。そうすれば、自分が諦めていないように、お客様の探しているどうしても諦めきれない嬉しさにたどり着きやすくなる。
たとえば、あとでも登場するある部下が、両親の事業を継ぐために退職を決意したのは、このまま廃業することを受け入れていた社長が支えてきた会社を自分の手で再興することを諦めなかったからだ。彼はベンチャー企業で学んだ広告やサイト制作のノウハウと、BtoBマーケティングの基礎を存分に活用して、地元企業や自治体で接するお客様に嬉しさを売っている。全盛期にはシェア1位を独占していた事業も、ひしめく強豪との価格競争と従業員の高齢化、設備の老朽化、従業員同士のハラスメント問題と人事のほか、家族経営ならではの悩みを抱えている。しかし、固定費の問題から着手し、これまで利用していた集客サイトの管理会社の再選定や契約の見直しなど、すぐに業務改善に乗り出した。
ほかにも、海外から日本にやってきて日本語で法人営業する営業マンが、単月予算の未達をきっかけに落ち込み、対人関係の悩みを打ち明けたところ、まさか新しいエンタープライズ案件を成功させた話を紹介したい。相手が自分の思う通りにいかないを、存在しない常識的に考えてこうなるはずだというマインドセットを変えてみたら、嬉しいことに相手の方から歩み寄ってくれるようになった、というリーダーの話もしたい。
あるエンジニアは、上司の期待値調整について少し学び、上司の意思決定の材料をこちらで誘導しつつ、自分の評価を上げれるようになった。ほかにもいろいろな仕事で出会った話をしよう。
月刊 オリジンは、わたしの出会ったビジネスマンやプロフェッショナルが働き続ける理由を知り、人よりもより多くの成功体験を作り上げてきた事例について述べていく。7つの視点によって構成され、最初の2点では、実際にわたしがかかわった人物の特徴と働いている心理的な背景や動機について述べる。次の3点では、私が尊敬しているその人の特に優れている部分に焦点を当てて、よくある失敗と成功事例について学ぶ。最後の2点では、その人が諦めようと思うほど苦労したエピソードを通して、いままさに諦めようとした時にどうやって逆境を乗り越えたか。私がそこから学んで実践している方法について論じてみよう。
ビジネスマンのキャリアの土台となった20代を32歳のわたしが深く自省すると同時に、あなたの身の回りにもいる、教えたり、一緒に働いたりしている人々の中にも、私の友人たちとの共通点が見つかるだろう。ここではテクニックを紹介することを目的としない。自分の価値を高めるための啓発は、専門の書籍にその役割を任せたい。自分の仕事のよもやま話をもっともらしく書いただけだ。
わたしはとても幸運だったと思う。誰もが自分だけではどうしようもない障害に直面する。だが、それでも自分の仕事をし続ける本当の理由を知って、諦めそうになった時に思い出せる「原点」を持つ人は強い。どうしてそこまでするのか、と感じさせてくれる自分より優秀な人たちの冒険譚を心から楽しめるようになる。その結果として、本当の友人と呼べるような尊敬できる人が自分の職場に見出せるのだ。
さあ、出発しよう。
月刊 オリジンは、現代で働き続ける人たち出発の”原点”を描いたフィクションです。実際に働いているビジネスマンや筆者をモデルに体験談を再現していますが、あくまでも実在の人物や団体などとは関係ありません。発言は個人の見解であり所属する組織を代表しません。
月刊オリジンの発刊の辞をもって、noteの #自己紹介 #はじめてのnote に変えさせていただきます。数ある投稿の中から、私の初投稿を見つけて頂きありがとうございます。最後まで読んでいただき、重ねてお礼申し上げます。